むすんでひらいて



 十年前に慣れ親しんだものとはずいぶん異なる飛空挺の音と内装に、エルクの後ろでリーザは物珍しさから視線をさまよわせた。
 かのシルバーノアは元軍艦でもスメリアの王室専用船に改装されていたので、居住区画には相応の広さや快適性、何より美しさがあった。彼らの逃亡生活で多少くたびれていてもなお。
 だがこの船は内装もあちこち鉄板が剥き出しで、最初は広かった通路も奥ほど手狭になっていて、ずっと無骨で飾り気がない印象が強い。
「……リーザ?」
 揃いの黒い制服に身を包んだ団員たちと二言三言交わしたエルクが、振り返ってリーザを呼ばわる。
「ごめん。ちょっと珍しくて」
「いや、いいけどよ。とりあえずこっち来てくれ」
「うん」
 忙しなく団員が行き交う隙間を縫って、エルクがまっすぐ船内のどこかを目指す。
 リーザはその後ろにぴったり付いて歩きながら、途中すれ違う団員がエルクに挨拶なり黙礼なりした後ちらりとこちらを一瞥していくのが少し気になった。その視線に悪意がないことはわかる。英雄を見る目にも魔女を見る目にも慣れている。エルクの客として興味を持たれているのだろうか。
 そうして行き着いた船室も、やはり殺風景な部屋だった。
 数人用の簡易ミーティングスペースを備えた上等な個室で、人が生活している匂いに乏しく、間仕切りの奥に見えるベッドのシーツも使われた跡がなかった。しかし完全な空室ではないようで、掃除は行き届いているようだったが、デスクには地図や書類が散らかっているし、壁に据え付けられた槍置きはエルクの槍のために誂えたようだった。
「ここ、エルクの部屋?」
「悪ぃな、応接とか気の利いたもんがなくてよ。……みんなと行かなくてよかったのか」
「うん。ちゃんとエルクの首根っこ捕まえときなさいって送り出されちゃったくらい」
 手だけで勧められたソファに座りながら、リーザは満面の笑みで言い返す。
「相変わらずおっかねぇ」
 滲んだエルクの苦笑は、昔を懐かしむようにも見えた。
「みんな心配してたんだよ。なので私が代表してエルクの申し開きを聞いてあげます」
「お手柔らかに頼む」
 言いながらエルクはごついグローブを外し、ピュルカの民族衣装を模したそれよりずっと重たげな外套を椅子の背に投げ掛けた。昔に比べて着込むようになったせいか、身軽になった彼はずいぶん細く見える。その腕が力強いことは身をもって知っているはずなのに。
 と、室内に軽やかなチャイムが鳴り響いた。
 リーザの座った位置からエルクが開けた扉の向こうはよく見えなかったが、飾り気のないトレイを受け取るのは見えた。ここに来る前に頼んでいたらしい。果たしてソファに戻ってきたエルクは紅茶のカップを二組テーブルに並べると、一拍置いて意を決したようにリーザの隣に腰掛けた。
「ありがとう」
 シンプルな白のティーカップに透き通った紅茶。無骨な船の精一杯のもてなしのようで、リーザはくすりと笑みをこぼしてからカップに口を付ける。そのあたたかさにほっと息をついて、ふと、こんなに気を緩めたのはいつ以来だろうと思った。
「ここの制服、アークスと色違いなんだよね」
 厚手のロングコートに長いマフラーと大ぶりのベレー。色は白と青のアークスに対して、こちらは黒と赤だ。
「アークスは原則非武装だからな、いろいろあってこっちに回ってきた奴もいる」
「そっか。非力では守れないものもあるものね」
 復興支援のボランティア団体であるアークスは、組織的な武力を持たない。賊やモンスターを相手取って戦えるメンバーは、あくまで個人的にそうであるというだけだ。今ではハンターズギルドと太いパイプがあるため必要に応じて戦闘員とも連携できるが、それはこの十年の少なくない不幸と犠牲のうえで培われた体制でもある。
 リーザも、自分が多少戦えるだけではままならない現実を幾度となく目にしてきた。ブラキアはまだいいが、大崩壊から長らく無政府状態が続いているアリバーシャの治安は最悪だ。
「そういうアークスだからこそ出来たこともたくさんあるだろ。逆にこっちから移っていった奴もいる。きっとお互い様なんだよ。アークスでもハンターでもいられない奴の受け皿がここってだけさ」
「エルクも?」
「ああ。ハンターじゃ、ギルドじゃ足りないと思った。アークスを見て、俺たちにもああいう強い組織が必要なんだと思った」
「すごいね」
「ヴィルマー博士とポコがな。俺はガラじゃねえけど、その……黒騎士が潰して回ってたのは復興政府とか地域の代表とかしっかりした連中が多くてさ、その生き残りが集まって上手くやってくれたから、ここも様になってる」
「そうは言っても、中心になる人がいなきゃ始まらないでしょ」
 団員に囲まれ、手早く指示を出す姿もすっかり板に付いていた。それをさながらいなくなってしまったあの人のようだと感じたのは、リーザの中にある切れ味のいいリーダー像が彼しか見当たらないだけかもしれないけれど。
「エルク。手」
 言ってリーザは開いた手のひらを、掲げるように胸の前まで持ち上げた。
「お、おう……? こうか?」
 差し出すのではないその形に戸惑うような気配を見せながら、おずおずとエルクも同じように軽く挙げる。
「うん」
 お互いの手のひらを合わせるように重ねる。
 エルクの手は、リーザが知っているより大きくて硬い手のひらだった。槍胼胝の位置は変わらないけれども、少年期の柔らかさをすっかり削ぎ落としたような、骨張ってごつごつした、大人の男の手。
 それもそうだ。十年前エルクと出会ってから一緒に生きた時間よりも、彼がいなくなってしまってからの時間の方が遥かに長い。今のエルクはあの頃の面影を残していても、すっかり大人になっていた。
 けれど熱は、今も昔も変わらない。
 リーザは指を絡めるように深く手を結ぶ。
 気恥ずかしげにか、決まり悪げにか、エルクがついと顔をそらした。
「私ね、エルクがいなくなった後、パンディットとふたりで旅に出たの」
「ああ」
「スメリアにもミルマーナにも、アララトスにも行ったわ。みんなが人々の拠りどころになっているのを見て、私も当てもなく旅をしているだけじゃダメだなあって思った。それからブラキアで縁があって、アークスの人たちと一緒に難民キャンプで働くことにしたの」
「知ってる。リーザが責任者だろ。すげぇよ」
「知ってるんだ」
「ああ。全部知ってる」
 目をそらしたままエルクが、ぽつりぽつり応える。
「ずるいなあ」
 言って、リーザはくすくす笑みをこぼした。絡めたままのエルクの指が、心なしかそわそわしている。
「あ。チョンガラさんから?」
「まあ、そんなとこ」
 エルクたちが姿を消して数年が経った頃から、どこからともなく噂を拾ってきたのはいつもあの情報通を嘯く王様だった。ならばその逆もあって然り。
「そっか。うん。良かった」
 そこでようやく、エルクがリーザを見た。怪訝そうに。
 だからリーザはもう一度微笑んだ。
「ねえ。この船にも名前はあるの?」
「ん? そりゃ一応な。旗艦のこいつはグレンだ」
「グレン」
 炎のあざなからすれば順当のようでも思いがけないその名前に、リーザは目を瞬く。その意味を正しく理解したらしく、エルクが苦い顔になった。
「……笑うなよ」
「だって」
 笑ったつもりはないけれど、堪えきれていないのは自分でもわかる。
「たまたまだって。名付けたの俺じゃねえし」
「でも、エルクがそれでいいって言ったんでしょ」
「そんときは忘れてたんだよ! なんか聞き覚えある気はしたけど! だからあのおっさんは関係ねえ! 本当に偶然だ!」
「はいはい」
 子供のように昔のように拗ねたように言い捨てたエルクの指先に、きゅっと力がこもる。
「何で嬉しそうなのか訳わかんねえ」
「エルクには新しい仲間がたくさん出来たんだなあって。昔のシルバーノアみたい」
 その言葉にぱっと目を瞠ったエルクが、遠くを懐かしむように目を細めた。
「ああ、まあ……なんて言うか、気がついたらそうなってたんだよな。昔は俺たちもついていった側だったけど、黒騎士追いかけて突っ走ってるうちに、いつの間にか人が集まっててさ」
 ひとりぼっちで空を征くシルバーノア。
 けれど、あの白い船が真実ひとりぼっちではなかったことを知っている。
「わかってたつもりだったけど、自分が似たような立場になってつくづく思い知らされたぜ。一つしか違わねぇのに、あいつ本当にすごかったんだな」
 エルクはまさしくアークの後を追っている。
 では自分は。
 リーザは彼と指を絡めて結んだ手を見やった。
 かつてククルがアークとの逢瀬でそうしていたように。私たち意地っぱりだから。はにかみながら微笑んだククルの綺麗な笑顔は、今のリーザには眩しすぎた。
「エルクがひとりぼっちで戦ってなくて、よかった」
「……リーザ」
 エルクの声が気遣わしげな色を帯びる。
 全部知ってる。彼はそう言った。
「私も一人じゃなかったよ。"全部"知ってるんでしょ」
 流浪の旅の末にブラキアで難民キャンプの代表者になった。その頃には国際的な評価も得ていたアークスの後ろ盾も付き、そこがリーザの新たな居場所になった。
 けれども。けれども。
「あのね、エルク。あの日エルクがいなくなって、シュウさんもいなくなって、ああ行っちゃったんだなあ、私は置いていかれたんだなあって、寂しかった。でもね、逆に考えたら、二人がふたりぼっちになってないか心配だった」
 シュウの名前が出た瞬間、つとエルクの指がわずかに強張る。緊張したように。
「みんなとケンカ別れみたいになっちゃってたしね。トッシュさんもサニアさんも、黙っていなくなるなんてって文句言いながらすごく心配してた。チョンガラさんがエルクの噂をときどき届けてくれてたから、どこかで元気にしてるのはわかってたけど」
「それは、……その、悪かったと思ってる」
「私たちには知られたくなかった?」
「………」
 困ったような顔で口を噤んでしまったエルクの手がまた少し強張って、逃げるように引けた。絡めた指先に、リーザは少しだけ力を込める。
「エルクは、みんなの分も戦うつもりだったんでしょう」
 復興にせいいっぱいの仲間に代わって。
「結局、戦争になっちまったけどな」
 くしゃりとエルクが苦く苦く微笑む。自嘲の色が濃い。
 世界は戦争に向かって転げ落ちてしまった。
 ミルマーナもスメリアも燃え落ちた。
「それだけじゃない。あの黒騎士のことも、ひとりで背負うつもりだったんでしょう」
 まるで悪い夢のようだった。
 ずっと目を背けていた現実に、追いつかれただけだとしても。
「……リーザは奴のこと、どこまで聞いた?」
「調印式のときにトッシュさんが戦ったことなら」
 アルディア帝国の影に潜む闇。
 先日ラマダ山でトッシュがあいまみえた黒騎士。
 それを知らされたときはリーザも思わず、チョンガラからの手紙を取り落としそうになった。
 軽くない傷を負い、撃退のみにとどまったトッシュは結局、目の当たりにした黒騎士について多くを語らなかったという。
 ──あれは俺が斬る。その一言だけだったという。
 だがそれが何より雄弁に物語っていた。
 まるで悪い夢のようだった。
 けれど、その懸念はずっと前からあったものだ。
 あの日から十年間、エルクたちだけが目をそらさなかった。
「もう、みんな気づいたよ。だからこんな怖ろしい、悪い夢みたいなこと、黙って背負おうとしないで」
 少し困ったような、痛むような、曖昧な笑みをエルクが滲ませた。
 そして。
「おまえが落ちてきたときも、俺は恐ろしかったぜ」
 小さく息を呑んで強張ったリーザの手を、今度はエルクが引き寄せた。
「なあ。訊いていいか。──どうして飛び降りた」
 深い紫の眼差しが、まっすぐリーザを見据えている。
「どうして一人で死のうとした? リーザは俺のことお見通しなのに、俺は全然わからねえよ」
 歓喜と、今さら追いついてきた恐怖に震える唇を、リーザは噛みしめる。
「……もう、逃げ切れないと思ったの」
「死んだら本当にお終いだ」
 彼の指が縋るように絡みつく。
「私が私でなくなれば、死ぬのと同じだわ。あの男が必要としていたのは私の、ホルンの魔女の力だけだもの」
「すぐ殺されるとは限らない」
「そうかもしれない。降伏して無傷で捕まって、逃げ出すチャンスを待つことも考えた。そうなったらきっとエルクは来てくれると思った」
 まだ何も知らなかった少女の頃、長い旅が始まったあの夜、そうして彼と出会ったように。
「じゃあ何でだ……!?」
 納得できないとばかりに声が低くなるエルクに向けて、リーザは微笑んだ。
 泣き出しそうな気がした。
 これから口にするのは、きっと酷いことだ。
 けれど本当のことだ。
「あのとき、死んで終わりならまだいいと思った」
 まるで悪い夢のようだった。
 ──亡霊が世界を、仲間を脅かすなんて。
「死ぬことよりも、あなたの悪い夢になる方が嫌だった」
 愕然と目を瞠るエルクは、何も言わずリーザの告白を聞いてくれている。けれどその手は、かすかに震えていた。
「エルク。もし私がそうなってしまったとしても、あなたはきっと私を見つけ出して、殺してくれる。きっと私のために泣いてくれる。けれど私は、だったら死体も遺さず跡形もなく消えてしまった方がまだマシだと思ってしまった」
 リーザはかすかに目を伏せ、繋いでいた手に自分の左手を重ねた。
 貼り付けたはずの笑みが、どうしようもなく歪むのを感じた。
「……おかしいよね。久しぶりにあなたに会えたら、今は死ぬのが怖くてたまらないのに、あのときは本気でそう思っていたの。覚悟できたの」
「リーザ」
「ごめんね。でもずっと寂しかった」
 繋いだ手で感じる彼の体温が、自分の名を呼ぶ彼の声が、たまらなく愛おしい。
 彼に会えて淡雪のように溶けて消えてようやく、この狂気は孤独だったのだと気づいた。
「どれだけたくさんの人に支えられても、あなたがいなければ、私は寂しくてたまらなかった」
 伏したリーザの目に、堪えきれない涙が滲む。
 待つのは平気だと思っていた。
 今回は長いだけだと。いつか必ず帰ってきてくれると信じていた。
 なのに、いつの間にか深く蝕まれていた。
 結局、リーザは待ってなどいなかったのだ。
 置き去りにされて、迷子になっていただけなのだ。
 何ひとつ納得なんて出来ていなかった。
「ねえ。どうして私を置いていったの」
 縋るように、なじるように、リーザはこの十年、己を苛んだ問いをエルクに叩きつけた。
「……君には、普通の生き方をして、幸せになってほしかった」
 困り果てた顔でエルクが小さく首を振る。
「バカ。私の生き方を、あなたが勝手に決めつけないで」
「ああ。──俺が悪かった。だからもう」
 泣くなよ。頬をそっとなぞる彼の指が優しくて、また涙があふれる。
「エルク。私も連れていって。私は、自分が幸せになる方法ならもうわかってる」
 絡めていた指を、きつくきつく結びつける。
「リーザ」
「私は、あなたと一緒に生きたい」



美徳絡み合う





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今後キャラクエでどの程度掘り下げが語られるかなぁとワクワクしながら、炎の盾の設立経緯とか黒騎士に対する認識とか、息をするように捏造を混ぜ込んでいます。今後メインクエやキャラクエで語られる前に書き逃げスタイル。
黒騎士については、トッシュがやたら本気で相打ち覚悟だったり、キャラクエでその可能性が示唆されていたので直感的にでも「気づいた」派です。この先ショーグンやめるらしいのも奪還作戦でスイレンが後継に開花プラス「やることができた」で譲位する未来妄想がはかどります。4章はよ。

R本編プレイ時はエルクリーザサニアの言動からエルクの失踪期間せいぜい数年程度かしらと思っていたのに、キャラクエだと復興初期に出ていったようで、これ書きながら改めて考えるとエルリー10年近く会ってなかったかもしれなくて愕然としましたがな。
だって黒騎士がアルディアの復興政府を町ごと消滅させた空白に帝国が台頭してくる前で、スメリアもミルマーナも復興を軌道に乗せるの最優先で余裕ない時期ってなると、それ大崩壊から一年経ってるかも怪しいやん…!
帰る約束もなしに黙って姿を消した恋人を、あてもなく待つ10年は想像を絶するかもしれない……
難民キャンプ代表はリーザの居場所にはなってたけど、英雄視されたり魔女と忌避されたり、パンディットやたまに訪ねてきただろう仲間の他に心は開けたのだろうかとか。あと現在のパンディットの行方とか。どんどん怖い想像になってしまう。

ところでサニアに自警団がいるようにトッシュに百鬼隊がいるようにイーガに僧たちがいるように、エルクにも炎の盾所属の部下系キャラとか来ませんかね? 4章はよ。


#アーク3は新聖柩のことも数年がかりで飲み込んで今は納得してるけど、チョンガラとチョピンのことはずっと心残りだったので、Rのシナリオに多少の難点があってもこの二人が元気で活躍してるってだけで嬉しくて結構許せてしまうんだな。最終的にRの歴史介入が御破算になって3の歴史に戻ってもこの二人には救いがあってほしいんだな。シルバーノアの損傷が修理可能レベルだったことや、黒幕が黒騎士と黒衣の聖母の器を盗んだらしいことも、大災害と大崩壊で地殻変動後の地形が全然違うから3とRの歴史は2ED後ではなく闇黒復活直前までに分岐したと考えればいけそうなので、黒騎士の中の人が最初にいつどこの何の歴史に介入したのか楽しみなんだな。4章はよ。 #ただアークRはゲームの良し悪し以前に、運営が告知でクリティカルなネタバレばらまいてきたり運営がイベントで非現実的な目標設定を打ち出してきたり運営が平謝りしたかと思えばまたやらかしたり、とにかく運営に心配要素が多すぎるので、自爆芸にリソース浪費する暇があったら本編進行に専念してほしいんだな。ぶっちゃけ個人的にはいっそ中核部はアナデンみたいにコンシューマーゲーライク貫いてくれて良いよ派。4章はよ。続きはよ。