あれはギアだ。
彼女は、ギアだ。
ギア。
――ギアとは、何だ?
− after: Quae est ista? −
「来ないで!」
自分の身体を抱きしめるように身を縮こまらせて俯く彼女の背で、青い女神と黒い死神からなる一対の翼は、彼女の拒絶の意思を力任せに表現する。
そう、力任せとしか言いようがなかった。
カイはすっと息を吸う。
人型であり人間並みの自我と知能を持っている時点で予測できたことだが、少女はギアの中でもトップクラスの能力を有している。潜在的にはあのジャスティスにすら並ぶかもしれない。だがその精神はあまりに稚く、戦い方も何もない。ただ闇雲に幼子の癇癪のように振り回しているだけの力は、確かに強大ではあったが、ひどく単調でしかなかった。
いや、振り回されているのは、むしろ彼女なのかもしれない。
彼女は怯えている。
剣を向けてくるカイに。
そして何より、自分が振るう力に。
「来ないでっ!!」
掠るだけでも無事では済まないだろう攻撃も、これほど直線的ならばかわすことは容易い。ばらまかれる氷の刃を適当にあしらって彼女との距離を一気に縮めれば、咄嗟に少女を庇って両翼が前に出てくるが、カイはそれぞれに雷を深く打ち込み組織を破壊することで一時的に無力化する。
単純な力の大小のみで戦いは決しない。もしそうであれば、人類は聖戦を生き残れはしなかった。百年もの間、ギアと戦い続けることすら叶わなかった。
ギアである彼女は強い。
だが、幼い彼女はひどく弱い。
両翼の守護を失った彼女は、がくりとその場に膝をついて、とうとう泣き崩れた。
「お願い……来ないで……もう、嫌なの……」
さすがに興奮気味なのか、静かに涙を零すでなく、小さな子供のようにしゃくり上げている。
今なら簡単に殺せるだろう。
じきに両翼は再生する。ギアの驚異的な回復力を考えれば、そう長くは掛かるまい。そうなればまた、両翼は自分を敵と見なし排除しようとするだろう。
敵。
地面を向いたままの重たい封雷剣の切っ先に、カイは視線を落とした。
あれはギアだ。
この少女はギアだ。
ギアは、敵だ。
ギアはヒトを殺す。
そのためにギアはつくられた。ジャスティスはそう言った。
兵器として、ヒトを殺すために。
ならば人の子供のように泣いている、彼女は何だ。
ギアとは、何だ。
「何故、当てようとしなかった?」
そう問いかける言葉を発すれば、彼女が、はっと弾かれたように涙に濡れた顔を上げた。
「私を殺すつもりで、撃ってはいなかっただろう」
「それは」
言葉を探しているのか、怯えたようにカイを見上げた真紅の眸が逡巡に揺れる。
そうして。
「……殺したく、ないから……」
消え入りそうな声で返ってきたのは、そんな答えだった。
「何故?」
この少女はギアだ。
ギアは敵だった。カイが生まれた時はもう世界は聖戦だった。ギアはヒトの敵だった。何人もの仲間を殺され、無数のギアを斃してきた。
ならば、ギアであるこの少女は敵なのか。
「だって……人を殺したら、私は本当に、ギアになってしまう」
コートの下にある硬い感触を、カイは左手で自分の胸に押しつける。
胸のクロスには今も、血の跡が残っている。
赤い血だった。ソルの血も、ジャスティスの血も。
あの時のジャスティスの言葉が、今も記憶に灼きついている。
ギアは。ギアとは。
「あなたは、今でもギアだ」
「私はギアみたいに人を殺したりしません!」
そんなことは、とっくにわかっている。
彼女は殺意を持たない。害意を持たない。けれど。
「あなたがどんなにそう思っていても、多くの人はそうは思わない!」
「ひっ──」
大音量で響いたカイの怒号に、少女が怯えたように息を飲む。と、びくんと痙攣のように身を震わせた青い翼がカイを睨め上げ、その手に氷の凶器を生み出した。
咄嗟にカイも、剣を持たない左手に雷を収束させる。
「やめてウンディーネ!!」
少女がほとんど悲鳴に近い声を上げながら、今まさに氷を打ち出そうとしていた翼の青い腕に飛びついて引き止めた。
だが。
「ほんの、弾みで……あなたの力は、あなたの望まないことを引き起こす……」
黒い翼から伸びた槍を斬り落とすと、カイはその場に膝をついた。喉の奥から血のかたまりがこみ上げてくる。
赤い、血。
「ネ、クロ……」
少女は愕然と、カイの腹部を刺し貫いた黒い翼を見つめている。
復活したのは青い翼だけではなかったのだ。
「あなたが、どんなに否定しようと、どうしようもなく……あなたはギア、なんです」
この少女はギアだ。
ギアはヒトを殺す。
そうギアはつくられている。
だからギアは敵だった。
ずっとずっと、敵だった。
ならば、ギアであるこの少女は敵なのか。
「あ、──ああっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!」
ならば今、人を傷つけて泣いている、彼女は何だ。
ぐらりと傾いだカイの身体を、少女が細い腕で抱き留めた。
「あなた、は」
ぽたりぽたりと落ちてくる雫を頬にぼんやりと感じて、カイは少女を見上げようとしたが、視界が焦点を結ばず、自分が何を見ているかもよくわからなかった。
傷口から血が止まらない。
急所は外している。致命傷ではない。
しかし、浅くはない。
血が止まらない。
たとい止めを刺されなくとも、治療を受けられなければ、失血で死ぬだろう。
「あなたは……」
意識が闇に溶けていく。
何かを言っている、少女の声が聞こえる。
この森で見つけた彼女は、この声で歌っていたことを思い出した。
あの時、ギアを殺せなかった。
ソルを殺せなかった。
ギアだった、ソルを殺せなかった。
殺そうと思えなかった。
そんなことを、思いつきもしなかったのだ。
ジャスティスの末期の言葉が、今も記憶に灼きついている。
クロスには今も、血の跡が残っている。
赤い血だった。ソルの血も、ジャスティスの血も。
ギアは敵だった。
ずっと敵だと信じていた。
ならば、この少女は敵なのか。
――ソルは、敵なのか?
ふと、目が覚めた。
「……生きているのか」
カイはゆっくりと、肺に溜まっていた息を吐いた。
見える天井は、どうやら木組みの小屋のようだった。肌に感じるのは、少しごわついた木綿の感触。あの森の中の広場から、自分は何処かに運び込まれたらしい。
ゆっくりと、今度は息を吸う。
上体を起こすことはおろか腕を動かすことすら重たすぎて億劫になるほど身体中に倦怠感が降り積もっていたが、黒翼に貫かれた腹部は、強張ったような引きつったような、曖昧な痛みを訴えているだけだ。この独特の感覚には覚えがあった。法力で傷の癒合を行うと、再生した皮膚が馴染んで傷口が本当に塞がるまで、こんな風に痛む。
「そう、か」
自分は彼女を殺せたが殺さなかった。彼女は自分を殺せたが殺さなかった。
そのことに安堵した。そして安堵している自分に安堵した。
ギアである、ソルを知って、彼女を知って、自分が思ったことは、為したいと思ったことは。
「名前、まだ……聞いて、なかったな……」
彼女と次に会えたら、まず自分の名前を名乗ろう。
それから、彼女の名前を聞こう。
そう思った。
Quae est ista, quae progreditur quasi aurora consurgens, pulchra ut luna, electa ut sol, terribilis ut acies ordinata?
雅歌 6:10
この乙女は誰か、曙のように現れ、月のように美しく、太陽のように輝き、恐るべきこと、旗を立てた軍勢のよう。
聖書、雅歌の第六章十節より。ラテン語です。
GGXの時間軸で[cross]の続編として考えていた物のスケッチ。
この後、遅れてソルが来てディズィーと戦い始めたりカイが乱入したりジョニーがちょっかい掛けたり、貧血でふらつきながら清々しい笑顔でカイが職権乱用したディズィーを逃がすための偽装工作を立案したり、ディズィーの保護者役を買って出たジョニーが二つ返事でその偽装工作に乗ったり、微妙にソル置いてけぼり食らってたり、したかもしれません。
あれ、なんだか[cross]と雰囲気違いすぎる?
GG2のカイやソルやその周辺は、とても楽しいことになっているらしいですね!