命を賭けていた夢は、潰された。
それは、死に等しいだろう?
「……いいのか?」
翌朝、さも当たり前のようにビッツは出発を促してきた。
「王都中の教会やら学者やら、全部、敵に回してきたんだろう? 幼なじみのよしみとして、俺ぐらいは見送ってやるさ」
あっさり言ってくれたその言葉が、私の考えなど見抜かれていることを示していて。
「……すまない」
ああ、こいつは昔からそうだった。
勘が良すぎるんだ、悔しいぐらい。
私自身わかっていないことでも、いとも簡単に気づいて。
本当に、笑える。
私は――きっと私は、こいつに別れを言いに来たのだろう。
この世界に、もはや夢などなかった。
|
聖地ファロースへの参拝者の一団に紛れ込んで上陸を果たせば、朝の祈祷のさなかにでも抜けだし、山頂へ向かえばよかった。道すがら現れるモンスターなどは当たり前だがさしたる障害にはならない。
「やはりおまえがいると楽だな」
少し離れたところから観戦し、バリルは悠々と言い放つ。実に器用に、刃で斬りつけることなく大半のモンスターを、しかも手早く片付けるビッツの手並みはさすがとしか言いようがないだろう。
「血のにおいでいたずらに集めることもない、後始末の必要もない、便利だ」
バリル自身も光晶霊術士であり、細身の剣をはいている通りビッツほどの技量には遠く及ばぬ物の剣技も修めてはいる。だが、凶暴な大角山羊などの肉相手はビッツに任すに限ると、もっぱら小さな賑やかしの相手ばかりをしていた。
不用意に斬りつけると余計に手間が掛かるだけなのだ。肉なんて斬っていては、脂であっという間に刃を鈍らせてしまう。いちいち手入れをするなど時間の無駄としか言いようがないではないか。
「おまえ、人を何だと…」
一撃で大角山羊を気絶させたビッツが、振り返りざまに呆れた抗議を上げてくるが。
「実に便利な、最高の友人」
「笑えん」
即答だった。
「それは残念だ」
この半生の運はビッツとロナに出会えたことでそのほとんどを使い果たしたのではないかと、内心では半ば本気で思っている。とても、言えるようなものではないが。気恥ずかしさよりも、己の後悔で虚しい。
「私のことはさしずめ、手の掛かる悪友といったところか? おまえには借りばかりだったしな」
本当にずっとずっと昔から。
「確かに貸してばかりだな。返してもらうことなんか、昔から期待していないが」
「手厳しいな…」
否定しうる要素が思い当たらないのもまた、情けない。岩山に刻み込まれた山頂までの道を進みながら、仰いだ空はセイファートリングが浮かび、そのさらに向こうにはセレスティアが霞む。
「セレスティア、か。着いた途端に蛮族とやらに殺されたりしてな」
「思ってもないくせに」
一言でもって切って捨てる、ビッツの言葉にバリルはやはり否定することなどないのだ。
「向こうが、インフェリアと同じように……社会を形成していたら、面白いと思わないか?」
セレスティアに対するインフェリア共通の認識は、レオノア百科全書に書かれている"蛮族の世界"そのままだ。誰も疑おうとしない。確かめる手段もなかったと同時に、疑う要素もないからだ。
「願望だろう。おまえの」
「まぁな。思っていたより王国は腐っていたんだな、王に疑いを覚えたら、何もかも疑わしい」
「すべてを疑ってかかるのが、おまえら学者の仕事じゃないのか?」
「笑えん皮肉だ、それは」
セイファートにまつわる神話の真相、または王権の正当性、それらを疑うことがそのまま不敬罪にとられかねない。
「セレスティアにも文明があって」
しばらく、バリルと同じように空を見上げていたビッツが、つぶやくように口を開いた。
「ん?」
「おまえが好き放題できれば、いいな」
「妙に引っかかる言い方だが……まったくだ」
もう、いられないから。この世界には。
「ついでに結婚もしてこい」
そんなことまでさらりとつけ足してくれるビッツに、バリルは渋面を向けた。
「…………痛いな」
たどりついた山頂には、十三年前のあの日から何一つ変わることなく、古代の遺跡が鎮座していた。
メルニクス文明の遺産たる石室。
「懐かしいな」
「おまえは最初以来だからな」
王立天文台に所属してからもバリルは何度か訪れていたが、ここ数年はその機会もないまま、研究は凍結されてしまった。残してきた資料がどうなるかはわからないが、鍵は、この手にある。
「これで…開くはずだが」
右中指に輝く陽の色を見つめ、石室のそばにある石碑の前に立った。それに刻まれた文字は、とうの昔に解読している。それが意味するところを気づくのに、長い年月を要してしまったが。
石碑に右手甲をかざして、バリルが軽く念を込めると一筋の光が走った。石碑がその光を受けると同時に、石の擦れ合う音を響かせながら扉が開かれる。奥から漂ってくるかび臭い空気に、閉ざされていた年月が物語られていた。
「さすが大晶霊のくれた指輪なだけはある」
隣から、バリルの中指に填められている、サンストーンにも似た石をあしらった指輪をのぞき込むようにしてビッツが感嘆をもらす。
「詫びにしては高すぎて、少し怖いがな」
大晶霊でも、永い時の中で気紛れを起こすこともあるのだろう。そうでなくて、どうしてあの高位の存在が人間に知れようか。
聖地に入り込んだ自分たちの前に、大晶霊は姿を現した。だけでなく、変な人間だと笑ってしまったお詫びだと、いつか役に立つこともあるだろうと、この指輪を授けたのだ。まさかその指輪がこの遺跡――"光の橋"の鍵だったなどと、授かったときには思いも寄らなかったが。
「大晶霊は、卑小なる人間の為すことなどすべてお見通しらしい」
圧倒されたと同時に昂揚感もわき起こる。数千年もの間、固く閉ざされ人を拒み続けていた扉が、今目の前に開かれている。
静かな闇をたたえる内部は、奥に淡く灯る石碑を唯一の光源としているだけで、幻想的とも呼べるその薄闇は墓所を思わせた。
それは、彼の心境がそう思わせているのかもしれないが。
石室に足を踏み入れると、二重の反響が耳朶を打つ。近づいてから初めて気づいた、中央に彫り込まれたセイファートの印に二人が達したところで、それは訪れた。
高い天井の、薄闇を切り裂く一閃。
虚空に現れたその眩い光は、見る間に膨れ上がる。
「まさか…」
石室中を照らし出す光は次第に人の形を取り、あふれる光の中から、純白の翼が二対、優美に開かれた。
女性を象っているが、人とかけ離れた神々しさをまとう、それは。
『ついにこの地まで来たな』
響いた声に、バリルは我に返るなり深く頭を垂れた。
「お目にかかれたことを光栄に存じます。光の大晶霊レム」
声の震えを押し隠すことなど、出来なかった。インフェリア有史以来その存在が目撃された例はあまりにも稀少で、半ば伝説じみてもいた、三根源晶霊を統括する大晶霊。それが今、目前に現れているのだ。
「どうして、光の大晶霊たるあなたがここへ?」
相も変わらずのビッツの冷静な声に、バリルは内心で憮然とする。彼らしいと言えば、確かにそうなのだが。
『私でも畏れないか。まったく、小気味よい人間だな』
光の中でレムがくすりと笑みをこぼしたように見えた。
『かつて我々はおまえたちにその指輪を与えた。その答えを訊くがために』
長身の二人からしても見上げる位置にいたレムは、音もなく高度を下げ、バリルを見据える。そして、光をこぼしながら、ささやくように静かに、問いを発した。
『おまえの望みは…かつてと変わらぬか?』