カンカンカン……
 吹きさらしの非常階段を革靴が打ち鳴らす音を引き連れながら、廃ビルの屋上へと上がる。
 ビルはあちこち苔生して荒れ果てていたが、崩れているところもノイズも見当たらない。屋上に張り巡らされた手すりも一部が多少歪んでいる程度だ。肘をついて軽く体重を預けたところでびくともしないくらいには健在だった。
「派手にやってるな」
 眼下に広がった廃墟の街並みを走り回る、子供とデジモンのコンビが三組。そのうち二組はよく見知った顔だ。
 すっかり荒廃していても建物の配置は本物と同じなのだから地の利はあるはずだが、すばしっこく小賢しい相手の動きに振り回されているのか、なにやら手こずっているらしい。
「行かないのか」
「行くわけないだろう」
 手もとのささやきに、小さく笑って言い返す。
「オレの出る幕じゃないさ」
 ようやっと相手のパターンを掴んだのか、それとも単に指示が行き届くようになったのか、見る間に三組の連携が機能し始めている。
 チェックメイトまであと少し。
 屋上からは、盤上の動きが手に取るようによく見えた。



 デジクォーツ。
 迷い込み暴れるデジモンをハントする、子供たちの遊び場。







over the game







「つっかまえた〜♪ つかまえた〜♪」
「やったなタギル!」
「やったぜガムドラモン!」
 今日もハントは大成功。さんざん走り回らされた疲れなんて一瞬で吹っ飛んでしまった。またデジモンが増えた自分のクロスローダーをしっかり握りしめ、タギルは鼻歌まじりに袋小路から外に出る。
「タギルー、帰るぞー」
「はーい!」
 そのままタイキたちのところへ合流しようと駆け出した、その時。
「ん?」
 聞こえたのは風を切る、かすかな音。
 ぱっと赤い空を振り仰いだタギルの視界を、通り一本向こうのビルの上を、何かの影がかすめていった。
「あ、飛行機だ! ──あれ、鳥だ?」
 思わず叫んでから、タギルは首を傾げる。最初は小さな飛行機だと思ったのだが、なんだか飛行機にしてはちょっと形がおかしい気がする。どちらかと言えば翼を広げた大きな鳥のように見えた。
「飛行機ぃ?」
「はあ? 何わけのわからないこと言ってるのさ」
「ほら、あれあれ、飛んでるやつ!」
 見当違いの方を見ているガムドラモンと憮然としたユウに、タギルが腕をめいっぱい振り回しながら空を指差す。
「それじゃ、どこ指差してるのかわかんないよ」
「どうしたんだよ、二人とも」
「タイキさん、あれ!」
 にわかに騒ぎ始めた二人をただ待っていても埒があかないと、タイキも訝しげに近づいてくる。と、回転を止めたタギルの手が、すっかり遠ざかってしまったシルエットを指し示した。
「あれは……」
「ありゃメイルバードラモンじゃねえか」
 隣でシャウトモンが軽く驚きの声を上げて、タイキは目を瞠る。
「見えんの?」
「ぎりぎり見えたぜ」
「めいるばー……? ってことはデジモンだな!」
「タギル、ハントか!?」
「おう、ハントだ!」
 そのまま息ぴったりで走り出そうとしたタギルとガムドラモンの首根っこを、タイキとシャウトモンがすかさず捕まえた。
「待てタギル、いいんだ、違うから」
「へ? 違うの?」
「違うのか?」
 きょとんと動きを止めたふたりは、同じタイミングで目を瞬かせ同じ角度で首を傾げる。
「違うよ、ちゃんとジェネラルいるし。手を出したりしたら返り討ちだぞ?」
「強いんだ」
「ああ、あいつら強いぜー? オレとタイキの次くらいにな」
「へー」
「王様たちの次!?」
「なーにビビってんだよ」
 素直に感嘆の声を上げるタギルの横でガムドラモンがぎょっと悲鳴のような声を上げたものだから、シャウトモンが声を立てて笑った。
「タイキさん」
 その賑やかさに紛れるような小声で、タイキの隣に並んだユウはかすかに訝る色を声に乗せた。
「さっきの、キリハさんですよね」
「だろうな」
「何かあったんでしょうか」
「あいつは何かあったら言ってくるよ」
 だから大丈夫だとユウに笑い返してから、タイキはキリハとメイルバードラモンの消えた空を見やる。
 赤い空はいつも薄暗い。それは日が傾いた夕暮れ時とは別の薄暗さで、眩しくない太陽が空にある薄暗さだ。
 デジクォーツの、人間界ともデジタルワールドとも異なる空。
 キリハが何も言わないなら、何もないということだ。
 最初に奇妙なデジクォーツのことを知らせて、再会を知らせて、そして彼のXローダーにも道を開いてもらったときのように。
 だから彼は、盤上に自軍の駒を置かない。
 今はまだ。



 キリハがこちらを見たまま足を止めて、ほんの少しだけ目を瞠る。
 気づいたことに気づいたと言う代わりに、タイキはひらりと手を振ってみせた。
「近くにいたなら声くらい掛けろよなー」
 駅の改札脇でまるで待ち合わせしていたかのような様に、キリハは憮然とした顔でしかし改札を通り過ぎることなく隣に並んだ。
「何がだ」
「昨日のあれ、キリハだろ」
「たまたま通りがかったついでに、一度くらい見ておこうと思っただけだ。騒ぎになっていたしな」
「タイムシフトまでして来てたんなら、ちょっとくらい手伝ってくれてもよくないか?」
 街中で逃げ足の速い相手を捕まえるとなれば頭数が欲しくなるのは当然で、キリハがそれをわかっていて傍観に徹していたこともお見通しだとばかりにタイキは軽く睨みつけるが。
「制服が汚れたら面倒くさい」
「だったら制服のまま遊び歩くなっての」
 平凡な公立中学の私服通学しか知らないタイキに、キリハの制服も有名私立中学も未知の世界だ。勝手のわからないまま強くは言い返せなくて、タイキの側はしぶしぶおもちゃの矛を収めるしかなくなる。
 逆に、キリハがにやりと意地悪く笑った。
「そんなことを言うために待ち伏せてたのか? おまえこそ今日は子守りはいいのか」
「大丈夫、おまえがこの時間に通るってメイルバードラモンに教えてもらってきたから。っていうか子守りって何だよ」
「あいつ……」
 思わずキリハは半眼で呻くも、昨夜のうちにデジタルワールドに戻ってそのままなので今は文句も言えない。それに言ったところでどうせ悪びれることもないだろうから腹を立てるだけ損だと割り切って、意識をタイキに戻す。
「ユウはともかく、ずいぶん賑やかなコンビがいただろう。こっちにまで大声が聞こえてきたぞ」
「あー、タギルとガムドラモンか」
 廃墟になっていることをのぞけば本物の街並みとそっくりなデジクォーツは、ハンターの子供とデジモンだけが音を立てるので、本物と違ってひどく静かだ。その意味であのふたりの騒がしさは、さぞ存在感があることだろう。
「手を焼いてるからってオレを巻き込もうとするなよ」
「そんなんじゃないって」
 ときどき血気にはやって暴走してしまうこともあるだけだ。
「でもそっかあ、やっぱり見物に来ただけかあ」
「子供の遊び場を荒らすような、無粋な真似をする気はないんでな」
 ふっとタイキの表情から笑みが消える。
「……子供の遊び、か」
「ルールがあるうちはゲームだろう。最初にそう言ったのはおまえだ」
 デジモンハントにはルールがあって、ハントに参加するハンターにはルールブックが渡される。その中にはマナーとしてプレイヤーに遵守を求められたルールもあるが、デジクォーツの性質としてなのか強制的に適用されるルールもあった。一度にリロードできるデジモンの数や、デジクロスに制限が掛けられているのがその最たるものだ。ゲームバランスを維持するためにか、それとも何か別の理由が隠されているのか、ゲームの参加者は戦力を、ルールによって封じられている。
 それでも強すぎるタイキたちクロスハートの存在は、謎の老人の懸念どおり大いにゲームバランスを狂わせていることだろう。後輩のお目付役を買って出ているだけで、ハントそのものに競争意識を持たずサポートに徹し、デジモンが引き起こす騒動を収めて保護することに重きを置いているから、まだゲームとして成り立っているようなものだ。
 そんな今の盤上に、キリハの担うべき役はない。
「ゲームでいられるうちは戦争じゃない。それとも何か気になることでもあったのか」
「何もなさすぎて薄気味悪い、かな」
 タイキとシャウトモンの参加は一石を投じれたかもしれないが、その波紋はおそらく消えかけている。時計屋とかいう謎の老人もあれきり姿を見せない。クロスローダーをばらまいている理由もわからない。
「おまえをエサに炙り出せないなら、オレが増えたところで変わるとも思えんがな」
「うーん……もっとウザがられるかと思ってたんだけどなあ」
「そのうち嫌でも動くさ」
 デジモンハントがゲームならば、ゲームを始めた目的があるはずだ。
「焦るなよ。足をすくわれる」
「ああ、わかってる。このゲームはいつか終わる」
 まだ見えない先を見据えて、小さくても強い語気でタイキがささやく。
 人間界ともデジタルワールドとも異なるルールに支配された、紙一重の異空間デジクォーツ。そこにデジタルワールドからこぼれ落ちて迷い込むデジモンたち。彼らをゲームのように捕まえる人間の子供たち。
 何者かが仕組んだこのゲームの盤上に並んでいるのは、しかしゲームの駒などではなく、命を持ったデジモンと人間なのだ。
 ──もしこのゲームが引っくり返されてしまったら。
「きっと戦争になる」
 その先は、言われるまでもないことだった。
 キリハは口の端に深く笑みを刻む。
「そうなったら下らないルールを創ったゲームマスターごと、敵を蹴散らしてやるまでだ」



 そこはもう、戦場だ。







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デジモンハントはルールブックとか人為的な箱庭っぽくて、今の平和が逆に不気味。
ワイズモンが自由に出入りしている気がするのでタイキのXローダーとデジタルワールドは行き来できるんだと思い込んでます。人間界とデジタルワールドの時間の流れ? デジタルクライシス以降は同期しててもいいよね?

デジクォーツのルールでも、タイキとキリハでダブルクロスまでいけるよね。バリスタモンとドルルモンをユウとタギルに預けたら、きっとグランドクロスまではいけちゃうよね。キリハ加わったら戦力激変すぎるよね。単独でも結構な火力バカだし、バランスブレイカーどころじゃ済まないよね。ご町内トラブル篇やってるうちはゲスト呼んでもらえないのも仕方ないよね。って思い込まないとやってられないと思ったんだ。キリハ以外は再登場?となったとき。
いつか本当に蹴散らしにきてくれないかなーという願望を多分に含む。折り返しの黒幕やら強敵やら登場時に救援とか。終盤ならタイキと二人で漫画版のロイヤルナイツみたく大量のそこそこ強い雑魚を相手取って「おまえたちは先に行け!」役とか。