独りじゃないから。
耐えることは出来る。
でも。
――吹っ切ることなんて、出来ない。




明けの月
- Daylight -




「久しぶり。……変わりはないようだね」
「お久しぶりです、シフォンさん。こんなところでまたお会いできるなんて、思ってもみませんでした……」
 ルックとフッチがそう声をかけた。シフォンに。
「…………」
 シフォンは少し驚いたように微かに目を見張って、川面からひゅっと糸を上げる。そして、二人を交互に見やったかと思うとおもむろに、
「ルックはともかく……もしかして、フッチ?」
「はい」
 引き上げた糸を、そちらには目を向けないまま、絡まらないように器用に片づけてしまうと、彼は釣り場の縁から立ち上がった。
「そっか……そうだよね……三年、だものね。ホント、久しぶり」
 感慨深いそのつぶやきに、微かに淋しげな色が混じるが、
「爺臭い」
 すかさず入った容赦ない一言に、シフォンは微苦笑をして肩を落とす。もしかしなくても"ともかく"扱いしたことに機嫌を損ねたらしいことは明らかだ。
「中身ばっか年食い過ぎたんじゃない?」
「……それはお互い様だろ」
「君ほどじゃないよ」
 半眼で睨み上げてシフォンが言い返すが、ルックは素知らぬ風に肩をすくめる。あいかわらずだなと薄く笑みをこぼして、そこでぼんやりとこちらを見ているままのセファルに気がついた。一番最初に声をかけてきたはずのその少年は、今は呆けたようにこちらを眺めている。問うように向けた視線にはっと我に返るが、どこか浮かされたような表情は消えなかった。
「僕は――セファルといいます。あ、あの、シフォンさんって」
 しかし、そこへ慌てた声が飛び込んでくる。
「ぼ、ぼっちゃ〜ん!! た、大変なことになりました!!! とにかく、こちら――あれ?」
 緩く束ねた金髪を揺らし、大慌てで戻ってきた先ほどの男性は、この場にいる面子を見た途端呆気にとられて立ちつくす。
「あの……どうしてルック君が?」
「僕がいたら悪い?」
「いえ、そういうんじゃないですよ。当たり前じゃないですか。単に驚いただけです」
 さらりと返された言葉に、ルックが呆れたため息をつく。言い返す気にもならない。それに一笑して、フッチも彼の前に立った。
「お久しぶりです、グレミオさん」
「え? ああ、フッチ君ですか! ああ、大きくなりましたねえ」
 律儀に軽く頭を下げたフッチにも、彼――グレミオは先ほど慌てて戻ってきたことをすっぱり忘れたように――しっかり忘れて、笑顔で言葉を返した。それにはシフォンもあさっての方を向き、深々と嘆息する。
「ところでさ、何かあったんじゃなかったの?」
 どうしようもないなとばかりに、ルックが話を戻してやると、
「あ、そうなんです! 大変なんです!!」




 宿屋に駆け戻りながらグレミオが端的に伝えたのは、コウが、お芝居ではなく本当に峠の山賊にさらわれたということだった。宿屋に入ると、重いため息が渦巻く中でぴんと張り詰めた空気がひやりと首筋を撫でる。
 帰りを待ち構えていたカミューが戻ってきたマイクロトフと目配せをかわす。そして次にセファルへ。
「セファル様」
 冬の空気のように乾いた中でセファルは一つ頷くと、
「申し訳ありません。今回のことは、僕らにも非があります」
 言った途端、わかりきっていたことだが刺すような視線がそそがれる。ここには、騒ぎを聞きつけた普通の村人もいるのだ。そんな視線を一身に受け、だが平然としているセファルを、ナナミの方がおろおろと見ていた。
「ぼっちゃん……?」
 村人たちを刺激しないようにか、聞き取られないほどの小声を後ろに聞いてセファルは目だけでそっと振り返る。グレミオに肩を抱かれているシフォンが、自分の右手を左手で強く抱きしめ、愕然と目を見開いているのが目に入った。と。
「シフ」
「……っ」
 彼の隣で、眉をひそめて何かを言いかけたルックをさえぎるように、ひどく曖昧に唇を開いてシフォンは何かをささやくが、それはセファルにまでは聞こえなかった。ただ、フッチが哀しげにうつむき、ルックはひどく不機嫌そうに目をそらしたのが、なぜだか気にかかる。
「大丈夫ですよ、ぼっちゃん。ソウルイーターは、テッドくんとそのおじいさんが守ってきたものです。悪いものじゃないはずです……だから」
 そして、微かに聞き取れたそのグレミオの言葉に、セファルの胸の裡に冷たい何かが滑り落ちた。
 それを振り払うように小さく首を振って、身体ごとそちらへ向き直った。
「山賊たちを追いかけます。でも、僕らはその山賊たちを見てないんで、出来れば…」
「もちろん、御一緒しますよ」
 顔を上げたシフォンも、薄く頷いた。




「そういえば、あなた方の御名前、まだ聞いていませんでしたね」
 村を出て峠道にさしかかり、むやみに走っていられなくなったところで、はたとグレミオがそう言った。かって知ったる峠のことだからと、追跡能力的にも申し分のないサスケが先行して山賊の足取りを確かめて進んでいる。
「あっちからマイクロトフ、カミュー、ナナミ、セファル。あの、フッチと一緒にいるヤツはサスケ。で、あれはグレミオで、こっちはシフォン」
 時間をかけるのも無意味と言わんばかりに、ルックがそれぞれ順に指差しつつ、畳みかけるように名前を挙げていった。フッチがサスケの方に行っていたので、残ったルックが間を取り持たざるをえなかったのだ。面倒くさそうというのが表情でありありと知れる。
「ティンランの噂ぐらい、知ってるよね」
「では……」
 グレミオが目を見張り、動かされたその視線がセファルの上で止まる。宿屋でのやりとりを見ていればしかるべきである。
「そう、同じ。――あのときと」
 なんの感慨も込められてないような素っ気ない言い方で、ルックがシフォンを見据え、つぶやく。
 ――門の紋章戦争。今の都市同盟とハイランド王国の争い、それと様々な意味で似ていると称されている、三年前に現トラン共和国であった解放戦争の史実上の呼び名である。その共通点は数あれど、最たるものは、天地108星宿が集う器であるということではないだろうか。それを束ねる星に選ばれたのが、真の紋章を宿した、未だ幼さを残す少年であるということと共に。
「やはり……シフォン=マクドール殿、ですか……?」
 少し掠れたマイクロトフの問いかけに、複雑な苦笑を滲ませたグレミオの首肯が返される。マイクロトフはもちろん、これにはカミューも目を見張る。
「なら」
 トランと同盟を締結しに行った際、三年前のことは端々で顔を出してきた。ティンランの内部にも、解放軍に参加していた者は数多い。聞きだそうとする側の筆頭は、セファルだろう。さすがに気まずすぎる雰囲気になってしまうごく数名をのぞいて、機会あれば訊ねていた。
「君たちが想像しているとおりだよ。トラン建国の英雄、とでも言えばいい」
「なんでそんな言葉をわざわざ」
 ルックの言葉にシフォンが苦笑を張り付かせる。
「わざとだよ。嫌がらせとでも思ってくれていいから」
「……そんなに怒った?」
「まさか。こんなところで日陰者みたいにしてて、いったいどういうつもりなのさ?」
 ちくちくと露骨に向けられる棘を、あっさりとシフォンはかわし、
「そんなつもりじゃないんだけど」
「なら――ああ、これね」
 ついと、揃って向けられた二人の視線がグレミオに突き刺さる。
「え? 私が何ですか?」
 しかし、
「馬鹿馬鹿しいからさっさと片づけようか」
「そうだね」
 沈みかけるたび、なにかしら逸らして浮上する。それの繰り返し。どこか不思議な感じを、セファルはその中に覚えていた。




 ――死の呼び声――死神の嗤い。
 その死と引き替えに、生を得る。
 糸を引かれるようにソウルイーターを解き放ち、するとそこへ、共鳴とも反発ともつかない"痛み"と共に、同種であり異種である力が重なった。
 その力を受け、ぼろぼろに崩れて大地に還っていく巨大蛾の死骸を見、次に隣でやはり茫と突っ立つ彼を見る。未だ力の発現の残滓のように、きっちりと手袋をはめた右手甲の上に光が痕を残している。きっと、それは自分も同じだろう。
 ――償いの代償――許しの微笑。
 その命を捧ぐことで、安息を得る。
「なんとかなりましたね、ぼっちゃん。でもコウ君が……」
 余計なことはなにも言わず、コウのそばに膝をついたグレミオが意識をそちらへ集める。コウは熱に浮かされて、息が荒い。先ほどの毒蛾の鱗粉を吸い込んでしまったのだろう。
「ここからバナーに戻るよりも……」
 バナーのような小さな村に、この毒に対処できるほどの薬師はいないだろう。だが、グレッグミンスターまで行けば確実に。
「そうですね、リュウカン先生なら」
 振り返りささやくように言ったシフォンの言葉に、善は急げとばかりにグレミオがコウを抱いて立ち上がる。
「え、え? どうするの?」
 忘我に近かったセファルの手を引っ張って、ナナミが声を上げる。
「グレッグミンスターに行くんだよ。リュウカン先生なら確実だから」
 穂先に付着した毒々しい鱗分を振り払いフッチが言うと、合点がいったようにサスケは頷くと、
「なら、近道通っちまおう。国境のすぐ前に出る」
「里の抜け道ですか?」
「三年前にも使われた、由緒正しき脱出路の先っぽ」
 マイクロトフと同様抜き身のままの剣を提げたカミューの言葉に、そのときにそこを通ったのであろう彼は茶かしを入れた返事を返した。
 近道を抜けて、道なりに行けば一度回り込まねばならない国境の門へほぼ直線に近い距離であっという間に出ると、そこからグレッグミンスターまでは、以前セファルたちが盟約を結びにいったときのように馬車で護送されることになった。国境警備の隊長はシフォンとグレミオの姿にひどく驚いて、そしてとても喜んでいた。今、御者台に着いているその彼も解放軍時代の宿星の一人だったというのは、セファルたちは後になって知ったことだが。
 急いでグレッグミンスターへ走る馬車の中で、セファルがこっそりと、向かいの列の最後部にいるシフォンに目を向ける。
 馬車の最後部に、コウを抱いたグレミオと向かいでシフォンが席を取っていた。シフォンは扉のある側で、その隣にはそれが疑う必要も理由もないようにルックがすぐに着いている。ルックの向かい、つまりグレミオの隣にフッチが、その隣にはそのままサスケが入ってしまい、セファルはそのさらに隣でナナミと並んで座る――なので、カミューとマイクロトフがその向かい、扉の脇なのは言うまでもない――ことになってしまってた。そんな事態ではないだろうという思いもあるが、とりあえず気軽に声をかけられる距離ではない。
 シフォンは右にある板の段に頬杖を深くついていて、前を見ていなかった。カーテンの引かれた、後部の小さな見晴らし窓の方へ顔を向けている。双眸をうっすらとだけ開いて、その姿は苦しげにも見える。
「ぼっちゃん?」
 さすがに気になったのか、息の荒いコウを支えなおすと、グレミオが心持ちシフォンの方へ身を乗り出す。
「……なんでもない」
 シフォンは気怠そうに顔を上げると、それでも心配そうにグレミオが引き下がったときにふと、セファルの方へ目を向けた。だがそれも一瞬だけで、すぐにもとの態勢に戻る。今度はその目を固く閉じて。
「……」
 そんなシフォンへ、ルックが冷ややかとも見える一瞥を送ったのに気づいたのは、向かいにいるフッチとサスケ、それにカミューぐらいだったろう。その中で、フッチだけが表情を憂いに曇らせ、うかがうように二人の方を見ていた。




「シフォン殿……何故……」
 顔を伏せたままひたりと口を閉ざし続けるシフォンと、その彼に大統領の座を――そこにあるべき人物に返そうとするレパンドと。おそらく無駄で終わるだろう説得だと、憮然とした面持ちで見向きもしないルックや、困ったように沈んだ苦笑で見ていたグレミオとフッチは確信している。
 セファルは、いくらか下がったところで、この空間をどこか遠く眺めていた。
 トラン共和国首都――グレッグミンスター。黄金の都。三年前は、一時荒廃したものの、今ではかつての――いや、それ以上の栄華を誇っている。それは戦いの末にある――未来?
 セファルがここに来るのは二度目、前は同盟を締結するために訪れた。そのときはルカ・ブライトとの決戦が間近だったので余裕がなかったが、今改めて見ると、いろいろと見えてくるものがある気がする。
「どうされました?」
 別に主客ではないので、ぎりぎりに潜めた声でそっとカミューがぼうっとしているセファルにささやきかける。すかさずマイクロトフが咎めるような視線をちらりと送るが、公式の場でさえないのだからと、カミューはまったく取り合わない。
「うん……戦争が終わったら、都市同盟もハイランドも、こんな風に落ち着くのかなって……」
 灯りに満たされた城内と、窓の外の明るい夜と。
「そうですね……ですが、勝手には落ち着きませんよ。戦乱の後では、誰かが中心となって平定する必要がありますからね」
「戦いの後、かぁ……」
 上の空のような、だが何かを見ている声音で、セファルがつぶやいた。戦いの終わった後。思い出すのは、ゆっくりと時が流れていたキャロでの頃――
「セファル?」
 ぼんやりとしていたセファルの目前に、ぬっとナナミが顔を寄せる。
「ぅわっ?」
「なにぼ〜っとしてるの? 早く行こ」
 え?と視線を上げると、シフォンとグレミオ、ルックが目に入った。
「久しぶりですから、存分に腕を振るいますよ」
 にこにことグレミオが言った意味がすぐに理解できなかったので、傍目にはセファルがきょとんとした顔をしたように映ったのだろう、ルックが苛立たしげに口を開く。
「なにも聞いてなかったの?」
「これからシフォンさんの家に行くんだよ♪」
 明日になれば毒を吸ったコウの治療も終わるからと、遅くもなっていたので今夜はシフォンの屋敷に泊めてもらうことになったというのだ。シフォンやグレミオにとっても、三年ぶりの帰宅となるらしい。
 正門に続く城の中庭に出たところで、ふっとシフォンが顔を上げた。
「…………」
 風が吹き――見つめた先は、遠すぎる、空。






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