リユウ?
――そんなモノが在るのなら。
それは、きっと。
とてもとても、驚くほど単純なことなのだ。
夜明けの月
- Midnight -
瀟洒な館の並ぶ中、ひときわ優美なそれがマクドール邸――シフォンの生家だった。夜の帳に仄かな蒼を映す白亜が、透き通るような夜気の中にたたずんでいる。
「僕には理由があるから……」
主がいない間この屋敷を守り続けていた、一人の女性の問いかけに、セファルは我知らずそう答えていた。
理由? そんなものが?
夢のように、けれど夢ではない、近くて遠い光景を眠りの中で見るようになったのは、いつからだったか。セファルがジョウイを"見る"ように、ジョウイもセファルを"見る"のだろうか。
ルカ・ブライトが死んだ。すべての元凶だった人間が。
なのに、終わらない。――終われない。都市同盟――ティンランとハイランドの争いが、まだ続いていく。セファルとジョウイの立つ場所は遠く、一緒にいることが出来ていない。
では、その理由は?
近かったはずの君は、今、どこを、なにを見つめているの?
「君は強いのね。どこか、あの頃の――三年前のシフォン様に似ている気がする……ああ、変なことを言ってごめんなさい。ありがとう、セファル君」
痛みを内包した苦笑を残し、クレオは部屋に戻っていったが。
「……わからなく、なっちゃったのかな……」
だから、気になった。
――似てると――シフォン=マクドール――トラン建国の英雄と、似ていると。
そう言われたのは初めてではない。
だが、ビクトールなどが言うときは決まって酒とふざけの入った場所で、それもごくごく稀にだけで、とかく真剣さを持ち込むと誰も彼もがその口を重く固く閉ざす。フリックに至っては、時にはその場から逃げ出すこともある始末だ。だが、言われた側としてはそれはとても気になる。最初は、そんな程度の興味だったのだ。少しずつ知っていくうちに、知りたい気持ちは強くなって。ついに偶然とはいえ出会えた今、それまでとは違う――これは、なんだろう?
「……――」
唇を震わせたつぶやきは、閉ざされた闇に溶ける。もう、届かぬ呼び声。
ジョウイが遠くに行ってしまった。
ジョウイが一緒にいない。
だから。彼を追いかけるために、大切な家族だから、なにより手放したくない空間を取り戻すために、軍のリーダーも引き受けた。遠いところに行ってしまったジョウイに追いつくために。妙に冷めた脳裏が、お互いがお互いを利用しあってると嗤うのにも、もう慣れた。
「似てる、か……」
真の紋章の持ち主。解放軍を率い、革命を成し遂げた者。後ろ姿がぼんやりとだけ、自分の目には映っていた、その人物。
――僕は、いろいろと知りたいことがあるんだろうな……
けれど、霧を掴むように形を得なくて、それはまだ明確な言葉にならなかった。
「あれがトランの英雄なんだな……」
どさっとベッドに仰向けに倒れ込み、サスケがつぶやいた。
「なんか、思ってたのより」
「より?」
ベッドの上に座って、壁にもたれかかっていたフッチが先を促す。
「若い」
よくよく見ていると何故か、いまいちそれであっているのか疑いたくなるのだが、第一印象ではセファルらとほとんど変わりなく見えた。自分よりもほんの少し上ぐらいに。
サスケもグレッグミンスターに来たことは何度かある。だが、解放後に初めて来たときはすでに、リーダーだったシフォンは姿を消して久しかった。当人をその目で見たのはこれが初めてである。
「仕方ないよ」
なにがと訊きたくなったが、訊ねる前にフッチが答えを続ける。
「シフォンさん、真の紋章持ってるから」
十一歳までとはいえ竜洞にいれば、それがどういう意味なのかは目の当たりにしている。真の紋章がもたらす不老は。そして、忘れてもいない。シフォンの紋章のことを。
「じゃ、じゃ、今、あの人何歳なんだ?」
四つん這いに起きあがってこちら側に身を乗り出してくるサスケに、
「多分……十七か十八だよ」
三年。短いようで――長いようで――
「へえ……ルックのヤツみてぇ」
見かけと、実年齢、ひいては纏う雰囲気の落差がだ。ルックの見た目も、シフォンのように流れた時間をきっちり刻んだようにはとうてい見えなかった。あくまで見た目だけは、だが。
「そういえば……そうだよなぁ」
言われて思い出したが、あの二人が揃っているのを見ていると、三年前に戻ったかのような錯覚すら感じてる。フッチが解放軍にいた間は、彼らといることが一番多かったような気がするのも手伝って。
自分が三年前に見ていた二人と、同じようで――違うようで。
でもきっと、同じなのだろう。
「なあ、なんか、変じゃねぇか?」
「なにが?」
「おまえも。ルックも。どうかしたのかよ?」
ずばりと訊ねられ、フッチの目が泳ぐ。
「……そうかな?」
「おまえは上の空だしさぁ、ルックのヤツ、なんかいつにも増して苛ついてるぜ?」
否定できる覚えがなく、フッチはそのまま言葉に詰まる。そのまましばらくしてから、がくりと肩を落としため息をもらした。
「そうかもしれないや。きっと、シフォンさんに会えたからだよ」
そう言って、苦笑する。
「シフォンさんとルック、仲いいからさ」
仲がいいという単語にサスケは思いっきり眉をひそめ、信じられないといった顔をした。
「マジかよ?」
「大マジだって。そばでずっと見てればわかると思うけど」
つまり、一見では仲がいいようには見えないようだ。それでも、仲がいいというのだからいいのだろう。形などはいろいろある。しかし。
「それでどうして、あいつの機嫌悪いのとが結びつくんだ?」
普通は逆ではないのか?
「サスケってさ、親友って言える友達、いる?」
「……ヤな質問だな、それ」
フッチの言葉に、サスケが顔をしかめる。
「へ?」
「そーゆーおまえはどうなんだよ、えぇ?」
薄闇でよく見て取れないが、まさか。
「ああ、うん。ごめん」
フッチは誤魔化すように笑いながら軽く流す。サスケもやぶ蛇になるのを恐れてか、それに突っ込むことはしなかった。そして、
「で、どーしてあいつ機嫌悪いんだ? こっちにとばっちり来たらたまんねえぞ」
「それは大丈夫だと思うよ、神経逆なでさえしなければさ」
先ほど扉の開く音がした隣室を肩越しに見やり、
「なんか知ってんのか?」
疲れたような顔色。
そして、あの言葉。
導き出される記憶。
「ん……心配、なんだと思う……」
いらいらする。
――誰が――誰に――何故――?
小さな灯りだけの廊下を、目的の部屋に向かって早足で進んでいく。その足が、ふと、止まった。
「夜更かしは感心しませんね」
どこかおどけたように、廊下から張り出した小さなテラスにいた彼が微笑んだ。まだ夜更かしと言うほど遅すぎる時間帯ではない。
「……なに、言いたいことでもあるの?」
神経質な声で、ルックがカミューに言い返す。カミューの方はその棘をあっさりと横に流し、
「いえ。ただ……気にならないわけでもないですけれどね。解放軍に関わっていた者の誰もが口を重くする、三年前のことは」
睨みつけているルックの目が、すっと細められる。
「誰よりもセファル様が、そうでしょう?」
どうやらあなたは、セファル様のことをよくは思っていないようにも見えますが。
そんなリーヤン内では決して言えないような一言を、カミューはさらりと続ける。本当のところ、自覚はともかくそういうわけではないらしいのは、今日ではっきりしたのだが。
「何を聞きたいって言うのさ? ……聞いたところで、どうしようって言うんだよ」
ルックは忌々しげに吐き捨てるように言った。視線には敵意にも近い色が差している。
「それは、シフォン殿を慮って?」
余裕の笑みを崩すことなく言ったカミューのセリフに、ルックが口の端を歪める。
「――あいつを? さあね」
ふんと鼻で笑うと、斜に構え、
「でも、そうだね……だったら、どうする?」
「どうもしませんよ。知りたかったことは十分わかりましたからね」
いきなり忍び笑いをもらしたカミューに、ルックは一瞬呆気にとられ、
「……もういい。馬鹿馬鹿しい……」
うんざりとした面持ちで肩に掛かりそうな自分の髪を荒々しくかき上げると、廊下の先へさっさと行ってしまった。のせられてしまったことに、そしてそれに気づかなかったことに腹を立てて。
「これは報復されそうかな……」
少し調子に乗りすぎたかという念も浮かびながら、あの性格も口も甚だ悪いと言われている少年の、意外な一面を見たような気がしてやはり笑みがこぼれた。
「カミュー?」
少年を見送った闇の方からふとかかった親友の声に、カミューは軽く手を挙げて答える。
「なにを話していたんだ? かなり……不機嫌そうだったが」
すれ違ったのだろう。困惑気味にしきりに後ろを気にしている。ああも怒りを露わにしている様はそうそうなかったからだが。
「ちょっと、な……改めて、思ったよ。あのとき、おまえと一緒の道を選んでよかったってな」
いきなりなにを言い出すんだとばかりに訝しげに眉をひそめるマイクロトフに、
「独りだと、世界中に目隠しされているようなものじゃないか」
「セファル!」
声とともに強く肩を掴まれ、セファルははたと現実に立ち戻った。
「……何、ナナミ?」
「何、じゃないよ、もう。なっかなか戻ってこないから探しに来たんだよ。ねえ、セファル、何か」
「ナナミ?」
急き立てられたようにまくしたてる義姉に、セファルが怪訝に首を傾げる。と。
「……ううん」
そこで言葉を途切れさせ、セファルをのぞき込んでいたナナミは隣に並んだ。
「なんだか、バレバレかな?」
ナナミは薄く、困ったような色の笑みをつくると、
「ジョウイ……どうしてこうなっちゃったんだろうね……」
誰も、そんなこと望んではいなかったのに。
あのときだって、二人とも真っ白な顔で、でも目だけが今にも泣き出しそうだったのに。
「ねえ、セファル……変わらないよね?」
いつもとはまるで違う、ずっと不思議な笑みを湛えてそう言ったナナミに、セファルが怪訝に振り向く。
「子供のときに、約束したよね。私たち三人、ずっと一緒だって……変わらないよね」
「ナナミ……?」
「大丈夫だよね。うん。どんなトコにいたって、セファルはセファルでしかないし、ジョウイはジョウイでしかないんだものね。変わらないよね。セファルも、ジョウイも――」
"お姉ちゃん"が、怖い夢を見て泣いてたときみたいに笑っていた。
巡る星を、切に見つめて。
「なんなんだよ、ずっと押し黙ってさ」
懐かしい我が家の懐かしい自室で、ベッドに腰掛けたまま額を壁に押しあてているシフォンに、ルックが苛立たしげにも聞こえる声音で声をかけた。カーテンも開けっ放しの窓から清かに射す月影だけが、この部屋に光をもたらしている。
「……別に」
シフォンはその漆黒の瞳を伏せ、窓際で腕を組むルックの方に向くこともしない。
「別に? どこが? そんなに沈み込んでて、説得力に欠けるよ」
吐き捨てるようにそう言っても、しばらく待っても、返事も返ってこない。いい加減焦れて、ルックが閉じていた口を再び開こうとしたところに、
「セファル……だったよね、同盟軍――ティンランの。あの子のは」
コウを助けるときにセファルが発動させたあの力は。自分のそれと共鳴し、反発した力は。
「真の紋章だよ。ただし、二つに分かれた片割れだけれどね」
それに答えて、ルックは一つ自分の勘違いに気がついた。
「……ふうん……思い出してるんだ、三年前のこと」
「少し、ね」
言って微かに笑ったシフォンは、とても哀しげだった。
「知りたいの?」
「勝手に話しちゃっていいの?」
訊ねれば、間髪入れず聞き返される。
「君に隠さないとならない理由もなければ、もしあったとしても、僕があいつにそうまでする義理はないね」
シフォンは、今度は何も言わない。壁から身体を離し、ベッドの端に座り直す。それに適当な距離を取って、ルックも腰掛けた。
都市同盟とハイランドの抗争など、元帝国将軍家の嫡子に今更説明する必要もない。セファルはルックがここまで知っていることは知らないだろうと思いながら、かいつまんで今までを話すのはさほど面倒なことではなかった。
レックナートは、はじまりの紋章に引き寄せられた二人を導き、力を求めるその覚悟を問うた。
分け合った紋章の、相対する半片をそれぞれ宿し、気がつけばその立場すら、相反するもの――新同盟軍ティンランのリーダーとハイランド皇王――へと辿り着いていた。
「……ジョウイ、か」
ルックも彼のことはグリンヒルで見ている。家族同然の仲だったのだろう。外から見ていれば明白だ。断ち切れていないのは、二人とも同じ――
「そうか」
デュナンの激動期。歴史の大舞台――心の処刑台。
「ああ、それと。思い出しついで。君の当たりだよ」
「何が?」
いきなりで、シフォンは怪訝に顔を上げる。意味がわからないと言ったように。
「フリックとビクトールさ。都市同盟にいたよ。あの二人も因果なものだね。軍のリーダーにと言い出したのは軍師だけど、そこにいたよ。巻き込む直接のきっかけだったから。やれとはもちろん、でもやめろとも言えなくて、結局自分で決めろなんて言ってたけどね」
やめろと言えなかったのは、都市同盟とハイランドの現状。ルカ・ブライトの狂気。
やれとも言えなかったのは――三年前に、ずっとそばで見続けていたから。
「セファルは僕に何か言いたそうだね。いや、訊きたそう、なのかな……」
ずっと、ずっと一緒にいられるものだと――それを疑うことも、疑う必要も、なにもなかった。壊れてから、永遠は存在しないのだと初めて気づいた。
シフォンは一人、立ち上がる。
「どうするのさ?」
話すの? セファルの聞きたがっていることを。
視線の先に飾られているのは、ペチュニアの花。
「……さあ。それは向こうに任せるよ」
訊ねることが出来たなら、答えにならない答えを返そう。
「伸びたもんだよね」
いつものように後ろをまとめていないシフォンの背に向かって、ルックが沈黙を持て余したのかつぶやいた。バンダナもなく流すままになっているシフォンの黒髪は、ルックのそれよりも少し長かった。三年前は、伸びれば切っていたというのに。
「切るのが面倒だったから」
シフォンは素っ気なく答える。が。
「これぐらいしか目に見えて大きく変わるものもないし、とか?」
さらりと続けたルックの言葉に、ため息のような呻きをもらす。
「ん……」
それから、降参したように苦く一笑した。
「ルックは」
蒼白く輝く花弁に手を伸ばしかけ、でもやめた。
「なに」
一瞬だけ、透き通った眼差しをルックに向けて、
「訊かないんだ。みんな。三年間、何処でなにしてたのか、って」
力ないそれは、虚空を彷徨う。
「聞いたところで、どうなるっていうんだよ。でも、嫌なことぐらいはあったんだろうね、今の君の様子を見る限り。まあ、いいじゃない。あれは相変わらず過保護なようだし」
グレミオを"あれ"呼ばわりしたルックに、シフォンが小さく笑いをこぼす。が、
「"死神が嗤ってる"?」
ルックは焦れたように促すように、昼間の言葉をシフォンへそっくり返す。
「諦めるつもりは、更々ないんだけれどね…。それに、振り回されるだけ、っていうのも、もうないつもりだよ。でも」
ただ。それでも――
「怖くないっていったら、嘘になる」
まだ、還るつもりはなかった。
「まだ……自信がないんだ……」
セファとジョウイ。カミューさんとマイク。フッチとサスケ、そしてシフとルック。二人ずつ。
ペチュニアはIIのテッドの部屋に飾られている花です。花言葉が素敵。