今より約千年前。
 人の満ちたこの星に、名もない巨大な彗星が衝突した。
 この彗星一つのために、人類はその過半数を失ったという。
 衝突によって天高く巻き上げられた粉塵は遙かな空を閉ざし、地上は長く暗い冬の時代を迎えた。後に呼ばれる"星の災厄"である。
 その凍りついた闇の中、かろうじて生き残った者たちは、大地を捨て、天空に新たな都市を造り上げた。陽の光を求めて。
 しかし、都市へ移れた者は"選ばれた者"――特権階級の者のみであった。
 そして自らを"天上人"と称した彼らは、地上に取り残した者たちを強大な武力によって虐げ、圧制を敷いた。
 地上人は冷たい闇と空から降る天の雷に苦しめられ、天上に対し一斉蜂起する。この戦いの終末は、堕天使が地にもたらした神の剣によって迎えられた。
 この天と地を分かつ戦争は、後に"天地戦争"と呼ばれることとなる。
 そして現在。
 かつての姿を取り戻した、この青い空の下で、人々は緩やかに発展しながら、おおむね平和な時を過ごしていた。
 古の戦争は、もう傷跡も見あたらなかった。


 ゴト……
 重く硬いものが、わずかに顔を出していた床へと転がり落ちた。落ちた白いそれは、再び触手に捕らわれる。
 飛行竜の船内は木の根のような触手に埋め尽くされていた。
 かつて人であったものが、至る所で触手に絡まれ、干涸らびている。白骨化しているものも少なくはない。
 かすかにうごめく触手に喰われた、人間だったもの。
《ルミナ・ドラコニス! ルミナ・ドラコニス、応答せよ!》
 艦橋に通信機からの声はむなしく響く。
 不意に触手が艦橋から退き、代わりに人影が現れた。その人影から白い光が一瞬閃き、通信機は火花と共に沈黙する。
「どうやら、陽動に騙されていたようです」
 ここにはいない誰かに向けての、人影の言葉。抑揚の欠け落ちた、少女の声だ。
「仰せのままに」
 人影の冷たい黒の瞳はなにもない空間を見据え、一礼する。
 そして、飛行竜はこの日、消息を絶った。






一章 初めての再会






 見渡す限りの銀世界。鋭い山脈を包む雪が、光に鈍く輝く。
 春を告げる北からの風が吹いても、おおかたの雪が消えるのはまだまだ先。そして雪が消えれば、もう幾月も経たぬうちに再び雪の季節となる。
 ファンダリア王国。その一年の大半を雪と氷に被われ過ごし、同じ大陸の北半分を占めるセインガルド王国とは大きく異なった気候を持つ国である。
 ここはもうセインガルド国内といっても、国境からほとんど離れてはいない。この辺りの気候はまだ、南のファンダリアに近かった。
 歴史の長さではセインガルドに勝るとも劣らず、ほぼ同時代に興されたという記録があるファンダリアだが、十年ほど前の飢饉を発端とした混乱が長引いたため、早くに持ち直したセインガルドに比べて、いささか発展が遅れていた。
「といっても、今では平和なものよ」
 言ってから、小さな子供のように瞳を輝かせているスタンに、仕方ないなといったようにラティルスは苦笑する。朝――早いとは言い難いが、誰に似たのかあいかわらず朝にめっぽう弱いスタンにしては早い方だと思う。それも、雪のためだ。
 ファンダリアの景色は、この子にとって新鮮なのだ。大雪などスタンが生まれてからは一度しかなかったロスマリヌスに閉じこめられていては、これも仕方ない。一度はファンダリアに来たことがあるといっても母親の腕に抱かれてなのだから、覚えているはずもないだろう。
 籠の中で育てられた小鳥はいつからか空に憧れる。だが、外には叶う夢があるだけではない。鳥はどこまでも飛ぶことはできない。籠は確かに外を閉ざすが、同時に、飲み込もうとする大きな流れをも閉ざしていた。
(何事もなく終わればいいんだけど……)
 二両連なった後ろの車にもたれかかり、そっとため息をつく。
 今回はさして長い道のりではない。だから、彼の叔母であるアステルの頼みを引き受けスタンを連れてきたのだ。その当てが見事なまでに外れてしまった。
 ロスマリヌスから船でこちらの大陸――セインガルド=ファンダリア国境上の港町ジェノスに戻ったのが昨日の夜のことだ。
 明後日にはセインガルド王都に着くはずである。少々遊ばせても、まぁ、十日後ぐらいには連れ帰れるだろう。その程度なら外にいても大丈夫だろうということだったのだが。
 ちらりと、布をかけられた長細い箱を見やる。
 今回の主役の荷物。中身は決して見てはならないと依頼主には嫌になるほど言われていた。だが、どうしてもある考えを捨てきれず、昨晩確かめたのだ。はたして予想通りの中身は、その十日すらも許せなくなるかもしれない。
「はぁ〜ぁ………」
 最悪の事態は、いつでも想定していなくてはならない。
(あの子、連れて来るんじゃなかったかな〜……)
「ラティルス、気にしているのか?」
 最後の荷物を積み込んだフラックスが隣に来た。中身のことを知っているのは今のところ他に彼しかいない。同じロスマリヌス出身の仲間たちにも、これは話しておかねばならないだろう。
「まぁ、ね。揃いすぎたカードは、やっぱり疑ってかかっとかないと」
 あの箱を運ぶことを依頼してきたのはオベロン社経由セインガルド王室である。
 オベロン社は、大昔に落下した彗星の核から造り出されたエネルギー発生体の結晶――通称"レンズ"を独占的に扱う、十数年ほど前に興された、今では世界一と言っても過言ではないほどの世界的大企業である。そんなところがどうして一介の――ある意味、向こうはそう思ってはいないだろうが――運び屋に、なのだが、弟から聞いていたきな臭い噂話とあわせての、今回の箱の中身、十分に納得がいった。
「にしても、あれを他人に渡すというのは、いい気がしないな」
 肩をすくめて、フラックスがつぶやいた言葉に、
「同感ね。どこから嗅ぎつけたわけ、あいつら」
 幾分幼さがのぞく怒りから、ラティルスが口を尖らせる。
 そして、ふと隣を見上げると、
「別に、なにか起こると決まったワケじゃないわ……」
 振り払うように笑みをつくって、続けて言った。
 今は、そう考えるだけ。願うだけ。
 何事もなければ、恐れている事態になることもない。
 そして、何かが起こる可能性もほとんどないのだ。
 そう、七年間は何もなかったのだ。


「ねぇ、ちょっと。もう少し、上がらない?」
 外から聞こえてきた耳慣れない少女の声に、スタンは荷箱を固定する手を休め、ひょいと荷台から顔を出した。
「だぁめ。上がらない」
 荷箱に足を組んで腰掛け腕も組み、ラティルスが笑顔で首を横に振る。どうやら交渉事のようだ。
 彼女に対する二人組みのうち黒髪の少女の方は、スタンとさほど変わらない十七〜八歳のように見えた。それに、一目でわかる。スタンの妹と同じように、かなり気が強い少女だろう。
 あっさりと返されむっとした少女は、薄い黄色の外套を大きな挙動でバサリと翻し、
「ちょっと、見る目ないんじゃない!? 競りにかけたら軽ぅく二万ガルドはいくような代物よ!」
 やり合いから一歩引いているもう片割れの女性が手にした、子猫ほどの大きさの女神像を指さし息巻いた。こちらの女性は二十代半ば辺りだろうか、燃えるような赤い髪をポニーテールにして、若草色の外套に身を包んでいる。
 どうも交渉の成り行きにはあまり興味がないらしく、励む少女とは対照的にどこかのほほんと構えている。目線も、荷造りを進める馬車の方をもの珍しそうにさまよっていた。
「二万〜?」
 どこがといったようなラティルスに、少女がさらに言い募ろうとしたとき、
「やめときな、元気なお嬢ちゃん。ラティルスさん相手に古物で儲けようなんざ思うだけむだだよ」
 つい先ほどノイシュタットから合流してきた、ラティルスの仲間の一人が荷箱を抱えてそばを通りがかったときに笑いかけた。その言葉に、近くにいた他の仲間たちからもどっと笑いが起きる。
「ねぇ、スタン。ちょっといらっしゃいな」
 いつから気づいていたのか、ラティルスがにこやかに手招きをしてきた。
「へ? 俺?」
 思わず問い返すと、うんうんと頷いてきたので、奥から青の外套を引っぱり出して、車外に出てきた。踏みならされて固まった雪に滑らないように気をつけながら彼女のもとまで行くと、
「これ、十段階評価で、ズバリ?」
 と、赤毛の女性から女神像をかっさらい、スタンによこしてきた。
「……十段階で?」
「そう☆」
 ワケがわからず、だがひとまず女神像を眺め、そしてやおら、
「五かな」
 軽くそう答えると、ラティルスに戻した。
「え゛〜!!?」
 その答えに、露骨な不満の声を長く伸ばす少女にたいして、
「よくできました☆」
 ラティルスは満足そうな笑顔を見せた。
 そして、ほぼ円錐形になっている女神像の底を軽くなぞり、
「台座とティアラが欠けてちゃ、いいトコ一三。それ以上は出せないわ」
 一歩たりと譲らないとばかりの不敵な笑みをたたえ、ラティルスがきっぱりと言い放った。小さなうめきが少女からもれる。
「どう? 結構良心的でしょ? ジェノスにあるどの店よりも高い値だと思うけど」
 またしてもうっと微かにうめいた。図星なのだろう。
「じゃ、じゃあ、その代わり、途中まで乗せてってよ。北に行くんでしょ?」
 すぐそこに見える街の北側出口を目で指し、少女が持ちかけた。
「ん〜……かまわないわよ」
 ラティルスは答えてこの付近の地図を取り出す。
「私たちは街道に沿ってハーメンツの方へ抜けるわ。どこまで?」
 ラティルスの細い指が、ジェノスから北西に向かって緩やかなカーブを描き、一番近い地名にたどりついた。
「え〜と……とゆーことは、この辺りまで」
 たどたどしくジェノスから街道を指でなぞっていき、少女はその一番近い街との中間辺りで指をとめる。
「遺跡?」
 スタンがぽつりと口に出すと、少女は意外そうに彼の方を向いた。
「結構詳しいワケ?」
「いや、そんなんじゃないけどさ……」
 曖昧に答えを返すと、少女はまあいいわ、と独り言ちると、
「じゃ、しばらくよろしく☆
 あたしはルーティ。ルーティ・カトレットよ。こっちはマリー」
 少女――ルーティに名前を呼ばれ、赤毛の女性――マリーが慌てて意識をこちらに戻して、会釈する。
「へぇ、あの悪名高い金の亡者なの?」
 彼女の名前を聞いて、さもおもしろそうにラティルスがつぶやいた。


「ちょっと、もう〜、なんなのよ、っと」
 愚痴りながらも、ルーティが逆手に持った大きめの短刀でモンスターを切り裂いた。
「これで最後!? もう出てこないでよね!!」
 肩を怒らせ、辺りを見回す。馬車の外で動いている中にモンスターは見えない。
「あんまり騒ぐと、またモンスターたちが寄ってくるぞ? 私は別にかまわないが、ルーティはもう嫌なのだろう?」
 大剣を担いだマリーに横から突っ込みを入れられ、ルーティがひくりと肩をひきつらせる。
「……それは、…そうだけど………」
 そんな二人のやりとりに、馬車の中と外でラティルスとスタンが顔を見合わせ、こっそり笑いをこぼす。
「見てて飽きないわね〜、あの子」
 そこへ、
「ちょっとぉ!! 突っ立ってないで、レンズ拾うの手伝ってよ!!」
 本日何度めかのお呼びがかけられ、剣を鞘に収めたスタンが軽く肩をすくめた。彼よりも小柄な少女に、すでにあごで使われてしまっている。
 モンスターの体内にはレンズがあり、倒され身体が緑青色に霧散すると、そのレンズだけが残るのだ。そのレンズはオベロン社が有料回収しているので、モンスターを狩ってそれで食べていくこともできる。そういう者のことをレンズハンターと言うが、ルーティたちは、トレジャーハント――各地に点在する遺跡から、古代の遺物を発掘し、それを売りさばく――と兼業で、それもやっているのだと言っていた。
「気をつけなさいよ〜、あの辺りの王室管理のに入ったら、問答無用よ?」
「ご忠告ありがとうございます☆ ちゃぁんと気をつけてますって☆」
 先ほど馬車の中で交わした会話の中で、ラティルスの冗談めかした本気の忠告にも笑顔のままのルーティはどこか危なっかしく映った。
 遺跡の管理にはうるさい国なのだ、セインガルドは特に。遺跡から発掘される物の重大さ――危険な利用価値をよく知っているからなのだが。
 それを彼女もよく知っている。現代よりもずっと高度な文明を持っていた古代の遺物なのだ。扱いを間違えれば何が起こるかわからない。
 だからこそ、無知であることは恐ろしい。
 しかし、狂った知はなにより恐ろしい。
 そして、過ぎた力はなにより恐ろしい。
 なにもかもを奪い去ろうと、牙を剥いてくるのだから。
 すっかりルーティのペースに巻き込まれ尻に敷かれているスタンを、馬車の窓枠に腕を組んで見ていたラティルスはひどく懐かしそうに目を細めた。
 飲み込まれたものは取り戻せない。もう、還ってはこない。
 だからこそ、残されたものまで奪わせはしない。
 あーだこーだ騒ぎながらレンズを拾い集め、馬車に戻ってくる道すがらも、ルーティはストレス発散とでも言いたげに愚痴り続けている。
「もー、マリー! 今回のが終わったらもうセインガルドに戻りましょ! こんなところじゃ、時間の無駄だわ! やってらんないわよ!」
「はい、御苦労様☆」
 ラティルスは扉を開けて出迎えてやる。
「今度のもガセだったら慰謝料ふんだくってやるぅ〜!!」
 荒々しくラティルスの向かいに座り外套を脱いだところへ、唐突にラティルスが声をかける。
「ところで、あなたのその剣、売ってくれないかしら?」
「……これ?」
 腰の後ろに刺した短刀を鞘ごと外し、手前に持ってくる。
 なかなか凝った装飾の施された、見事な曲刀だ。きちんと手入れされているし、先ほどの戦闘でもわかるが、実用にも十分耐える、ぱっと見素人目にはわからないが、実は立派に古物である。
「そう、それ。高値つけるわよ☆」
「あ、ぅ………これは……その」
 うかがうような眼差しで手にした剣を見下ろしながら、珍しく――といってもつきあいが長いわけではないが――ルーティがしどろもどろになる。
 それを見て、
「冗談よ。そんなに困んないで。まぁ、高値つけてもいいかなっていうのはホントだけれど、売る気なんて欠片もないでしょ。
 ――大切になさい。手放したりしちゃ、ダメよ☆」
 にこやかなその顔からはラティルスの意は読めない。冗談のような真剣のような、曖昧な声音で、だがはっきりと彼女は言った。


「あれ、雪が……」
 何気なく向いた視線の先に、真っ白な雪が一つ、また一つ、舞い降りてくる。
「珍しいわね、この時期に降るなんて」
 スタンの肩越しに空を見上げたラティルスが応える。
「今年の春は遅いかな」
 続けられたつぶやきは、スタンの記憶にない。
 ずっと向こうに広がる暗い緑が霞んでいった。


 雪を咲かす濃い緑の樹の先に、音もなく人影は降り立つ。
 その漆黒の瞳は、目標を捉えていた。
「…――」
 微かなつぶやきが雪に消える。
 なにかがきしんだような、そんな"音"が空気に響き、その刹那、音のない爆発が起きた。
 爆圧に樹が大きくしなるが、すでに人影はその先にない。
 なんの色もない光に、すべては包まれ――


 冷たい。
 雪の冷たさ。

 温かい。
 手の温かさ。

 懐かしい。
 でも、哀しかった。


 気がつけば、雪の中に倒れていた。
「……なにが――」
 頭に響く鈍い痛みを振り払い、身体を起こす。うつぶせだったので、雪に触れていた頬が冷たかった。
「…スタン」
 やわらかな声に、顔を上げる。
 雪が降っている。
 ラティルスは安堵を浮かべ、スタンに小さな何かを握らせる。
 彼女の向こうには、大きな残骸が見える。
 意識がはっきりする。
 乱れた風に混じった匂いが、口の中に広がる。
「………ぇ?」
 呆然としていた時間は一瞬。
 記憶の奥底の匂いも思い出したら、途端にそれはすべて白く塗り込められた。
 真っ白な雪。
 真っ赤な血。
 赤い血。
 転がった人間。
 血に染まった、人間。
 違うのは、ここだけ。
 なら、他は……?
 引き裂かれ、壊れた人形のようなそれらは、だが決して人形などではないのはよく知っている。とても、よく知っているのだ。


 きつく閉じた瞳。
 満たされる暗闇。
 鮮やかすぎる、赤。
 まとわりつく、赤。

 思い出す。
 忘れてしまった。
 思い出さない。
 思い出したくない。
 刻み込まれたそれは、記憶。

 冷たい、手。
 温かい、血。
 癒えぬ、傷。

 ふわりと腕に抱かれて、覚めた。


 規則正しく雪を踏みしめる音。
 近づいてきた音に、ラティルスが目だけで振り返る。
 そして、漆黒の人影に、目を見開いた。
「――っ!!」
 人影は二人にまったく関心を向けず、あの長細い箱に手を伸ばす。だが、触れるか触れないかのところで、突然手を止めた。肝心の中身がそこにはない。
 ふっと、ガラスのようなくすんだ黒がこちらを向く。
「―――…………」
 かすれたつぶやきが、スタンの耳元で力なく消えた。


 やわらかなぬくもりは消えて。

 突然かかった重みに、醒めた。
 ガラスのような黒の瞳を見た。
 白に埋もれて消える赤を見た。
 肩にかかる重みだけが残った。
 鋭すぎる冷たさだけが残った。

 また、赤い喪失だけが残った。


 虚ろなままで立ち上がり、呼ばれるままに、糸を引かれる。
 懐かしい声に呼ばれるままに、糸を紡がれる。
 そうして、いつしか――


 ――ぐるるるるぅぅ…………
 白濁の中、何かの唸る声がやけに大きく響いた。
 樹々のとぎれた向こうに唸り声の主がいる。濁った氷のような色をした、四肢の長いトカゲのようなそれ。だが大きさはトカゲはもちろん、熊などとも比べものにならないほど大きく、顎(あぎと)からは人の腕ほどもある牙がのぞいていた。
 モンスター。
 レンズを飲み込み、その力に狂わされ異形と化した動物。
 無意味な殺戮を繰り返すもの。
 なにもつながらない。
 なにもわからない。
 ただ一つの言葉だけが耳に残っていた。
 そこにたどりついたとき、それ以外はすべて奥底に閉じこめられた。
(なにか――武器!)
 今の彼はなんの武器もない。モンスター相手に、それもあんな巨体に素手で勝てるわけなどなかった。
 巨体なためか動きは鈍いらしく、モンスターはのっそりと立ち上がる。立ち上がったとしても距離があるので、今は武器を探しても十分間に合う。
 そこまで考えると、自然に、そうであるのが当たり前のように、スタンの視線がすっと背後に向く。
 そこには、雪を抉るようにして角を埋めているガラスケースが横たわっていた。鎖で厳重に封印されたガラスケースの中には、凝った細工の施された、紅い柄の長剣が一振り収められていた。
「これだ!」
 短剣で鎖を切り捨て、紅い剣を手にとった。


「……ぅわ…古くさい剣………」
 剣を間近でみると、古めかしい装飾に思わずそんな言葉が口をつく。と。
『古くさいとはなんだ。失礼なヤツだな』
 どこからか、男の声が響いてきた。
「え…? だ、誰だ?!」
『…私はディムロスだ。お前が手にしている"古くさい"剣とやらだが』
 "古くさい"という部分に微妙なアクセントをつけて、声が答えた。
「―――は? 剣? ……け、剣がしゃべったって?」
 スタンが、唖然とした表情で手の中の剣――ディムロスを見る。
『そうだ』
 一瞬の間。そして。
「なんで!? どうして!? 剣だろ!!?」
 当然の疑問をスタンは叫ぶ。
『ふむ……今それに答えてもかまわんが、もうそこまで来ているぞ』
「――え?」
 ディムロスに言われるままに後ろを振り向くと、はたして、モンスターがもうそこまで来ていた。
「ぅわっ!!」
 繰り出された鉤爪付きの太い腕を、スタンは間一髪で避けた。
「っとと」
 積もりに積もった雪の上で足場は悪いが、それでも態勢を立て直す。
 これだけの太い腕なら、力はかなり強いだろう。だがこのスピードならば、見切るのも難しくない。
 そう考え、一気に間合いを詰めようとしたとき。
『おい』
 と、唐突に声がかけられた。
「な、なんだよ!?」
『よく聞け。ヤツに剣はきかない』
「なんで!?」
『いちいち大声を出すな。落ち着け。
 天地戦争は知っているな? あれは、そのときの生物兵器だ』
「…なんでそんなこと知ってるんだよ?」
 鈍重な動作で再び繰り出された腕を、軽く避けきる。
『私は天地戦争時代に生まれたからな。いや、そんなことはどうでもいい。
 いいか、ひとまずあいつと距離を取れ。倒し方を説明する』
「わかった!」
 ちょうど振るわれてきた腕を避け、そのままモンスターの背後まで走る。
『ところで、まだおまえの名前を聞いてなかったな』
 モンスターの脇を通り抜ける最中、不意にディムロスが言ってきた。
「こんな時に訊いてくるか、普通?
 ……スタン。スタン・エルロンだよ」
 呆れて苦笑をこぼしつつ、モンスターを抜く。ついでとばかりに斬りつけてみたが、ディムロスの言うとおり、剣はあっさりと弾かれた。
『スタン……? ――そうか………』
 どこか感慨深げな声音に、スタンは理由を訊きたくなったが、すぐにディムロスが言葉を続けてしまう。
『スタン、私の"力"を使え。意識を集中してみろ。やりにくかったら、自分の手か私を焦点にすればいい』
「え、ええ?」
 言われて、スタンはゆっくりと身体を反転させているモンスターを一瞥する。
『いいからやれ!』
「ぁあっ! もう! 怒鳴るなよ! やりゃあいいんだろ!? やりゃあ!!」
 怒鳴られ、半ばやけくそでその場に立ち止まる。
 無意識に閉じた視界の中、手の中のディムロスが"視え"た。
(――え?)
 なにかが流れ込んできた。そう言うのが一番近い。そんな感覚。
 そして、弾けるように脳裏にイメージが浮かぶ。
(…紅い――炎!)
『そうだ、いいぞ!』
 ディムロスの声に、すっと、閉じていた目を開く。
「―――!」
 炎があった。ディムロスの刀身に、炎が揺らめいている。すぐ近くのスタンの手は熱さなどまるで感じていないのに。
 紅い火球は見る間に大きく膨れあがる。
『いけっ!!』
「いっけぇっっ!!」
 声が重なる。
 紅く燃えさかる炎は刀身から放れ、一直線にモンスターに突き進む。炎のかたまりはモンスターに炸裂し、包み込んで、天高く火柱をあげた。そして、そのまま跡形も残さず焼き尽くす。
「――やった…のか……?」
 呆けたように、モンスターがいた場所を見つめたまま、スタンがつぶやく。
『そうだ』
「今のは……?」
『晶術だ。私のような剣"ソーディアン"に埋め込まれている、特殊なレンズの力で自然を操る術だ。私としては炎が一番扱いやすいし、力も集めやすいから火象を使ったが、おまえも――っと、聞いているのか、スタン!?』
 話の途中で、スタンの意識が放れていくのに気づいたディムロスが怒鳴る。
『スタン!? ――おい!? スタン!!』
 彼の呼び声は、とても遠いところからのように聞こえた。
 目の前に、雪に転がった硬い銀の破片が見えた。
 手を伸ばして、そのまま意識が闇に沈む。
 最後に思い出したのは、おぼろげにしか覚えていない父の姿――


「ぅ……」
 思わず目をそむけたくなる光景が雪の上に広がっている。
「マリー…あんた、よく近寄れるわね………」
 口と鼻を手で被い、横転した馬車の上からルーティがつぶやいた。やはり、こういうものは生理的に受けつけないものがある。
「ん? なんだ、ルーティ?」
 死体の確認をしていっていたマリーが、振り返る。
「……もういい………」
 マリーはなおも不思議そうな顔をしていたが、すぐに作業を続ける。
 ひしゃげて転がっていた馬車の影で目を覚ましたとき、なにが何やらまるで見当もつかない状況だった。現前に、この凄惨な有り様だけがあった。
(明日は我が身、っていうけどねぇ〜……)
 なんとなく重い気持ちで、ため息がもれる。
「どうした、ルーティ?」
 いつの間に戻ってきたのか、マリーがそばにいた。
「ううん、なんでもないの。で?」
「おそらくモンスターだ。死因は深い裂傷と打撲。ラティルス…だったか、あの人の死因はわからない。
 ところで、ルーティ。あの青い外套の少年がいなかったぞ」
「え? あの…スタン? あいつ?」
「そうだ。この辺りに死体はなかった。モンスターは彼が倒したんじゃないのか。ここからはかなり引き離したようだが」
 森の奥の方に向かって引きずったような道ができていた。それを親指で指し示し、マリーが言った。
「そっか。縁があったら、どこかで会うこともあるかもね」
 ルーティは軽やかに馬車の中に飛び込み、外套を引っぱり出す。と、こと…と軽く小さな音を耳にして、
「……ん?」
 それに気がついた。


 いつかすべてを知ったとき、この子たちは私たちを恨むでしょうか。
 ――誰かが遠くでささやいていた。

 出来ることなら、何も知らないまま幸せに暮らしてほしい。
 ――誰かが近くでつぶやいていた。


 温かな手が、つなぎとめていた。
 冷たい手を、抱くしかなかった。


 目を開けた刹那、飛び込んできたランプの光に、思わず目を細める。
 覚えてはいないが、妙な夢見の悪さだけが尾を引いている。
(ここは……?)
 丸太組みの小屋のようだ。質素な部屋の中は、室内装飾らしいものはほとんど見あたらない。壁に掛かけられている、やわらかく淡い色とタッチで描かれた丘の絵が唯一それらしいと言えるだけだ。
 しかし、この場所にまったく見覚えはないのだけは確かだ。
 何がどうなって、ここにいることとつながるのやら。
 だが、意識を失っていた間のことなど、いくら考えたところで推測の域を出ない。
「あら、起きましたぁ?」
 可愛らしい少女の声が聞こえ、ついでスタンの顔をひょいっとのぞき込む。すぐ目の前に。その拍子に、頭の上で二つに分けてくくられた、少女の淡い紅の髪が二房、さらりとスタンの顔にかかった。ほどけばかなり長いだろう。
「あっと、ごめんなさい。
 ところで、なんだかとってもうなされてたみたいですけど、大丈夫ですか? 悪い夢見てる人は途中で起こさない方がいいっていいますよね? でも、心配だったんですけど、どうです?」
 少女――年齢は十三〜四ぐらいだろうか、妹とあまり変わりなさそうだ――が一気にまくしたててきた。なにやらかなり分厚い本を胸に抱いている。表紙も板のような堅さがあるようで、目の前の少女が持つ本にしては少々アンバランスな気がした。
「あ、えっと、ちょっと待った!」
「はい?」
 少女が引っ込んだ、その隙にスタンは上体を起こす。
「えっと、あの、ここはどこ? なにがなんだか、さっぱりなんだけど……」
 スタンの問いに、
「あぁ、はい。ここはわたしのお祖父ちゃんの山小屋です。ジェノスの東に入ったところにあるんです。あなたはジェノス=ハーメンツ間の街道の外れに倒れてました。
 あっと、わたしはチェルシー・トーンともうします。せんえつながら、以後お見知り置きを。他に何かお聞きになりたいことはありますか?」
 少女――チェルシーはあっけらかんと答えた。
 勢いに飲まれて、はぁと生返事がこぼれたところに、
「気がついたか」
 不意に、低い男の声が割り込んでくる。
「あ、ウッドロウ様☆」
 部屋の戸口に立つその男に、少女が笑顔で言う。
「あ、どうもありがとうございます。助けていただいて……」
「いや、気にすることはない」
 男――確かウッドロウと呼ばれていたか――が笑みを浮かべて応えた。肩にかかるほどの銀髪が、濃い藍色の服によく映えている。
「チェルシー、向こうから」
 ウッドロウがチェルシーになにか言いつける。
「あ、はい、わかりましたぁ☆」
 チェルシーはぱたぱたと足音を立てて、部屋の外に消える。そして、戻ってきたときには、青い外套と紅い剣――ディムロスを手にしていた。
「他にはなかったと思うが、これだけでよかったかね? スタン君」
「はい。ありがとうございます。
 …あれ、俺、名前言いましたっけ?」
 そういえば…と、チェルシーと思わず顔を見合わせるスタン。しかし、ウッドロウは小さく笑っただけで、まあいいではないかと話題をすり替えにかかる。
「しかし、君はおもしろいものを持っているな」
 その言葉に、スタンが不思議そうに顔を上げる。
「その剣のことだ」
 指し示されるがままに、スタンの視線は鞘に収まったディムロスに移る。
「ディムロスが? それはどういう――?」
 訝しげな表情をするスタンに、
「そのうち知ることもあるだろう。そうだろう、ディムロス君?」
 意味ありげな笑みを含み、彼は言う。
 だが、ディムロスは黙したまま、なにも語ろうとはしなかった。


 今朝発ったジェノスに、夕刻になった今、再びいる。
 今朝は大勢の人といたが、今は独りだけ。いや――
「…なぁ、なんで山小屋ではずっと黙ってたんだよ?」
 街の片隅に生えている樹の陰で、ディムロスに話しかける。ついでだからとここまで送ってくれたウッドロウとは、すでに街の入り口で別れていた。
『……あの男、どうも、私のことに気づいてたようだったな』
「? …ああ、そうみたいだったけど、それがどうかしたのか?」
『ところで、普通の人間に私の声は聞こえないからな。あんまり堂々と私と会話していると、独り言がうるさい、危ないヤツに見えるぞ』
 スタンの問いには答えず、さらりと別のことを言う。
「なっ?! そういうことは先に言えっての!」
 樹のさらに陰に入り、自然と声も潜めて言い返す。
『今までそれどころではなかったろうが! ということで、私の存在は他人には気取られないようにしろ』
 結構むちゃくちゃな話の展開をする。
「……なにが"ということで"なんだよ……?」
『細かいことはあまり気にするな。はげるぞ。
 それより、スタン。おまえ、これからどうするつもりだ?』
「…………考えてない」
 幾分複雑なものが混じった表情で、ぽつりとつぶやく。
「――なら、あたしたちと行かない?」
 途端、背後からいきなりかかった声は、聞き覚えのある声。もしやと思って振り返ると、そこにはやはり――
「ルーティ……?」
 あのときの黒髪の少女。一歩下がったところにマリーもいる。
「そうそ」
 彼女は満足げに一度頷いて、続ける。
「やっぱり生きてたんだ。しかも…まさか、マスターだったとはね〜……」
「"マスター"?」
「それ、ソーディアンでしょ? あ、隠さなくっていいわよ、さっきまでの話は全部立ち聞きしてたから。あたしも持ってるわけだし」
 ディムロスを指さし、笑顔でルーティが言う。
「ソーディアンの所有者のことを"ソーディアンマスター"って言うのよ。あんた、知らないの?」
「なって、すぐだからな」
 続けられた言葉に、スタンはすぐさま言い返す。
「あの時にこいつと出会ったんだよ」
 我知らず、スタンの声が硬いものになる。
「ぁ……な、なによ、別にそんなことは言ってないでしょ!?」
 性分で言い返してしまってから、さすがのルーティも後悔の念がわく。"あの"の場所を思い出してしまったからだ。
『ごめんなさいね。この子の言葉、トゲだらけで。言葉には気をつけなさいっていつも言ってるんだけど、どうしてこんなにひねくれたのやら……』
 落ち着いた雰囲気を持つ女性の声が響く。
 ルーティの曲刀がその声の主――ソーディアンらしい。問いかけるようなスタンの視線に、彼女は腰にかかった剣を忌々しげに指し示した。
『アトワイト…か?』
 意外といった口振りでディムロスがつぶやく。
『お久しぶりね、ディムロス。なんだか大変な目にあったみたいだけど……』
 アトワイトの言葉に、一転してディムロスの口調が不機嫌なものになる。
『その話はやめろ。俺まで昔のことを思い出す』
「あ〜ら、アトワイトさん。言葉には気をつけろ、じゃないの?」
 すかさずルーティは嫌みっぽく言ってやる。が。
『ごめんなさい、ディムロス、それとスタン君。ずっとこんな子と一緒だから、ちょっと性格の悪さが移っちゃってるみたい』
 しっかりと反撃されてしまった。
「ぅ――ぁあっ、もう! あたしのことはどっかに置いといて、話を戻すわよ!
 もう一度言うけど、あたしたちと来る気、ない? なんのアテもないんでしょ? 故郷に帰るんなら別にいいけど、もしこのまま旅をするんなら、大勢での方が、一人よりもなにかと便利だと思うけど?」
 気を取り直して、ルーティが言う。
「スタン、一緒に行こう。旅は大勢の方が楽しいぞ」
 ソーディアンが交じった会話の間は不思議そうな顔をしていたマリーも。
「………いいのか?」
「剣の腕も悪くないし、しかもソーディアンマスターで……別に足手まといになりそうでもないし。女二人、それもこんな綺麗な女二人だけってのはなにかと面倒なこともあんのよ。そういうところ、お互い利用してくってので、ね。
 あ、ちょっとはこき使わせてもらうから、そこんとこはよろしくね☆ あたしってばホラ、か弱い美少女だからさ〜」
『どこが"か弱い美少女"よ?』
 身も蓋もないルーティのセリフに、スタンは思わず苦笑をこぼす。馬車で一緒だったときとまったく同じ調子だ。
 だが、それでも――
「…いいよ。一緒に行く。このまま帰るってのも、な。
 いいだろ、ディムロス?」
『……………』
「ディムロス?」
 無言のままのディムロスに、スタンが怪訝そうにもう一度呼びかけた。
『――…あ、ああ、別に反対する理由もない』
「どうしたんだよ?」
 考え事だろうか。
『たいしたことではない。気にするな』
「というわけで、決まりね!」
 ルーティが明るく言い放った。


 真っ暗な通路を、小さな灯りが三つ揺れ動く。
「……ルーティの目的ってさ、なに?」
「お金よ、お・か・ね☆ それも、はした金じゃなくって大きな、ね」
「ホント、金の亡者なんだな」
 苦笑しつつスタンは肩をすくめる。
『そうなのよね〜。お金のためならかなりあくどいことまでしているのよ。気をつけてね、スタン君。後悔は、したときにはもう遅いのよ』
「ちょっと、アトワイト!?
 で、そういうあんたは?」
 スタンよりもかなり背の低いルーティは、自然、上向き加減になる。
「ん〜…いろいろあるけど、自分の力を試してみたいっていうのかな……」
「ふ〜ん……そういえば、あんたってどこから来たの?」
「ん? ――リーネ」
「どこよ、それ?」
「フィッツガルドの……ロスマリヌスの郊外」
「……田舎者」
 一瞬の間と、そして、冷たく言い放たれた一言。
「――なっ、なんだよ、いきなり!?」
「ちょっと、大声出さないでよ! 響いてうるさいったらありゃしない!」
 山の中腹辺りの斜面に半ば埋もれた、石造りの古代遺跡の中である。そのためか、反響は凄まじいものがあった。
「そ・れ・に! フィッツガルドなんて栄えてるのは南だけじゃないの。ほら、やっぱり田舎者よ」
 勝ち誇ったように続けるルーティ。
「そういうルーティは? どこの出身なのさ?」
「え…? あたし?」
 灯りは各自が持つ松明だけという、押し寄せる暗闇の中でも、ルーティの動揺はしっかりと伝わってきた。
「あ、あたしは由緒正しきセインガルド生まれよ!」
『なにを慌てているのかしら、ルーティったら?』
「だ、黙ってなさい、アトワイト! どうでもいいでしょ、そんなこと!」
 ルーティの手の松明が大きく揺れている。
『うるさいと言っていた本人が一番の大声だな』
「そだな〜」
「そこも! 黙んなさい!!」
 空いている方の手をびしっと突きつけてくるが、それをあっさりと素通りして、
「マリーさんは?」
 しんがりを歩いていたマリーに、スタンは話しかける。
「私か? 私は…名前以外、なにも覚えていないのだ。私には、ルーティと会ってからの記憶がすべてなんだ。唯一、失った時間とのつながりといえば、この剣ぐらいかな。気がついたとき、私が持っていたただ一つの物だから。
 ……だからある意味、自分捜しのための旅と言えるな」
 自分の大剣の柄に手をそえて、マリーは穏やかな口調で語る。
「…すいません。俺、変なこと訊いちゃったみたいで……」
「気にしなくていい。私は特に気にしてないからな。
 それに、記憶喪失というのも案外楽しいものだぞ。なにしろ、見るもの、聞くもの、すべてが新鮮に感じられるのだからな。スタンも一度なってみればわかるぞ」
 最後の一言は、冗談っぽくマリーは付け加える。
「え、いや――遠慮しときます……」
 どう返せばいいのかわからず、スタンが戸惑う。
「ふふふ、それが賢明だな」


「たいしたものはないわね」
 奥の広間まで出て、ルーティが不機嫌そうにつぶやいた。
 どういう仕掛けはわからないが、この部屋は壁自体が薄く光を放っていて、晴夜のような、ほのかな光が満ちている。視界良好とはいえないが、だだっ広い真四角の広間にはなにもないことは、一目瞭然だった。
「そだな」
 スタンはかまわず、奥の壁にうっすらとついたほこりを払ってみる。
「なにやってるのよ?」
「いや、物はなくとも…ってよくあるだろ。なんか彫ってあるのが見えたから」
 答えて、スタンは払った部分を指さす。
『おまえ、こんなものに興味あるのか?』
「いや、俺は別に…。興味があったのは親父だよ。まぁ、親父の蔵書とか、ちょっとのぞいたことはあるけど」
 親父みたいにこの道に生きようとは思わないな、と付け加える。と。
「あ、ホントだ、何か彫ってある」
 ほこりの下から、何かのプレートらしきものの端が顔を出した。
「なに、レリーフ?」
 刻まれている何かの全貌を見ようと、端を探してほこりを払い落としていく。現れたのは、どうも文のようだった。だが、
「これ、文字?」
『文字よ。今には伝わってないんじゃない? 私たちの時代でも極一部でしか使われていなかった古代文字ですもの』
「読める?」
 そのまま何の気なしに訊ねてみる。
『え……っと……"いつか――"』
『――"いつか見る夢のためにここに眠る"』
 アトワイトのたどたどしい声に重ねて、ディムロスがすらすらと読み上げた。
『……なんで修辞してある文をあなたがすらすら読めるわけ?』
 彼女の声に、多少不満げなものが含まれている。
『説明する気はない。別に構わんだろう』
「"いつか見る夢のためにここに眠る"……どういう意味だ?」
 助け船を出す形で、スタンがディムロスに訊ねる。
『わからんな』
『とにかく、ここにはルーティの好む宝物はないみたいね』
「えぇ〜! そんなぁ〜……もう、この辺りのは全部スカじゃない!」
 忌々しげに壁を蹴り飛ばすルーティ。
「スタン、マリー、とっととこんなトコ帰りましょ!」
 そのまま踵を返し、すたすたと広間を出ていこうとする。
「――誰か来る」
 広間の中央辺りにさしかかった頃、マリーが低く言い放った。
「え?」
 立ち止まった二人の視線がマリーに集まった、そのとき。
「おい、貴様ら、ここで何をしている!?」
 長い暗い回廊から、男が三人出てきた。
「事と次第によっては、ただではおかんぞ!」
 そして、出てくるなりぎゃあぎゃあ大声で怒鳴りつけ、こちらに歩み寄ってくる。
「はん、あんたたち、人のお宝を横取りする野盗か何か? だったら、とっとと尻尾まいて帰んなさい。あんたらじゃあたしたちには勝てないわよ?」
 一歩前に出て、ルーティが仁王立ち。思いっきり見下した体で言い放った。と言っても身長がさほどないので、あまり様になっているとは言い難い。
「な!? 野盗だとっ!!」
 挑発に乗って、男たちが色めき立つ。
「ルーティ、そんな、わざと相手を怒らすよーな――」
「うっさいわよ!」
 なだめに入ったスタンも、あっさりと一蹴する。
『八つ当たりね』
『だな』
 ソーディアン二人、こっそりと。
「おい、女! 我々はセインガルド兵だ。野盗などではない。王国管理の遺跡に不法侵入した輩がいるとの通報があり、駆けつけたのだが……貴様らのことのようだな」
「えぇっ?!」
 先頭の男の言葉に、驚いたのはスタンだ。いや、スタンだけ、である。
「ちょ、ちょっと、ルーティ?! どういうことだよ?!」
 マリーは、状況をわかっているのかわかっていないのか。
「ねぇ、スタン。あなた、知ってた?」
 ルーティはあっさりとスタンの言葉を無視し、逆に問いかける。
「知ってるわけないだろ!」
「あら、そう。
 ってことで、知らなかったのよ。だから、許してほしいな〜なぁんて☆」
 両手を胸の前で組み、ぶりっこ。
『全っ然可愛くないわね』
 またもこっそりと、アトワイトが吐き捨てる。
「知っていようがいまいが、とにかく一度我々と来てもらおうか」
 問答無用で男は言い放ってきた。
 それにかちんときたのか、ルーティが眉をひそめ、自分の位置と男たちの位置、そしてそれぞれと出口との距離をはかる。
「スタン、マリー」
 押し殺した声で、ボソリと呼びかける。
「な、何?」
「逃げるわよ!」
 叫ぶと同時にルーティはアトワイトを鞘ごと引き抜き、リーダー格らしい男を思いっきり殴り飛ばす。
「た、隊長!」
 そして、倒れてきた隊長に押しつぶされた両脇の部下は無視し、一気に広間の出口に走った。
「ル、ルーティ!」
 慌てて追いかけるスタンと、よく似た事態は何度かあったのだろう、慣れたものといった様子のマリーが後に続く。
「早く追いかけんか!」
 後ろで、さっき殴られた男が激高し、部下をどやしている。
 広間を出る直前、ルーティがくるりと振り返り、
「じゃあねぇ〜☆」
 と、手をひらひらさせ、追いついた二人と共に回廊へ飛び込んだ。


「残念ながら、ここは通さんぞ!」
 しかし回廊に出た途端、三人の目の前に、後ろの男たちと同じ格好をした兵士五人に行く手を阻まれる。回廊はたいして広いわけではない。五人が横に並べば完全にふさがってしまうほどだ。
「げ、待ち伏せ!?」
 前の兵士に押し戻される形で、三人は広間に後ずさる。
「どうすんだよ、挟まれたぞ!
 それに、これはどういう事なんだよ〜?!」
『仕方ないわね』
 頭を抱えるスタンに、アトワイトがあっさりと。
『覚悟を決めるしかないな』
 続けて、ディムロスが。
「こうなったら…強行突破! 行っちゃえ〜!!」
「さぁ、来るなら来い!」
 話が勝手にまとまってしまった横で、
「……ゴメンよ、リリス。俺、一生家に帰れないかもしれない………」
 やっとスタンも覚悟を決めた。
 三人がそれぞれ剣を抜いたのを見て、前と後ろの兵士七人も抜刀する。
「抵抗するというのであれば、痛い目を見ることになるぞ」
 一人だけ抜刀しなかった、頬に痣ある隊長のおしゃべりの途中で、スタンとルーティが前に、マリーが後ろに飛び込む。
 慌てて兵士が身構えるが、勝負は一瞬で片づいてしまった。ルーティよりも早く駆け込んだスタンが兵士四人をディムロスの柄や石突きで打ちのめし、マリーも同様にして三人を叩き伏せたのだ。
「へぇ…あんた、結構やるんだ」
 ディムロスを鞘に戻すスタンに、ルーティが声をかける。
「いや……実際に通用するかどうかはともかく、結構教え込まれたからな」
 剣の稽古ができるかどうかといった年齢の頃から父に基礎を半分遊びで教えられ、父の死後は、父と流派が同じ母や叔母たちに教わったのだ。昔セインガルド国軍にいたという祖父とは、試合以外していなかった。
「ええい、何をやってるんだ! 相手はたかが三人だろうに!」
 一人起きている隊長が地団駄を踏む。
「あれはどうする?」
 戦いになるとはしゃぐマリーが、明るい声で訊ねる。
「ここでお寝んねしておいてもらいましょうか」
 ルーティが提案した、そのとき。
「国軍の兵ともあろうものが、情けないな」
 広間の外から声が響く。まだ若い、少年の声だ。
 そしてすぐに、広間にあふれる淡い光の中に声の主が現れる。
 淡紫色のマントを肩から流した少年は、辺りの様子を一瞥すると短く嘆息した。長めの黒髪に見え隠れするのはまだ幼さを残した顔立ちながらも、切れ上がった深い紫の瞳は冷たさをはらんでいる。体格は小柄というより、かなり華奢に見えた。
「マグナス様、な、なぜこちらに?!」
『…なんだと?』
『あらまぁ』
 ソーディアン二人、顔を見合わせたかのように小さく声をかわす。
 手許の二人はどうか知らないが、スタンやルーティにしてみれば、自分よりもさらに年下に見えるその少年に対して壮年の男が敬語を使っているのは少々奇妙な光景に映った、それだけだった。
「別件だ。だが、これも捨て置けんな。
 おい、いつまで寝ているつもりだ。とっとと起きろ。邪魔だ」
 少年の言葉に、当たり所がよかったらしい者が数人、急いでまだ目を回している仲間を引っ張って脇にどける。
「国軍に反抗する馬鹿どもが。大人しくするのなら手荒な真似をするつもりはない」
 三人に向けて、少年が言い放つ。
「ガキは引っ込んでなさいよ」
 不機嫌な声音で、ルーティが言い返した。少年のどこか見下したような態度が気に障ったようだ。
 だが、ルーティの態度に対して、少年も同じものを感じたらしい。
「警告に従うつもりはないというのなら、それでも構わない」
 少年が腰の剣を優雅に抜きはなった。凝った装飾が施された、薄刃の曲剣である。
「――実力に訴える」
 淡い光を、曇りない刀身が弾いた。












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