三章 幽境の神殿
ストレイライズ教団。
全知全能の女神アタモニを崇める、世界規模の宗教団体である。その始まりはセインガルド・ファンダリアの二大国建国とほぼ同じ、天地戦争終結数年後と記録されていて、両国とのつながりも深い。セインガルドでは国教にも認められていた。
神殿に仕える者は神の教えを説きつつ、考古学者としての面も持ち合わせ、古代文明の研究に勤しんでもいた。その理由は不明だが、知識の氾濫を抑制する役も負っているという見方もある。元はどういった理由があったにせよ、現在では長年の慣習となっているだけだが。
そして、第一大陸最北端の山中にある、ストレイライズ教団の総本山。
そのふもとにある村アルメイダと王都ダリルシェイドの間は、馬で飛ばせば一日かからず着くことができる。もっとも、そこからの山道は徒歩になるわけだが。
「きゃっ、ちょっと! もっとゆっくり走ってよぉ!」
マリーの後ろで、ルーティがいちいちに悲鳴を上げる。
「あんまり遅くすると置いていかれるぞ」
先行する二頭の馬を目で指し示し、マリーは取り合わない。
「――なっ!!」
国軍の馬はいずれもなかなかのもの。本気で走らせればさほど遅れをとることもないのだが、マリーの馬は騎乗できないルーティが騒いでいるせいで、リオンとスタンがそれぞれ駆る馬から大きく遅れていた。特に、スタンと違って、ときどきは歩みを遅めてくれる事のないリオンとの差はかなりあった。
「……もう、なんでこんな目に遭わなきゃなんないのよぉ〜……!」
『いっそのこともっとスピード上げて、さっさと着いた方がいいんじゃない?』
ルーティの腰からアトワイトが提案する。
「――ぅ〜……わかったわよ!
マリー、もう早く着いちゃって!」
やけくそとばかりにルーティはマリーに叫ぶ。
「いいんだな? とばすぞ!」
言うが早いか、マリーはせめてスタンに追いつこうとスピードを上げる。
「――っ!」
しっかりとマリーにしがみつき、きつく目を閉じるルーティ。
『やれやれ……』
その様子に、アトワイトは思わずため息をつく。
いくら鬼やら金の亡者やら呼ばれ、本人も突っ張って生きていても、こういうときに年相応の顔が出る。まだ十七の少女。
自分が今何歳か、などという莫迦なことを考えることはしないが、反抗期の子供を持つ母親というのはこういう心情なんだろうかと思うことはあった。
自分が十七の頃は、何をしていただろう。
空は暗く粉塵に覆い隠され、凍てついた大地――あの忌まわしい天地戦争も始まっていた頃だったろうか。
気がついたら医者になっていて、軍医になっていて。
ソーディアンになったのは、いつだったろう。
人間でなくなる可能性もありながら、指摘されながら、周りに止められながら、それでも引き受け、そしてやはり人間ではなくなった。他の皆と同じように。
その選択に後悔はしていない。自分で選んだ道だ。だから、後悔はしていない。していないが――
『アトワイト?』
奥深くに沈み込んでいたアトワイトを引き戻したのは、怪訝なディムロスの声。
『…え? な、何?』
『いや、軽口に乗ってこなかったからな。邪魔して悪かった。なにか考え事か?』
いつのまにか、スタンの駆る馬と平行していたのだ。
『あ、違うのよ。ちょっとぼんやりしてただけ』
答えながら、ふと、先ほどの思いがよぎる。
なにを置き去りにしてしまったのだろう。
(私の夢って…なんだったかしら……)
「遅い!」
アルメイダの入り口での、リオンの第一声。
「そう言われたってなぁ……」
苦笑しつつスタンが馬から降りる。その隣でマリーも降り、最後に、スタンとマリーの手を借りつつ、ルーティが落ちるように降りた。
「あんたが速すぎんのよ!」
地に足が着くなり元気になったルーティが文句を言う。
「ふん。僕は普通に走らせただけだ」
言い捨て、リオンは手綱を取って村に入る。さすがに馬を連れて真ん中を突っ切ることはできないので、外周を通り、保護された神官をあずかっているらしいここの村長の屋敷を目指す。
今は昼過ぎなので、村は閑散としている。たいていの者は畑仕事に出ているのだろう。今は種蒔きの時期のはずだから。
やわらかな陽射しの中、ちらほらと見られる人影は幼い子供がほとんどだ。その子供たちを、一人の若い女性が相手をしていた。
「なんか、懐かしいな」
そんな光景に、スタンが小さく微笑む。
「あんたの村もこんな感じなの?」
ひょいとルーティが声をかけてきた。
「大差はないよな。それに村なんてそうそう違わないだろ?」
太陽の下での日々の営み。ゆっくりと流れる時間。
都会の空は濁っている。ダリルシェイドの空は、あまり青くなかった。
「まあね。村なんてどこも平凡な田舎よね」
嫌みっぽく、“田舎”にアクセントがある。
「………あのなぁ」
「じゃ、村にいたとき、なにやってた?」
ぴっと右の人差し指を立てて、
「え、友達と組んで羊の面倒みてたけど」
「ほら、ね」
勝ち誇ったようにルーティがその指を振ったとき、
「いつまでじゃれているつもりだ」
立ち止まったままの二人に、リオンが苛立たしげにに言い放つ。
「うっさいわね。だいたい、あんた生意気よ。年下の分際で」
ルーティの言葉に、
「ふん、罪人の分際で偉そうな口をきく」
すかさずリオンが切り返す。
「なっ――!!?」
怒りも露わにルーティがリオンに詰め寄ろうとしたそのとき。
「あの……」
先ほど子供たちの面倒を見ていた女性がおそるおそる声をかけてきた。どこか哀しげで今にも消え入りそうな雰囲気をまとっている。ルーティとリオンの口喧嘩でこちらに気づいたのだろう。
「あなた方は、いったい……?」
「セインガルド王の命を受け、ストレイライズ神殿の視察に来た。この村に神殿の神官がいると聞いているが、今どこにいる?」
ルーティを軽くかわし、リオンが口を開く。
「あ、はい、それはきっと私のことです」
そして、弱い笑みを浮かべ、ウィローミアと名乗る。
「ひどい衰弱って聞いてたけど?」
「この村の方々のおかげで、昨晩、気がついたんです。それが?」
「んーん。ちょっと訊いただけだから」
答えて、ぱたぱたと手を振るルーティ。彼女をうっとうしそうに横に押しのけ、リオンが前に出る。
「いったい、神殿で何があった?」
その問いにウィローミアは顔を曇らせたが、すらすらとよどみなく答えた。
「私は、他の神殿の視察に出られる大司祭様に付き従っておりました。
それが、大司祭様たちと神殿に戻ったところ、誰もおらず、神殿はひどく静まり返っていて……それに、至る所から奇妙な蔦が伸びていました。窓や扉を破って壁や地面に張り巡らされていたんです。
私は大司祭様の命でこの異変をダリルシェイドに告げるためにすぐに山を下りたので、これ以上のことはわかりません」
「山を下りたのは、あんただけなの?」
ルーティの質問に、ウィローミアは戸惑いながらも答えを返す。
「…いえ、もう一人、私と同じ神官が。私一人で山を下りるのは危険だからと、他にお二人いたうちのお一人を私につけてくださいました。ですが途中でモンスターに襲われ、幸いにも村が近かったので、彼は傷を負った私を先に行かせてくださいました。
私は異変を村の人に告げ、その後は、傷から入ったらしい毒で昨晩目覚めるまでずっと眠っておりました」
「そのもう一人は?」
「村には来ていないそうです」
――とても虚ろな気がした。
ルーティがウィローミアを視界に入れたまま、訝しげに眉をひそめて、考え込むように押し黙る。
「急いだ方がよさそうだな」
リオンの言葉に、それぞれは頷いた。
「でしたら、私が神殿までご案内いたします。
私どもが戻ってきたとき、山の植物が異常に成長しておりました。道もほとんど隠されてしまっていて、不慣れな方では道に迷うと思いますので」
「ひゃあ〜……確かに、これはすごいわ」
茂る森の中は、濃い緑に囲まれ、陽の光は微かに葉の間からこぼれているだけ。
神殿は、谷を迂回してこの山を逆コの字に進んだ先にあるらしい。
「なんだってそんなへんぴな場所に神殿建てたんだ?」
行く手をふさぐ木の枝を切り落としながら、スタンがぼやく。
「そーよねぇ〜……」
マリーの後ろで楽をしているルーティも相づちを打つ。彼女のアトワイトはリーチが短いのでウィローミアと一緒に、切り開く三人の後ろを悠々と歩いていた。
スタンとルーティは顔を見合わせ、そのまま揃ってウィローミアの方を見る。
「……すいません、存じておりません。
あ、その茂みの向こう側に出てください」
言われたとおりに青い茂みを割って、向こう側へ出る。と。
「神殿って……あれ?」
しばらく先で切れている地面の下に広がる緑に、白亜の建造物が浮かんでいた。四隅から伸びる、長い方の辺同士を結ぶ巨大なアーチは、中央付近でその二本が繋がっていた。
「はい。あれがストレイライズ教団総本山です」
教団の聖地であり、また同時に古代の遺跡でもある。現代の技術では難しい特徴的なアーチも、切り立った崖と崖の間に造られた礎も、また古代の遺物であった。
ウィローミアは続けて、長方形の敷地の中心に建っている高い塔を“知識の塔”、その左側にある大きなドームを“大聖堂”だと説明する。
「右の方の、平たい建物は図書館です」
「図書館? 知識の塔とは違うの?」
知識の塔とは、膨大な古代の書物が収められた塔であるところから付けられた名称だ。なのに、そのほかに図書館があるというのはどういう事か。
「はい。知識の塔には大司祭以上の方でないと入ることは許されません。一方、図書館は誰でも、一般の方でも入ることができます」
「ふ〜ん……」
自分から聞いておきながら、ルーティは気のない相づちを打つ。
「遠くから見た感じじゃ、さっき言ってた蔦とかは見えないな」
『行ってみればわかるさ』
他人がいるので相づちを控えていたディムロスが、スタンに応える。
「ま、そうだよな」
緩やかに下りながら神殿へ続く山を見やり、小さく返した。
「はいはい、おしゃべりしてないで切った、切った」
後ろのルーティにはやし立てられ、スタンは苦笑をもらすが、
「ふん。鬱陶しいから少し黙っていろ」
「なぁんですってぇっ!!?」
かなり不機嫌な声音でリオンがそう言い捨てて、二人はまた険悪な視線をかわす。
「な〜んか、あの二人どっか似てるような」
「なんとなく、な」
横で、スタンとマリーがそんなことを言っているのにも気づかない。二人は小さく肩をすくめると、また道づくりに戻った。
そんなこんなでときどき歩みが滞りはしたが、思ったよりモンスターの襲撃も少なく、白いアーチ形の門前にたどりつくのにたいした時間はかからなかった。
正面は一階部分が通り抜けられるようになっている、三階建ての建物が神殿外壁を兼ねているのだ。建物は長い方の辺では二階建てになるが、四辺すべて繋がって神殿の周りを囲んでいる。
「ふん…なるほどな」
門をくぐり抜け、中庭に出るなりリオンがつぶやいた。
ここから見える限りの窓のほとんどが割れている。そして、壁には、窓から伸びでた蔦がびっしりと張りついていた。
明らかに、自然ではない。
そしてなにより、静まり返っていた。
『静かすぎるわね。人の気配が感じられないわ』
『もう、誰も生きていないかもしれないな』
『僕もそんな気がしてきた』
樹が風に揺られる音だけがむなしく響く。
「ちょっと! 縁起でもないこと言わないでよ!」
「そうだよ……」
「それを調べに来たんだ。ここで騒いでいてもなんにもならん。行くぞ」
ソーディアンたちはすでに黙っているのに飽きたらしく、好きにしゃべり出している。その様子を、ウィローミアが不思議そうに眺めていると、
「気にするな。いつものことだ」
マリーが肩をぽんと叩いた。
「大司祭様! 誰か、誰かいませんか!」
二階から知識の塔になっている、神殿の玄関ホールにウィローミアの声が響きわたる。だが、その声が壁に反響するだけで、なんの応えも返ってこない。
「……なぁ、あの扉は?」
呼びかけを続けるウィローミアの横で、スタンが奥を指さした。
玄関ホールの奥、幅の広い階段の先に、蔦にびっしりと埋め尽くされている大きな扉があった。扉自体は蔦に覆い隠されてそこにあるのがわからないが、周りの壁の造りから辛うじて扉と判断できる。
「あらホント。あからさまに怪しいわね」
言いながらアトワイトを抜き、階段を駆け上がる。その声はどこか嬉しそうだ。
『なに、はしゃいでるのよ?』
「そりゃ、いろいろと」
「あの先には何がある?」
歩いて上る残りの団体で、リオンが訊ねた。
「知識の塔です」
答えたウィローミアの声が心なし震えている。
「あ、いちいち斬るよりそっちの方が楽そう♪」
階上から不意にそんな声が聞こえる。途端、扉を閉ざす蔦がみるみる枯死していった。そして、細いものからぼろぼろと壊れ、崩れ落ちていく。
「何やったんだよ……?」
扉の前まで来たスタンの問いに、ルーティはあっさりと答える。
「水分蒸発」
『さすがだねぇ、アトワイト』
扉を押し開けようとするリオンの腰から、シャルティエが感嘆の声を上げる。
「手伝え、おまえら」
床に散らばった、かさかさの蔦をつついている一同に、リオンが呆れた声で言い放った。
「ああ、ゴメンゴメン」
しかし、反応したのはスタンだけ。他は無視してきた。
蔦がちょうつがいに挟まっているのか、軋む音ばかりでなかなか調子よくいかなかったが、不意に扉の向こう側から引かれた。
「ぅわっ!?」
「――!?」
蹈鞴を踏んだ二人に、後ろの三人がようやく顔を上げる。
「アイルツ司教!」
真っ先に声を上げたのはウィローミア。
扉を反対側から開けたらしい、神官服を纏う初老の男性に向けてだ。
「はい? …おや、あなたは――」
「神官のウィローミアです」
ウィローミアはスタンの脇を抜けてアイルツの前に出ると一礼した。
「あなた方は?」
アイルツが、一番近くにいるリオンに訊ねる。
「セインガルド王の命で来た。ここで何かが起きたらしいということでな」
「ああ、そうだったんですか。失礼しました。
助けていただいてありがとうございます。私はここの司教の一人を勤めさせていただいているアイルツ・クラインという者です」
「リオン・マグナスだ。
…司教、マートン大司教はどこに?」
アイルツの後ろからこちらをうかがっている、統率者たる威厳もなにもない数名の中に該当する人物はいそうにない。
「大司教様は……わかりません。知識の塔に逃げ込んだ者の中にはいらっしゃいませんでした」
「逃げ込んだだと? なにがあった?」
リオンが眉をひそめる。
「昼夜がわからなかったので正確な経過日数はわかりませんが、十日ほど前だったと思います。ここの大司祭であるグレバムが造反したのです。どうやってかはわかりませんが、モンスターと妙な植物を操って、神殿の者を次々と殺し始めました。大司教様とはその騒ぎの中ではぐれてしまいました。
ひとまず近くにいた生き残っている者を集めて私たちはここに逃げ込んだのですが、グレバムに気づかれ閉じこめられてしまった次第です。
ですので、その後のことはわかりません」
視線を走らせると、知識の塔の窓は蔦が張りついていて完全に塞がれていた。
「なぜここの者は殺されなかったんだ?」
「この知識の塔にはモンスターは入り込めないのです。ですから、グレバムも閉じこめるという手段をとったのでしょう。塔の地階を保存食の倉庫の一つとして使用していたので飢えることはひとまずなかったのですが」
確かに、山の奥では雪が降ったりすれば食料を買いだしに行くこともままならないだろう。かといって、やはり伝統歴史も捨てるわけにいかない。
「とにかく邪魔されたくなかったってわけ?
でもさ、神殿の人間が謀反なんか起こしてどうしようっていうのかしら? セインガルドにケンカなんか売ったって、なんにもいいことないじゃない」
ルーティの言葉に、スタンも疑問を浮かべる。
「自分の立場をダメにしてまでやる理由があるのかな?」
『……………まさか――いや、しかし………』
ディムロスの不意のつぶやきを、スタンが聞きとがめる。
「何か心当たりがあるのかよ、ディムロス?」
「あ、古代のすっごい宝物とか? なんてね☆」
冗談で言ったルーティの言葉に、まともに顔色を変えたのはアイルツだった。
「……もしや、彼の狙いは……」
「なんだ、何かあるのか?」
リオンが訝しげに聞き返すが、
「…いえ。ところで、ディムロスというのは――」
スタンとルーティの様子を疑問に思ったらしく、反対に質問を返したアイルツに、
「気にするな。こいつらは頭が少しおかしいんだ」
戸惑いの理由を察して、だが説明する気のないリオンは無責任なことを言う。
「ちょっと、あんた!?」
すかさず突っかかるルーティだったが、
「いえ、あなた方の持つそれはソーディアンですね。私には彼らの声を聞くことはできませんが、その存在は知っています」
苦笑まじりのアイルツの言葉に、思わず手を止めた。
「そうなの?」
「ええ。二十四年前に知識の塔の退魔能力を作動させていった方も、あなた方のように使い手でしたからね。
そうですね、ソーディアンの使い手なら問題はないでしょう。あなた方のお連れの方も、信頼できるでしょう。
……ソーディアンの方々なら御存知かもしれませんが、この神殿には、天地戦争の遺物の中でもっとも危険な物を封印しているのです」
「もっとも危険な物?」
『――まさか、神の眼なの……?』
アトワイトのかすれた声に、ディムロスが答えた。
『その…はずだ』
「神の眼?」
「なに、それ?」
深刻なソーディアン二人の声音だが、マスター二人はわけがわからない。
リオンは、無言のままの相棒に視線を落とす。
『説明はあとだ。今は神の眼の無事を確かめてくれ!』
「これから神の眼のところに行きます。神殿内にまだモンスターが残っているかもしれません。一緒に来ていただけますか?」
案内された奥の大聖堂の中は、木の根のように太いものが、ある一点から伸びていた。祭壇の後ろの壁を向こう側から突き破り、出てきているらしい。この木の根が大聖堂の外に出るに従って、細く分かれて蔦になっている。
「この壁の向こう側なのですが……」
壁に擬装された、この扉の開閉は不可能だ。
「なら、破るしかないな」
言うが早いか、リオンはシャルティエを抜き放ち、厚い扉を簡単に斬り捨てる。扉の向こうにわだかまる闇の中に、下へ続く階段がうっすらと見えた。
「真っ暗よ?」
「確かこの辺りに……」
アイルツが階段の壁を探っていると、薄いオレンジ色の灯りがついた。
地下階段の壁は、継ぎ目のない白茶の壁。ある程度の幅があるのだが、木の根が邪魔で縦一列にならざるをえない。
「こちらです」
アイルツの先導で、リオン、スタン、ルーティ、マリーの順で続く。ちなみにウィローミアをここに連れてくるわけにはいかないので、知識の塔に残してきた。
石独特の匂いがない中を、途中の折り返しを含めてだいたい二階分ほど下りたところで階段は終わり、広間に出た。位置的には大聖堂の真下辺りだろうか。その広間は半ば辺りで一段高くなっていて、その手前で床を突き破って現れているのが太い木の幹――蔦の本体だろう。二つに分かれたそれの一方は大聖堂の方へ、もう一方はここに居座り、毒々しい赫の花をいくつも咲かせている。その花のがくの下は大きく膨らんでいた。
それはひとまず無視し、リオンはその奥に走った。壇に上がると、直径が三メートルほどもある大きな円形の台座が突然目に見えた。はたして上が丸くくぼんだその台座の上には何もない。辺りも念のため見回してみるが――
「おい、何もないぞ」
「なんですって!?」
奇怪な植物に気をとられていたアイルツが、その言葉に慌てて駆け上がってきた。
万が一この部屋に迷い込んだ場合でも大丈夫なように、台座の周りには光を使った仕掛けが施されている。近づかなくては台座とその上は視認できないのだ。
「そんな…バカな……」
台座の前で、アイルツは愕然と膝をつく。
「……ありません……神の眼が………」
「なんですって!?」
「どうするんだよ!?」
慌てて二人も壇の上へ。そこへ、
「おい、中に人が入ってるぞ」
咲いている花の中で、一つだけつぼみのままの花を指さし、マリーが言った。
台座の前からもそのつぼみは見え、アイルツはかすれた声でつぶやいた。
「フィリア……!? なぜここに………」
膨らみの中に、一人の少女が、赤く透けて見えていたのだ。
それを聞きとがめ、
「知っているヤツか?」
「はい…フィリアは、グレバムの部下の司祭です」
リオンは一瞬思案し、口の端を小さく歪める。
「ふん。なら、敵の仲間だな」
「助けるんだな?」
マリーは剣を抜き放ち、そのつぼみを切り落とす。次いで、膨らみを、フィリアを傷つけないように注意して切り開いた。
艶やかな緑の髪を二本の三つ編みにした少女。白を基調とした神官服は、彼女自身の持つ清楚な雰囲気を引き立てている。大人らしくも子供らしくも見えるが、歳はスタンやルーティとそれほど変わらないだろう。
外に引き出された振動でか、彼女が眼鏡の下で目を開く。
「………?」
記憶が混乱しているのか、しばらく呆けたようにしていたフィリアだが、
「フィリア!」
下りてきたアイルツの呼びかけで、はっと我に返る。
「司教様! 大変なんですっ!!」
「ええ、大変です。あなたはここで何が起こったのか、知っていますか?」
「はい……ですが――あの、こちらの方々は?」
アイルツの隣に立つリオンを始め、自分のすぐそばのマリーまで、順に視線をさまよわせる。
「セインガルドから派遣されてきた者だ。ここで何があったか、説明してもらおうか」
リオンの言葉で、フィリアが思い出したように慌てだした。
「そうですわ! た、大変なんですっ。ああ、でも、まさか……大司祭様が……」
「落ち着きなさいって。何が言いたいのかわかんないじゃない!
で、大司祭って、騒動起こしたグレバムとかいうヤツのことなの!?」
ルーティが呆れて声を上げる。
「は、はい、そうです。大司祭様が……ああ、どうしましょう!」
いったんは落ち着いたかに見えたが、すぐにまたしてもフィリアは慌て出す。
その様子に、ずっとつま先が焦れていたリオンがキレた。
「いいかげんにしろっ!! いいか、要点だけ聞く。グレバムが何をした!?」
大声に彼女は一瞬呆気にとられたようになるが、すぐにはっきりと答えた。青ざめてはいたが。
「マートン大司教様を殺められ、その場を見たわけではありませんが、おそらく神の眼を持ち出されたはずです」
『神の眼を持ち出しただと!!?』
『そんな…なんてことを……』
フィリアの答えに、ソーディアン二人の声が重なる。
「どうしたんだよ?」
「そうよ、さっきからなんなの?」
二人揃って、腰につるした剣に問いかけた。
『神の眼を取り返すんだ! あれは人の手にあるべき物ではない』
ディムロスが強い口調で言う。
「取り返せって……そもそも神の眼ってなんなんだよ?」
『神の眼というのは、この世界を滅ぼすだけに力を秘めた、巨大なレンズなの』
アトワイトが、沈痛な声で答えた。
「世界を滅ぼすぅ? そんな、大げさすぎるわよ」
ルーティの胡散臭そうな声に、
『大げさなんかじゃない。神の眼は、普通のレンズの何万倍という力を集めることができる。しかるべき装置に組み込みさえすれば、それに勝る兵器はないだろう』
『かつて天地戦争の時代、その神の眼の力を使った兵器のために、地上は滅亡の危機に瀕したのよ』
「そんなものがなんでこんなところに?」
『この辺境の地下に、厳重に封印していたんだ……』
ディムロスの声がうめくように重い。
「このままグレバムの勝手にはさせないさ。
だが、これでおまえらが自由になれるのはずいぶんと先になりそうだな」
不敵な笑みを浮かべ、リオンが言い切る。
「ま、仕方ないな」
即答するスタンと、
「あたしも…行かなきゃダメかしらね」
『ルーティ、お願い。神の眼だけは、どうしても――』
懇願するアトワイトに、
「やぁね、行くに決まってるでしょ。乗りかかった船だもん。こうなったら、やるしかないじゃない」
ルーティは笑って返す。
「マリーは?」
「よくわからないが……ルーティが行くのなら、行こう」
「ありがと☆」
ソーディアンの声が聞こえないのなら状況は理解できなくて当たり前だ。それでもそう言ってくれたマリーに、ルーティは飾りない笑顔を見せた。と、そのとき。
「あの……」
おずおずと、フィリアが話しかけてきた。
「なに?」
「あの、どなたなんですか、先ほどの声だけ聞こえていた方々は?」
怪訝な顔で問うてきたフィリアを、ルーティはぽかんと見返す。
「あんた……ソーディアンの声、聞こえるの?」
「ソーディアン……?」
わけがわからず、フィリアは小首を傾げる。
そんな彼女に、ルーティは腰につるしたアトワイトの柄を持ち上げてみせた。
「これこれ。しゃべっちゃう剣のこと。こいつらの声は、聞こえる人と聞こえない人がいるんだけど――」
あんたは聞こえるんだ、と続けようとした時、幹から伸びる木の根が大きく脈動した。
「――な、なに!?」
それを皮切りにずっと静かだった木の根が触手のようにうごめきだし、幹の上では禍々しい花びらが次々と散る。
続いて膨らみが弾け、その中から次々と黒い影が現れ出た。
コウモリのような翼を持った、いびつに歪んだ四肢を持つ人型の生き物――一般に悪魔型と呼ばれるような、大型のモンスターが。
一つの膨らみから、一つの悪魔。
この部屋の天上は、瞬く間に黒い羽音におおわれていく。
生まれたばかりのモンスターらは、まだ何をするというわけでもなく、血の色をした瞳のない眼だけが、不気味にぬらぬらと輝いていた。
「ここでは不利だ、上がるぞ!」
リオンが声を張り上げる。天井の高いこの部屋で相手が飛べるのは不利だ。特に今は戦いに参加できない足手まといが二人もいる。動き出される前に、できるだけこちらの有利に傾けなくてはならない。
アイルツとフィリアが、マリーとルーティに付き添われ階段を先に駆け上っていく。
「おい、焼き尽くせるか?」
その後に階段に入ったところで、リオンが隣のスタンに問いかけた。
「焼き尽くす……? ……あ、そういうことか」
抜きはなったディムロスの刃にまっさらな紅い光が集う。強まっていく輝きが目をおおうほどになった頃、清廉な紅は刃から放れ、いくつもの龍をかたどると、轟く咆哮をあげながら室内を荒れ狂った。
「ほぅ」
小さく感嘆の声をもらすリオン。
「ぅわ、すっげぇヤなにおい!」
スタンがディムロスを下ろし、顔をしかめる。
熱せられて空気が渦巻きだした広間から、焼かれた植物が発したものだろうか、なんとも形容しがたいひどい悪臭が漂ってきた。
『ええいっ、もっとしっかりできないか!!』
「んなこと、言ったって、まだ二回目、なんだからな!」
リオンと共に階段を駆け上がりながら、スタンはディムロスに言い返す。
モンスターは半分以上は焼け落ちたが、残りは焦げただけ。植物の幹は炭の小山を作っていたのだが。
『二度目にしては上出来だよ。力はしっかり集まってるんだからさ、あとはコントロールだよね』
シャルティエがフォローを入れるが、
『なまじ集められる力が強いだけに、まともにコントロールできないのは危険なんだ!』
ディムロスはきっぱりと言い返す。
『あ……そだね』
今回は階段の上で、行使された広間からすれば窪みの中だったからよかったものの、開けた場所で大技をやるにはかなり危なっかしい。
「シャルティ!」
大聖堂に出た途端、リオンが叫ぶ。
『はいはいっと』
大聖堂の床を突き破り形作られた岩の壁が、地下への入り口をふさぐ。
「二人とも、こっちこっち〜!」
先に上がったルーティが、扉を半ば閉めた隙間から手を振る。
二人が隙間をくぐった直後、待ち構えていたアイルツとマリーによって扉が閉ざされる。
「たいした時間稼ぎにはならないだろう。どこか天井の低い場所は?」
今まで通ってきた道はすべて、天井が高めに造られていた。このままでは不利は変わりない。
「いえ、あいにく……」
アイルツが首を横に振り、リオンは左親指の爪で唇をなでつける。
「……仕方ない。確か、知識の塔にはモンスターが入れないんだったな。そこに籠もって、晶術で撃ち落としていくしかあるまい」
多少時間はかかるが、焦って怪我など負ってはこのあとの追跡に支障が出るかもしれない。あえて危ない橋を渡る気はなかった。失敗は許されない。
「そうと決まったら、とっとと戻ろうぜ」
「さっきのような無様なことにはなるなよ」
晶術のコントロールミスのことを知らないルーティは、そのリオンのセリフに、興味津々に二人に詰め寄る。
「なに、なに? 何かあったの?」
「別に…なんでもないよ」
苦笑しながらルーティを押し返し、リオンを軽く睨む。だが、にらまれた側はどこ吹く風だ。
『……のんびりしていていいのか?』
いまいち緊迫感に欠けている様子に、ディムロスが呆れかえる。すると、
「「「よくない」」」
はかったわけでもないのに、三人の声が重なった。
「では、急ぎましょう」
知識の塔をぐるりと囲むように線対称に造られた二つの廊下が、大聖堂と玄関ホールをつないでいる。
その片方を急ぎ駆け戻り、スタンたちは再びホールへ足を踏み入れた。
「あ、あれ?」
すると見えたホールの中央に立つ人影に、全員の足が戸惑うように遅くなる。
「ウィローミア、知識の塔の中にいなさいと――!」
アイルツが驚いて彼女のもとまで走り寄る。追って、他の者も。
「司教様、みなさん、ご無事でいらっしゃったんですね。さきほど、大聖堂の方からすごい音が聞こえましたので……」
ウィローミアが笑みを浮かべる。
「そうですか、心配をかけましたね」
アイルツから視線を外し、彼女は続けて、
「……ええ…このまま生き続けなくてはならないのかと……でも、よかった………」
虚ろな、底のない笑みで言った。
「――!?」
スタンたちがその言葉の意味を理解する前に、ウィローミアの背後から床を割って、あの植物が現れる。
「……独りじゃ淋しいよね……今行くから………」
遠い眼差しはなにも捉えていない。
「ウィローミア!?」
植物の幹に開いたうろに彼女の身体がとけ込む。その途端、植物は鈍色に冷たく輝き、形を変えた。四肢が異様に長い、巨大な人型に。床に波打つ髪は漆黒の色だ。
“彼女”が右腕を、スタンたちへすっと差し出す。
ぐんっと音を立てて空気が揺らぎ、放たれた衝撃波に全員が吹っ飛ばされた。重い圧力に、悲鳴を上げても声には出なかった。
「――くっ」
いち早く立ち上がったリオンが、シャルティエを抜く。
「………いったい、どうなってんだよ……」
うめくような声を吐き捨て、スタンもディムロスを抜いた。だが、構えるにはいたらない。切っ先が躊躇うようにさまよっている。
『――…寄生樹の種子…です。天地戦争の生物兵器で、人間に寄生して、モンスターに変えてしまう……っ、そっか、さっきのも………』
シャルティエが震えた声を絞り出す。
人間は自我が強いので万一レンズを取り込んでも変貌するのは稀なのだが、寄生樹の種子は人間と同化しレンズを受け入れてしまう。
まさか、まだ残っているとは思ってもいなかった。全部破壊したと思っていた。
しかも寄生樹が活動しているということは、事態は思った以上に厄介なことになっているようだ。寄生樹自体に自我というものはないのだから。
「アイルツ司教と司祭は知識の塔に入ってて!」
ルーティとマリーが、“彼女”と塔の扉との間に、割り込むように移動する。
「助けられないのですか!?」
フィリアの叫びに、アトワイトは、
『………………無理よ』
そのとき、背後とホールの反対側から、モンスターの群が現れた。
放たれた何度めかの光球の群を、石壁が受け止める。ほぼ同時に、火の渦が“彼女”の周囲に降りるが、それは“彼女”の腕に吹き散らされた。
床に根差したままの“彼女”を相手にするのはスタンとリオンだ。
大きな鎌に形を変えた“彼女”の両腕に、彼らが放つ晶術は完全に防がれてしまっている。そして散発的に放たれる、青白い光の球が返されてくる。だからといって近づこうにも衝撃波がそれを許さない。打ち消すときには立ち止まっていないと、力負けして後方へ吹き飛ばされてしまうからだ。
モンスターの群は、ルーティの、威力は弱くとも広範囲攻撃可能な晶術で床に落とし、それをマリーがとどめを刺すというやり方でそこそこ順調に数を減らしている。ただでさえ苦戦している二人のところへ、モンスターを近づけるわけにはいかないのだ。
そして、知識の塔に、フィリアはいた。
見ていた。
見ているだけ。
なにも、できない。
ここで、戦っている人たちの無事を祈るだけ。
ウィローミアの死を――祈るだけ。
グレバムに造り替えられた彼女。
グレバムを前に、なにもできず、閉じこめられた自分。
(私の……せいですのに………)
グレバムを止められなかった自分。
いつのまにか、フィリアは床に膝を折っていた。
なんの関わりもない彼女は殺され、止められなかった自分は生き残るのだ。
なんということだろうか。
なんという、罪だろうか。
本当は、彼らと共にグレバムを追いかけ、償いたい。
しかし、償おうにも、自分にその力はない。
彼らの足手まといにしかならないのだ。自分は。
自分は、終わりを待つしかないのだ。
誰かが終わらせるのを、待つことしかできないのだ。
「…フィリア」
不意にかけられたアイルツの呼びかけに、フィリアははっと顔を上げる。
「は、はい。なんでしょうか?」
「あまり思い詰めるものではありません。仕方がないのです」
――仕方がない。
その言葉で片づけるには、フィリアは責任感が強すぎたのかもしれない。
「司教様……」
何かを言いかけ、言葉に詰まる。
わからない。
何を言おうとしているのだろう。
自分には、何ができるのだろう。
そのとき、声が聞こえた。
「…………?」
それは確かに声だった。
声が呼んでいる。フィリアを。
「フィリア?!」
戸惑い制止するアイルツの手をふりほどき、フィリアの足は知識の塔の上へと向かっていった。
声に呼ばれるままに。