六章 つぼみはほころびる






「今度は負けないからね!」
 力一杯の宣告。


 カルバレイスのチェリクから波に揺られること八日ほどで、フィッツガルド南端の街、ノイシュタットに到着する。
 舗装された街は明るく、早くもほころびだした桜の花で華やかだ。
 観光客らしい人々と何度もすれ違いながら、リオンは迷いなく街を進む。
「ねぇ、どこに行くのよ?」
 はしゃいだ一団に冷たい一瞥をくれながら、ルーティが言った。
「ノイシュタットにあるオベロン支社の管轄者の所だ。
 オベロン社の運搬船が襲われているんだ。そこに行かなければどうにもならないだろうが」
「はいはい」


「ふん。何をやらせるのかと思ったら、これか」
 一枚ずつ、五ヶ所にカードを振り分ける。


「リオン君! どうしたの、珍しいわね」
 オベロン社の支店の前まで来ると、一人の女性が作業を指揮する手を休め、こちらにやってきた。
 長いグレーの髪を後ろで留めた、物腰やわらかな美人である。だが、瞳は強いものを抱いている。
「イレーヌ、輸送船が襲われて大変らしいな」
 リオンにイレーヌと呼ばれた女性は綺麗な眉をひそめ、
「そうなのよ。おかげでここ一週間は船を止めてるの。でも…いつまでも止めてるわけにはいかなくて、ほとほと困ってるのよ」
 言って、それほど大きいわけではない支店からあふれた、換金されたレンズを詰めた箱を港に運ぶ社員たちを顎で示した。今のままでは、じきに港の倉庫もレンズに埋め尽くされてしまうだろう。
「ああ、バルックからあらかた聞いている。なかなかのやり手だそうだが。
 ところで、少しいいか」
 リオンの言葉に、イレーヌはちらりと作業をしている者たちを見やり、
「ここで立ち話もなんでしょうから、ひとまず奥へ」
 社員たちに一言二言残し、支店の奥にある瀟洒な屋敷へと案内する。支店はこの四つ角に建つ屋敷の敷地内にあるらしかった。
 イレーヌは屋敷の応接間まで来ると、全員に座るよう笑顔で促した。
「自己紹介がまだだったわね。
 私はイレーヌ・レンブラント。このノイシュタットのオベロン社支店を預かっている者です。皆さん、よろしくね」
 返すようにスタンたちが自己紹介を済ませると、
「で、リオン君。話って?」
「僕たちはあの武装船団の親玉の居場所を知りたいんだ。手を貸してほしい」
「それはかまわないけれど……どうするつもり? 囮を出して返り討ちにでもするというのなら、やめた方がいいわよ」
「え、どうしてですか?」
 イレーヌの言葉に、スタンがきょとんとする。
 ノイシュタットに向かう間の会話で、リオンはその手でいくつもりだと気づいていた。確かにそれが手っ取り早い。案の定、リオンも怪訝そうな顔をしていた。
「運良く生き残った船員の話だとね、襲ってきたのはどうもまともじゃないのよ。
 一応人間の形だそうだけれど、全くの無表情で一声も発さず、黙々と船員を殺していったって。さながら……操り人形のように」
 最後の一言に、皆がはっとする。
「ということは……手下もしっぽ切りをされる恐れがあるな。そもそも、まともなヤツかどうかも……」
 ストレイライズ総本山での一件も思いだし、リオンはしばらく考え込んでいたが、不意に、
「イレーヌ、船を出してもらえないか。レンズを積んで、いつもと同じように振る舞って。船員は…そうだな、人数を操船に必要な最低限に絞って、襲われればすぐに逃げ出せるようにして」
「できないことはないけれど、どうするつもり?」
 ニヤリとリオンが不敵な笑みを浮かべる。
「レンズを詰めた箱に発信機をつけてやるのさ。それで本拠がわかるだろう。うまくいけば全部片づく」


「いいだろ、ちょっとぐらいつきあえよ」
 手際よくカードを配る。


「それ、外してしまうのか……綺麗なのに」
 名残惜しそうにマリーが言う。自分の手首につけられたあの装置を外そうとしているリオンに。
「ちょっと、あたしのは?!」
 そしてなにやら複雑な手順を踏んだ後に外れた腕輪を分解し始めると、自分のは外されないことに気づきルーティがくってかかる。
「一つあれば十分だ。それにおまえのを外したら、それこそなにをしでかすかわからんからな」
「な……っ!!」
 さらにわめき立てるルーティを軽い電撃で黙らせると、リオンは小さな発信機を取り出す。
「へぇ、こんな小さいんだ……。これをどうするんだ?」
 指の爪ほどもあるかないかと言った小ささの薄いそれに、スタンが感嘆をもらす。
「荷箱のレンズの奥に放り込む」
 と、イレーヌが部屋の扉を開けて入ってきた。
「準備、できたわよ。出航はいつもの時間にするから明日になるわ。しばらくはみんな、この家に泊まっていきなさいな。たいしたおもてなしはできないけれど」
 思わず、スタンとルーティが部屋の中をぐるりと見回す。地味なようで、だがはっきりと高価だとわかる室内装飾がされた部屋を。


「うるさいな、つきあえばいいんだろう」
 手札を手にとり、中をあらためる。


 リオンはさっさと割り当てられた部屋に入ってしまい、暇を持て余した残りの四人で散歩に出ることにした。
 整然と続く石畳の道は港から街の各所へ延びている。観光客のための物か、四つ角などには標識も立てられていた。
「のどかですね」
 茜の陽射しに、フィリアが微笑む。街は凍れる冬の面影など微塵も残していなかった。
「綺麗なものだな」
 咲きかけている桜のつぼみに手を伸ばし、マリーがつぶやく。
「もうじき咲きますね」
「私はつぼみというのも好きだな。"これから"という感じだ」
 言って、マリーは軽くつぼみをはじいた。そのとき。
「やめてよ!」
 幼い子供の声が響いた。
「なんだ?」
 今スタンたちがいるところから少し離れた港に近い側に、子供が三人いた。先ほどの声はそこかららしい。
「あ〜ら、お金持ちのおぼっちゃまがわざわざ港でお買いものぉ? ふふふ、まるで召使いみた〜い」
「違うよ、おねえさま〜。おぼっちゃまじゃなくて、コイツは"ミナシゴ"だよ。
 ママが言ってたよ。こいつら親がいなくて、お金持ちの"オクサマ"に引き取られたんだって」
 じっと耐えるようにうつむく少年の前で、身なりのいい姉弟がとてもわざとらしい声で会話をしている。
「あ〜ら、そうだったっけ。どうりでわたしたちとは違うと思ったわ。あんたもあんたの姉さんも、なんだかとってもみすぼらしいのよね〜。あんたたち、毎日召使いみたいに泥だらけで働いてるじゃない。きったな〜い♪」
 さげすむように見下ろしてくる少女に、少年がすぐそばの階段を降りて離れようとする。が。
「あ、下の道から帰るんだ〜。あそこってあんたの仲間がいっぱいいるのよねぇ。親のいない子供が。わたし、怖くて通れな〜い☆」
「まったくヤだよね。貧乏な人がいると街が暗くなっちゃう」
 少女に続けて、その弟が言った。途端。
「いいかげんになさいっ!!」
 一声張り上げ、ルーティがつかつかとそちらへ歩み寄った。
「な、なによぉ」
 その剣幕に、姉弟がびくりと震える。
「ぼ、ぼくたちがなにしたっていうんだよぉ!」
「そ、そうよ! みなしごに"みなしご"って言ってなにが悪いのよ! 本当のことじゃない!」
 ルーティは大きく肩をすくめ、
「やだやだ。これだから、金持ちのガキは……!」
 しっかり姉弟に聞こえる大きさの声で、不快そうに吐き捨てた。
「ぼ、ぼくたちにそんな口きいていいと思ってんのか!」
「わたしたちのパパ、この街の偉い人なのよ!」
「…だから? それがどうかしたの」
 ルーティが静かに据わった声音で切り返す。予想外の反応なのか、姉弟はまともに顔をひきつらせた。所詮こんなもの。
「あんたたち、どうしようもないクソガキね! 自分のしてること、一度よっく考えてみなさいよね、ったく!!」
「…ぅう……なんであたしが怒られなきゃいけないのよぅ……っ!」
 見る見るうちに目に涙をためて、姉弟は逃げていった。
 ルーティはそれを冷たい目で見送ると、
「大丈夫?」
 今度はころりと目を和ませ、少年に笑みを投げかけた。
「――あ…ありがとう……」
 ささやくような声で、少年が言った。
「あいつらの言ったこと、気にすんじゃないぞ」
「…ううん、慣れてるから。僕が孤児なのは本当だもの」
 少年のその言葉に、ふっとスタンが顔を曇らせる。
「そんなの全っ然関係ないわよ」
 ルーティがきっぱりと言い切り、腰をかがめて少年の頭をぽんぽんと叩いた。
「ご両親が早くに亡くなられたからって、それはまた別だよ。それをあんな風に言う方がおかしいんだ。……俺だって、親二人ともいないし」
 苦笑いしながら言ったスタンを、少年は驚いて見返した。
「な、ほら、早くお姉さんのところに帰ってやりなよ」
「…う、うん」
 スタンに笑顔で促され、少年は街の奥へ走っていく。が、ふと立ち止まり振り返ると、
「――ありがとう!」
 今度はしっかりと、頭を下げた。そしてすぐに踵を返して帰っていった。
「ルーティさんってお優しい人ですよね」
 それを見送って、フィリアが笑顔で言った。
「べ、別に、こんなの普通じゃない」
 両手をぱたぱた振り回して否定するルーティだが、顔が赤いのは夕焼けのせいだけではなさそうだった。


「じゃ、始めるわよ!」
 山札を中央に積んで、それではゲーム開始。


「さっき、出航したわよ」
「ああ、知ってる」
 世界地図に目を落としていたリオンが顔を上げ、部屋に入ってきたイレーヌに答えた。
「他のみんなは?」
「食堂にいるが」
 手のひらにすっぽりと収まる探知機と、地図を見比べているらしい。
「……どう?」
「待ってやるさ」


「…………」
 異様に緊張した空気の中で、手札を捨て、札を引いていく。


「あら、スタン君だけ?」
 食堂に入ってすぐスタンとぶつかりそうになったイレーヌは、中に誰もいないことに気づいて怪訝な表情を浮かべた。
「ああ、すみません。俺、寝起き悪くって」
 スタンが照れたように苦笑する。
「いいのよ、別に。ところで……他のみんなは?」
「ルーティとマリーさんは外に出かけました。昼前には一度戻ってくるはずです。フィリアは部屋に戻るって言ってました」
「そうなの。――そうだ、スタン君。暇?」
 思いつきにぽんと手を打ち、訊ねる。
「え? ええ、一応……」
「じゃあ、私とデートでもしない? 朝の散歩に。私も暇なのよ」
「デートぉっ?!!」
 顔を赤くして素っ頓狂な声を上げたスタンに、イレーヌはさらに、
「あら、スタン君はお姉さんとじゃ嫌かしら?」
「い、いえ、あの、そーゆーんじゃなくって……」
 しどろもどろになるスタンの腕を、さっとイレーヌは取ると、
「なら、決まり。行きましょう」
 屋敷の外に連れ出した。
 そのまま街の通りを歩きながら、
「そういえば…スタン君、ノイシュタットは初めて?」
「え、はい」
 落ち着かない彼の様子をイレーヌはおかしげに笑って、
「じゃあ、セインガルドの出身なのかしら?」
「違います。えっと――リーネの」
「リーネ?」
 聞き慣れない名前だ。思わず聞き返すと、
「ロスマリヌスの少し西にある、小さな村です。…まぁ、そこで生まれたってワケじゃないんですけど……」
 ルーティに何度も"田舎"と言われたことを思い出し、微かに苦笑する。
「あら、ならどこの生まれなの?」
 問われたスタンの瞳が、微かに揺れる。
「あ――……っと、その、そんなたいしたトコじゃないですから。
 そういうイレーヌさんは…ここの人なんですか?」
「いいえ、私はダリルシェイド生まれよ。こっちには仕事で来てたのよ、最初は。今ではもう、こっちで家も持って住み着いてるけどね。
 初めてこの街に来たときは…確か、桜が満開の時だったわ……」
 ノイシュタットに植わっている桜の大半は早咲き種である。あと一週間ほどで満開になるだろう。公園では並木の上に、色づいたつぼみが所狭しとドームを作っていた。
「この街、桜だけは綺麗なのよ……」
「え?」
「なんでもないわ。スタン君の故郷でも桜、咲く?」
「ええ、丘の樹の上とかから桜ばっかの森を見ると、本当にすごいですよ。
 ロスマリヌス近くのはほとんどが結構遅くに咲く種類なんだそうで、満開になるのはあと一ヶ月ぐらいは後になりますけど」
 嬉しそうに、無邪気に話すスタンを見て、イレーヌが目を細めた。
「なら、それまでには故郷に帰れるといいわね」
 その二人から少し離れた樹の影で、ルーティが不機嫌この上ない表情で、腕を組み樹にもたれかかっていた。
「ぁによ、あいつ。でれでれしちゃってさ〜」
 隠しきれない苛立ちと共に、そう小声で吐き捨てる。
 二人を見かけたのは偶然だが、今ここにいるのは偶然ではない。
「な〜に話してんだか。ふんっ」
 つんと目を背けると、
「ルーティ。二人が行ってしまうぞ」
 向こうとこちらの様子を交互に見ていたマリーが並木の奥を指さした。
「なっ、マリー! 追いかけるわよ!」
 すかさず視線を戻したルーティが、何度目かの科白を口にする。それに対し、マリーも何度目かの苦笑を滲ませた。


「なんだ、ジョーカーが入ってるじゃないか」
 引いた札を見て、つぶやく。


「あれ、どうしたんだ、フィリア」
 そろそろリオンに言われた時間だとスタンが部屋から出てきたとき、フィリアは廊下の窓から外を眺め、なにやら沈んだ面もちをしていた。
「スタンさん。あの……あそこに一本だけ花を咲かせている桜が見えまして」
 かけられた声に力なく微笑み、フィリアが窓の外を示す。
「あ、ホントだ。早咲きだな。そういえば、総本山のそばにも一本、狂い咲きがあったよなぁ」
「そう…でしたね。あの桜、一年ほど前に病にかかって、枯れそうになったことがあったんですよ」
「へぇ、そうなんだ。あの桜も結構高齢だろ。治ってよかったよな」
 そして、スタンはフィリアと連れだって階下のリオンがいる部屋へ向かう。そろそろ街に出ていた二人も戻ってきていた。
「リオン〜、どうだ?」
 部屋に入り、低いテーブルに広げられた世界地図と手の中の探知機を見比べている彼に、そう声をかける。
「航路を外れた。襲撃されたと思っていいだろうな」
「意外と早かったな」
「手ぐすね引いて待ちかまえてでもいたんだろう」
 リオンがつまらなさそうに吐き捨てる。
「ねぇ、目的地は?」
 スタンとフィリアの後ろから、ひょいとルーティが顔を出す。そして、手近のソファに深く座り込んだ。突っ立っているのもなんなので、スタンたち三人も適当に腰かけていく。
「まだわからん。今のところ南下しているようだが」
 かつ、と音を立てて、リオンが地図の上に探知機を置いた。トランプのカードより一回り大きいぐらいのサイズで、全体地図ではなく拡大地図が表示されている。
「今の位置からなら、ファンダリアか、セインガルドの辺境か」
「アクアヴェイルか、か……」
 リオンの言葉に、スタンが何気なく続ける。
「まさか。いくらなんでも、それはないんじゃない」
 ルーティが吹きだし、手をぱたぱた振った。曲がりなりにもセインガルドの人間が、長年冷戦状態のアクアヴェイルに逃げ込めるとは思えなかった。
「ファンダリア…なのかもしれませんね。グレバムには娘さんがお一人いらっしゃるんですよ。もともとグレバムはファンダリア出身ですし」
 ぽつりとフィリアが言った。
「へぇ、そうなんだ」
「はい。私と同い年で、そのせいか私にも娘のように優しくしてくださいました。私が幼い頃からいろいろと教えてくださって……私、ずっと尊敬しておりましたもの」
 話しながら、フィリアが笑みをこぼす。と。
「そんな昔話までする必要はないだろう。だいたい、そんな甘えた考えは捨てろ。やる気はあるのか」
 リオンが冷たく言い捨てた。
「お、おい……」
 さすがに気まずい雰囲気が流れる。
「あ、……すみません……」
 震える両手を握りしめ、糸のように細い声でフィリアは言うと、
「…失礼します……」
 部屋の外へ駆け去ってしまった。
「……あたし、行ってみるわ」
 唐突にルーティが立ち上がり、マリーを誘ってフィリアを追いかける。
 そして、
「リオン……」
 スタンはなだめるような声をかけた。
「さすがに、あれはちょっと言いすぎだと思うぞ」
「なにがだ」
 スタンを視線から外してつっけんどんにリオンが返す。
「なにがって……なぁ。なんでフィリアにそんなにきつく当たるんだよ」
「別に。おまえらと態度を変えているつもりはないが」
「そうかなぁ? ……なんかさ、苛ついてない?」
「ふん、確かに、あんな甘えた女、腹は立つが」
 言葉と共に、顔も背けられた。
「…………あぁ、そう」
 その、妙に納得したような声を怪訝に思い、リオンが振り向いた。
「なんだ」
「いや……ん〜、仕方ないんじゃないか。違うわけだし」
 大きく言葉を端折ってスタンが言うと、
「わかったような口をきくな。鬱陶しい」
「別にぃ。そんなつもりはないけど」
 言って、隣でスタンが小さく笑う。
 それを何とはなしに見ていて、ふと気づく。先ほどまでの苛立ちも消えて、さらに口で言っているほど腹立たしく思わないでいる自分に、リオンは少し意外な気がした。そうなるとこのまま黙ってなどいられないので、一つ、口に出す。
「そういえば、おまえ、フィッツガルドの出身だったな」
「そうだよ。でもな〜、北部だからここからはむちゃくちゃ遠い」
 少し残念そうなのは、やはり。
「……"家族"が懐かしいか?」
 自分とは遠い"何か"を見た気がして、少し声音が弱くなった。
「そりゃ、本当はこんなに長い間外にいるつもりじゃなかったしな。黙って出てきたようなものだし、みんな心配してるだろうな。特にリリスなんかはさ」
「リリス?」
「俺の妹。俺さ、両親とも結構前に死んじゃってるんだ。どっちも、病気とかで死んだんじゃなくて…その、急にだったから。一度だけ、こんなこと言ったことがある。"見えないときほど怖いときはない"って」
 目の前からいなくなったとき、そのまま帰ってこないのではないかという怯え。
(ということは事故死……か?)
 思いながらも、口に出すのはさすがにはばかられた。しかし、表情で知れたらしく、
「父さんは十一年前、街の外に出かけてるときに死んだって聞いた。母さんは…七年前に、その頃住んでた村がモンスターに襲われて、そのときに殺されたんだ」
 淡々とした声で言ってきた。リオンは微かな違和感をそこに覚える。いや、違和感というか、普段は決して表に出ない押し隠されている一面なのかもしれない。それと同時に、もう一つ、脳裏をかすめて過ぎったものがあった。
「リリスは…今、十五なんだ。だから、どっちも死んだときは全然わからなくて、急にいなくなったんだよな。だから……いや、でも、ま、大丈夫だよ。叔母さんがいるんだし」
 根拠なんてないようなその確信は、リオンはひどく不思議に思えた。ぱっと、普段ののんきそうな面持ちに戻ってしまえるスタン自身も。
「"家族"……いいものか?」
 思わずつぶやいてから、自分の声音に再び驚く。案の定、スタンもきょとんと見返してきていた。覚えていたのかもしれない。リオンが自分のことを"孤児"と言ったのを。
「……でもさぁ」
 ソファの背にもたれ、スタンが思いっきり伸びをする。そして、
「今は今で結構いいよ。……まぁ、リオンとルーティのケンカに巻き込まれるのは遠慮したいけど、下が二人いたらこんなモンだったかもなって、さ」
「な――っ!?」
 その言葉にリオンがぎょっとする。
「それはどういう――!」
 そこでふと、スタンはラティルスがよく言っていた言葉を思い出した。
「あ、ほら、言わないかな。一緒に旅する仲間は家族なんだって」
 今度は、すこんと毒気を抜き取られて呆気にとられてしまう。だが同時に"家族"という言葉に奇妙な感情もリオンは覚えた。よくわからない。わからなくて、もどかしい、何か。それを抱きつつ、
「……僕は、おまえみたいな兄はいらないな」
 ふっと笑って、言い返した。
「あ〜、それどういう意味だぁ?」
 笑顔のまま、ほんの少し非難がましくスタンが聞き返すと、
「そのままの意味だ。春の日向みたいにのんきなのは田舎者だからか?」
「田舎者って言うなよぉ〜」
 スタンの左手がくしゃくしゃとリオンの細い黒髪をかき回す。
「…なっ! ――この」
 上体を前に傾けてその手から逃れると、逆にスタンの手首をつかまえて、リオンはソファの上に片膝をついて立ち上がり、仕返しとばかりにスタンの長い金髪をかき乱した。
「ぅわわっ?」
 思ったより癖もなく、普段からふわふわと跳ねているのは多髪のせいだろうか、いっそう空気を抱いた金糸はリオンの指に絡みつき、すっと解けていく。
「ぁつっ! ちょ、リオン! 髪、引っ張ってるって!」
「ふん」
 一通り引っかき回して気が晴れたのか、思わず身体を引いたスタンからそのまま離れると、リオンはようやく自分の髪を軽く収め始めた。一本だけ指に絡まっていた長い金糸が、さっき痛がった原因だろう。
 その横で、やっと解放されたスタンも浮き上がった髪を抑えつけながら、
「ちぇっ、まさかやり返されるとは思ってなかった」
 少し悔しそうに。だがその一方で楽しそうというか嬉しそうというか。
「妹だけでよかったぜ」
 リオンが何か言い返そうとするよりも早く、スタンは部屋を出ていってしまう。
 そのまま、なんとなく、しばらく閉められた扉を呆けたように眺めていた。どさっとソファにくずおれ、深く身を沈める。天井が目に入ったが、見えてはいなかった。
 そして。
 気がついたら、窓ガラスが茜に照り返していた。
 ――こっちが、おまえよりちょっとお兄ちゃんなんだ。
 もうとっくに忘れていた、懐かしすぎる記憶。
 ……思い出?
 ……夢?
 なにを求めているのだろう……?
「ふん、馬鹿馬鹿しい」


 一枚が場に捨てられた。
「――ぁ………」


「あれ、マリーったら料理の本なんか読んでんの?」
 リオンが居座っているのとは別室である。来客用ではない、廊下とつながった部屋だ。
 ちらりとマリーが部屋の一角に視線を向ける。それを追ったルーティはすぐに納得した。屋敷のメイドが数人固まって何かを囲んでいた。
「"世界料理百科"……?」
 背表紙を向かいにいたスタンが読み上げる。
「およそあたしたちとは無縁だわね」
 妙に力一杯ルーティは言いきった。
「そうか? 私には懐かしいがな」
 マリーはパラパラとページを戻ると、楽しそうに一つの写真を指さした。
「この"ビーストミートのポワレ"なんかうまいぞ。昔よく作ったものだ」
 途端、ルーティがマリーの肩を掴む。
「ちょっと、"昔"って……!?」
 スタンも思わず身を乗り出す。
「マリー、あんた。記憶が戻ったの?!」
 勢い込んで問われて、マリーはしばし視線をさまよわせたが、
「………。…いや……そういうわけではないようだが……これを、私は知っている。材料も、作り方も、味も……」
 涙に濡れた瞳で見たような世界に、何かがちらついた。
「……そうだ。私はこれを作ったことがあるんだ」
 誰かが見えた。
 あれは……誰だったろうか……?
「そっか。…そうなんだ。それ、あんたの失くした記憶の手がかりになるね」
「どうしてだよ?」
「バカね、よく見なさいよ。このページ、ファンダリアの郷土料理よ?」
 ルーティは言いながら、分類を示すページの上端をスタンに指さし示した。
「なるほどぉ」


 山から一枚だけ引いてみた。
「……ん?」


 あの方を信じた私がいけなかったのです――
 きつく目を閉じ、テラスに手すりを握りしめる。
 二階の廊下から直結している、正面玄関の上のテラスだ。
 ルーティは、リオンの言うことをいちいち気にしてなんかいたらやってられないと言ってくれたが、今日言われたことは事実なのだ。自分は覚悟を決めたのだ。
 それなのに……
「やっぱり、夜になると冷えるね〜」
「ス、スタンさんっ!!」
 不意に背後からかけられた声に、不必要なまでに驚く。
「あ、驚かしちゃった?」
「い、いえ……。あの、……不謹慎、でした。こんな時に…思い出話なんて。もう、昔のことは忘れますわ」
 だから、過去を忘れなくては。
 それは、嘘をついて、自分に言い聞かせた言葉。
「……あの方を信じた私が、いけなかったのです……」
 "信じること"の否定?
 言い聞かせなくては、とうていできやしない。
「あのさ、フィリア。俺、難しいことはよくわからないんだけど…フィリアは、信じていたんだろ? グレバムの…優しかったときのこと」
 必死で押し殺そうとしている心を言い当てられたようで、フィリアの肩がびくりと震える。
「い、いえ! そんな、そんなことは……っ」
 テラスの手すりを強く握りしめることで震えを無理矢理止め、焦ったようにスタンの方を振り向き、言った。
 なにより青い青があった。そこに映る自分に、なにもかも崩れてしまうような気がして、思わず逸らしてしまう。味気ない外灯に薄く照らされた通りに目を落とし、続けようと、声を絞り出そうとする。
 だが、それよりも早く、スタンが口を開いた。
「俺は……それでもいいと思う。嘘、つかなくてもいいと思う。
 それは、フィリアの優しさだよな。戦いは避けられないけれど――その、そんなフィリアの優しさまでなくしてしまう必要は、ないと思う。
 無理に優しくなくなったら、フィリアらしくないだろ?」
 いつのまにか、逃げていた青にまっすぐ合わせていた。目を見開き呆けていたのは一瞬だけで、すぐに涙がこぼれてきた。
「…ありがとう、ございます……。でも…でも、グレバム大司祭様を倒さなければという決意に嘘はありません。ただ、それは…もう、罪を重ねていただきたくないから……だから……っ」
 いったん堰を切った涙は、ここしばらくの無理もすべて晴らすように、なかなか止まりそうになかった。それでも、いきなり泣きだされて慌てたスタンになんとか微笑みかけ、
「ありがとうございます。スタンさん」
 その言葉に、灯りに乏しい夜のテラスでもはっきりとわかるほど、スタンが顔を赤くした。
「あ、いや…俺、別にお礼言われるようなこと……っ」
 さっきまでとはまったく違う意味で慌てたスタンは、思わず背けた視線の先で、ひときわ輝く星を見つけた。
「……やっぱ、ちょっと空が違うな」
「――え……?」
 涙を拭い、顔を上げる。
「あ、ほら。俺…ロスマリヌスの近くに家があるんだけど、昼の空も夜の空も、すっごく高くて近いんだ」
 ダリルシェイドの青空は、低くくすんでいた。
 今見えるこの夜空は、どこか色が薄くて星が弱い。
「紺色の空がずっとスッキリしててさ、星なんかすっげぇいっぱい見えるんだよ」


「あら……そうですわね、止めさせていただきますわ」
 引いた一枚を見て、にっこりと微笑む。


「スタン君、知らない?」
 顔をのぞかせたイレーヌの言葉に、リオンが顔を上げた。
「知らないが。…いないのか?」
「ええ。女の子たちは出払ってるから、ちょっとつきあってもらおうかと思ったんだけど。ここにもいないってことは、スタン君も外に出たのかしら」
 言いながら、部屋に入ってきたイレーヌは残念そうに手にした小さな籠に目を落とす。
「お得意の菓子か。南に?」
「まぁ、そうよ。みんなにも振る舞うつもりだけれど」
 ノイシュタットの南側には貧民街が広がっている。そこには、親を亡くした子供が何人もいるのだ。イレーヌはたびたび、そういう子供たちに食べ物やお菓子を配っていた。
「探してこようか?」
 ソファから立ち上がり、リオンは何気ない仕草で籠から一枚クッキーをつまんだ。
「リオン君が?」
 イレーヌが驚いたように目を見張る。リオンは小さく眉をひそめると、
「……このところあまり動いていないからな。散歩がてらにちょうどいいだろう」
「そう…。ふふ。なんだか、変わったかしら?」
 不意に、彼女の愉しげな瞳がのぞき込んできた。
「? なにがだ?」
「リオン君よ。少し丸くなったかしら? 前みたいに、誰彼かまわず拒絶しなくなってるみたいだもの」
 イレーヌはくすっと笑うと、
「きっとあの子たちと一緒にいるからね。みんないい子たちだもの」
「な――なにを莫迦なことを言ってるんだか!」
 慌ててリオンは身を翻し、部屋を出る。そのまま一気に玄関からも出てしまうと、はたりと歩みを止めた。
「シャルティ……。僕は"変わった"かな?」
 気が抜けたような、ひどく幼い声で問いかける。
『……あなたは"あなた"のままですよ、エミリオ』
 諭すような声音は、リオンにだけ聞こえた。


 陽の光。
 空の青。


 あいつらのそばは居心地が悪い?
 あいつらのそばは居心地がいい?


 それから二日後の昼前に、
「おい、ヤツらの目的地がわかったぞ」
 丸めた世界地図を手に、リオンが応接間に入ってきた。
「最悪だ。どうやら、アクアヴェイルと手を組んでいるようだ」
「アクアヴェイルですってぇ?!」
 聞きとがめたルーティが声を上げる。そして、手にしていたクッキーをぽいっと口の中に放り込んだ。
「まさか、リオン君……行くの?」
「ああ、当然だ」
 すぐさま返された答えに、イレーヌはとんでもないと言ったように首を振った。
「セインガルドとアクアヴェイルは敵対国なのよ? 今だって、なにかあったらすぐさま戦争が始まってもおかしくない緊張状態なの。無茶よ」
「ここはフィッツガルドだ。セインガルドではない」
「そんなものは詭弁よ。フィッツ――いえ、ノイシュタットはセインガルドの属領も同然なんですから」
 言い直したのは、フィッツガルド全土がそうではないからだ。北部――ロスマリヌス地方は、セインガルドの支配から事実上独立している。
「僕らはセインガルド王の勅命で動いている、と言ったら?」
 リオンの切り札とも言うべきその言葉に、さすがにイレーヌも言葉に詰まる。
「……なぁ、リオン。アクアヴェイルのどこにあいつら行ったんだ?」
 切れ目を見計らって、スタンが訊ねた。
 リオンは地図を投げてよこし、
「アクアヴェイル付近の地図は精度が甘い。が、おそらくモリュウだろう」
 地図の左下のノイシュタットから伸びる紅い線は地図の端で途切れていたが、右上の諸島のそばから再び航路を表していた。
 アクアヴェイル公国は複数の島――領国からなる、いわば連邦国家である。モリュウはそこに属する領国の一つだった。
「……じゃあさ、少し遠回りになるけど、ノイシュタットからこう、シデン領の方に抜けたらいいんじゃないか?」
 地図を広げて、言ったままに海を滑らせる。
 シデン領とはモリュウ領のすぐ東にある島である。ここの領主がアクアヴェイル全体の王――大王となって、二十六年前に両国間の戦争を一応終わらせることができたのだ。今から九年ほど前に別の者が大王に即位したが、死んだわけではないらしい。
「え、どうして?」
 ルーティがそれを見て、怪訝に眉をひそめる。
「え――あ、こっちの方がまだマシっぽいし」
 そこで話は途切れ、イレーヌを見つめる目が増える。
「……ただし、帰り道までは用意できないわよ」
「ああ。恩に着る」


「もう止めちゃうの〜?」
 落胆しながら、それでも一応札を引く。


 出航して約半月後の朝方。シデン領最大の港街の南方、さえぎるように横たわる山の影になるところで、船は深度がギリギリ辺りまで陸に近づいた。
「ごめんなさい、ここまでが限度みたい」
 帰りは力になれないからせめて行きだけでも、と同行したイレーヌが、甲板に出てきたリオンに言った。
「いや、十分だ。…無理を言ってすまなかったな」
「いいのよ。ふふ、リオン君からそんな言葉を聞けるなんて珍しいこともあるわね。
 あ、あれ。倉庫の片隅に放ったらかしにされていた小舟だけれど、木製だから、後始末はしやすいと思うわ」
 イレーヌは微笑んで、海面に下ろす準備がされているそれを指し示す。
「ところで……昨夜のゲーム、結局どうなったの?」
 全員が甲板に出てくるのを待つ間、ふとイレーヌが思い出して訊ねた。
「………あれのことか」


「ストレートフラッシュです」
 フィリアがにこりと手札を開けた。
「フラッシュ……」
「またスリーカードだ……」
 ため息と共にぱっと手札が開かれていく中、
「ふっふっふ、やったわ! 最後の最後の大逆転!! さぁ、見て驚きなさい! ロイヤルフラッシュよっ!!」
 ルーティが嬉々として手札を披露すると、フィリアもおっとりと落胆する。
「あらら〜」
「あたしの勝ち! やったね☆」
 が。
「いちいち騒がしいヤツだな。ったく。
 ………ファイブカード」
 ぴしり、と空気が凍りつく。
「ジョーカーが入ったままだったんだからな。文句はないだろう?」
 リオンは言って、勝ち誇った笑みを浮かべた。












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