――お父さんは……もう…帰ってこないの………
"そこ"に父はいない墓。
残ったのは、優しい思い出と、
いつも父の周りにあった物たちと、
果たされなかった約束と。
誰かが"殺された"と言った。
誰かに"殺された"と言った?
"殺された"のは、父。
"知らない"のは、俺。
幼いいつかの記憶。
あの日。
涙の色。
母の手。
父は、死んだ。
不思議と、涙は出なかった。
茜の陽。
朱の空。
空の涙。
血の赤。
母も、死んだ。
不思議と、この時も涙は出なかった。
わかっていながら隠してしまう傷。
ずっと、ずっと癒えないままで。
いつまでも、痛みが響く。
七章 遺されし想い
アクアヴェイルのすべての都市に共通していることだが、大きな港を抱え、内陸も運河が発達している。
諸島にある国なのだから、それは当然のことだ。もちろん、ここシデンも例外ではない。幅を十分にとって区画整理された倉庫街。都市全体の規模で言えばダリルシェイドより二回りほど小さいが、港だけの規模でならいい勝負だろう。
だが。
『ほぅ……』
「何かあったんでしょうか…?」
フィリアが辺りを見回しそんなことを言うほどに、何隻も停泊しているわりには、港には活気がなかった。人影すらまばらだ。
ルーティもざっと周りを眺め、ふと目についた、水夫らしき五、六人の集団に声をかけてみた。難しそうな顔をしていて、一瞬だけ気後れしたが。
「ねぇ、ちょっと。あたしたちモリュウに行きたいんだけど、どの船なの?」
声をかけられた水夫たちは胡散臭そうにルーティを見ていたが、
「モリュウへ行く船は当分出ないよ。今、向こうは大変なことになってるんだ。…知らねぇのか?」
「知っている。それを承知の上で、行きたいんだ」
「なんとかならない?」
追ってリオンもすぐそばまでやってくる。そのとき水夫の一人が、まだ後方にいる三人の中の、スタンとフィリアに目を留めた。ちらりと仲間に視線を送り、大きめの声で話し始める。
「最近モリュウでは領主のジノ様がお亡くなりになられてな。しかも、ジノ様にはフェイト様という素晴らしい御子息がおられたっていうのに、なにやら新しくバティスタとかいうどこの馬の骨ともしらんヤツが領主になったらしいじゃないか」
バティスタという名前が出た途端、フィリアの顔色がさっとかげった。
「以来、かなり荒れてるらしいぜ。本当にそれでもいいんだな?」
追い返そうとしているのだろうか。確かめようとしているような気もする。
「むろんだ」
リオンがきっぱりと答えた。
「よぅし。そんなら連れてってやろう」
それからもリオンは片時も目を離さないでいたが、水夫たちの様子にそれ以上不審なものは目につかなかった。どちらかと言えば……。
(まさか、な……)
シデン港とモリュウ港は、だいたい片道一日と少しらしい。
乗船すぐに案内され、邪魔になるから必要以外に出ないようにと言われた広めの船室で、到着を待つことになった。
「ねぇ、フィリア。話でバティスタとかって名前出たとき、変な反応したよね。もしかしなくても知ってるヤツ?」
部屋の真ん中あたりで寄り集まってから、声を潜めてルーティは訊ねた。
「私と同じくグレバムの部下だった男です。まさか荷担していたなんて……」
答えながら、彼女の顔は青ざめていた。
「決まりだな。モリュウはヤツらの手に落ちた。
しかし……この船の水夫たち、油断ならんな」
いろいろな意味で。
「気づかれた…かもしれないわね。あたしたちのこと」
フィリアを見てあんな話をしてきた、そんな感じだった。それはつまり……。
「…簡易の神官服ですので、アクアヴェイルの方は御存知ないと思うのですが」
あの水夫たちの態度を思うと、あまりそう楽観視できなかった。
「でもさ、向こうもなにやらワケありっぽいよな」
スタンが壁に寄りかかって言った。この船を漁船や貨物船と呼ぶには、どうにも拭いきれない違和感があった。水夫たちにしてもそうだ。
「そうよね〜」
『別に僕たちが気づかれたわけでもないよねぇ?』
『当たり前でしょう。でも…』
「僕たちを何かに利用するつもりなのかもしれんな」
『大丈夫なのかな?』
「今はモリュウに渡ることが先決だ。後のことは後でなんとかするさ」
モリュウ領内は、しんと静まり返っていた。
誰も外を歩いておらず、ぱっと見ゴーストタウンのようである。ぴったりと閉ざされた扉の向こうに、ごく微かな気配があるだけだった。
水夫たちは港に着くなり、あっという間に半数が街中へ消えてしまった。こうして道で見かけない以上、どこかの建物の中なのだろう。
「これからどうする?」
モリュウの港には、乗ってきた船以外一隻もなかった。その船も、もう、出てしまっている。
「バティスタとやらはここの領主におさまっているんだろう。領主邸にでも行ってみるか」
そんなことを言いながら、見える限りで一番大きな屋敷に向かっている途中。
「貴様ら、なにをしている」
明らかに兵士とわかる男の一団に呼び止められた。リオンが知識として持っているモリュウの紋章とは違うそれを鎧に刻んでいる。
「え、あ〜…と……」
困ったようにスタンがリオンを見る。
「モリュウの人間ではないな? ……怪しいヤツは殺せとの領主様のご命令だ……」
嫌な笑いを男が浮かべた瞬間、
「逃げるか」
リオンが言うが早いか、全員でまわれ右をして走り出した。
「逃がすか!」
はぐれると後々まずいので全員固まったまま逃げていたが、土地勘がまるでない初めての街ではかなり不利だった。いつのまにかだんだんと追っ手が増えていき、先回りをされたりとどうにも振り切れそうにない。どころか、今にも追いつかれそうだ。
「ひとまずあそこに隠れるか」
入った裏路地で、壁に立てかけられた運河用のボートが六つほど並ぶ裏の影をリオンが見つける。
なんとかギリギリ全員すべり込んだところで、落ち着く間もなく怒鳴り声と共に兵士たちが近づいてくるのがわかる。
「やり過ごせるかしら?」
不安げにルーティがつぶやく。と、そのとき。
「こっちこっち」
すぐそばの建物の裏口が細く開けられ、潜められた男の声がした。同時に、なにやらぴらぴらと長い、黄色い鳥の尾羽のような物がその隙間から揺れる。
「死にたくなかったら入ってこいや」
スタンたちは戸惑い思わず顔を見合わせるが、大勢の足音が近づいてきたような気がして、慌てて扉の中へ飛び込んだ。
窓も閉め切られ、ずっと高いところにある小窓からの光以外なにもない暗闇の中で、扉に鍵が掛けられたのが音でわかる。
次第に闇に目が慣れてくると、扉のすぐそばに立って外をうかがっている男の姿が見えてきた。
すらりとしたなかなかの長身で、適当に肩の上で切られた金髪の上に、先ほどの妙な羽根飾りをあしらった帽子を乗っけている。
足音の集団が扉のすぐ向こうを通り過ぎ、完全に聞こえなくなった頃、その男が大げさに安堵のため息をついて見せた。それを合図に、スタンたちもほっと一息つく。
「えーと、ありがとうございました。おかげで助かりました」
「気にしなさんなって。
ところで……おまえさん方、なかなか、ワケありってヤツかい?」
それまでのへらっとした笑いを引っ込め、表情がすっと真顔になる。
「ん〜、領主の私兵に追われていたわりにはお尋ね者って感じじゃねぇよなぁ。しかも、これまた奇妙な取り合わせときたもんだ。歳もばらけているなら……素性も負けず劣らずってか? ストレイライズの神官のお嬢さんに、そっちは……、…アクアヴェイルの人間って感じじゃねぇな。セインガルド辺りからかな?」
口調は軽いままなのだが。
「……貴様、何者だ」
リオンが油断なく男を見据えた。
「おう、図星かい。俺はジョニー。人呼んでふーてんのジョニーってトコかぁな。お気楽極楽吟遊詩人ってヤツさ♪」
言いながら、お気楽極楽に相応しい、ジョニーは気の抜けた笑みに戻った。
「それと、一つ訊きたいんだがな。あんたたち、バティスタ絡みでモリュウ入りしたんだったりするのかな?」
ぱたりと全員言葉に詰まる。
「…………」
リオンが何も言わない以上、他の者も黙っておく。後がうるさいからだ。
「正直、結構結構。ってぇことで、どうだい。俺もモリュウ領主邸に捕まってる親友をどうしても助けたいのよ。ここは一つ、手を組んでみないかい?」
「断る」
リオンがすぐさま言い放つが、
「いいじゃないか。危ないところを助けてもらったんだし、俺たちの敵っていうわけでもなさそうだし」
「そうよ。右も左もわからないままじゃ、うまく動けないじゃない。手伝ってくれるっていうんだからさ、手を組んだっていいと思うわよ」
スタンとルーティの言葉に、ジョニーがうんうんと頷いてみせる。
「……わかった。手を組もう」
「御協力、感謝するぜ」
とりあえず領主邸の状況を探りたいというリオンの言葉に、
「ここは運河の街だからねぇ。唯一の陸続きの門は、それはもうすんばらしく警戒が厳重にされている。それはやめとこうぜ」
「そう言うからには何か策があるのだろう?」
「もちのろんよ。こっちこっち」
ジョニーは言いながら、今いる建物の正面扉を開けた。そのまま道の向こうにある下り階段からひらひら手招きをよこす。
階段の下にある道はすぐに途切れているが、運河用の小舟がつけられていた。ジョニーはその舟の上でぼろ毛布をひっかぶって寝転がっている船頭を数回こづくと、
「……ぁ、いよいよですか? お任せください」
船頭はジョニーを認めると跳ね起きて、舟の上を片づける。
「さあ、皆さんどうぞ」
船頭に促されるまま全員が舟に乗り込み席に着くと、目的地を聞くこともなくすぐさま船頭は舟を進め始めた。
「着くまでできるだけ音を立てないようにしてください。さすがに近づくと見つかるかもしれませんので」
しばらく運河を行くと、領主邸の影が見えてきた。さらに幅が広くなった運河をできるだけ城のすぐ脇に進め、舟はゆっくりと速度を落としつつほどなく止まった。そこは厨房裏らしく、裏口とゴミ置き場がある。ゴミを回収するためであろう、そこだけは運河からも上がることができる城壁の低さだった。
「お気をつけて。必ずフェイト様をお助けください」
「任せときなって。さぁて、行くとするか」
先にジョニーを始め男性陣が、追って女性陣がゴミ置き場に飛び移る。細く開けた扉から中をうかがい、誰もいないことを確かめると大きく開け放った。
一度上の階へ上がり、誰もいないことを確かめると、今度は半地下階――といっても水面よりは上になる――の方へ下りていった。
「地下には〜……屋敷の真裏には領主家専用の桟橋があってだな、それ用の倉庫とかがすぐ近くにあんのよ。レンズ強奪なんてやってるヤツらなら、確かにそっちだぁな。そーゆー話は先にしてほしいところだがねぇ」
迷いもせず、ジョニーは屋敷を歩いていく。明らかに、覚え込んだ情報だけでない、実際に歩き慣れた者の足取りだ。
「おやおや」
地下へ降りる階段の手前で、ジョニーが足を止める。モンスターが上がってきたところと出くわしてしまったのだ。コウモリに近い小型のそれは一つ眼と口が強調されていて、おそらく監視偵察用のモンスターだろう。ある程度の知能があるらしいそれが大声を上げるよりも早く、駆け込んだリオンが斬り捨てた。
「この先は一本道で最深部だ。俺が先頭に立つより、え〜、フィリアだっけか、このお嬢さんと一緒に下がってる方がよさげだなぁ」
「確かにそうだな」
シャルティエをぴっと振ると、リオンはさっさと階段を降りていった。
階下は広い通路が直進しており、ずっと閉められたままらしい倉庫はひとまず無視して桟橋に向かう。
そこでは、一見してわかる機動力重視の船団から積載量重視の船団に荷物が受け渡されていた。そして、それを指揮している男を見てフィリアが声を上げる。
「バティスタ!」
男がゆっくりと振り返る。
「フィリアじゃねぇか……そうか、貴様らが追っ手ってわけか」
船からわらわらと下りてきた、例の人間のようで人間でない物がスタンたちを取り囲む。もとは人間なのかも知れない、それぞれはまったく同じでないそれらはまさしく木偶人形のように妙な雰囲気をまとっている。
「ふん、モンスターか…」
斬り捨てるには少々数が多いか。
『どうします? 使っちゃいますか?』
ジョニーの目を気にしてか、シャルティエがつぶやく。広範囲の晶術を使えば、向こうが密集している今ならあっさりと片づくが……。
「俺に遠慮する必要はないぜ。どうぞ好きにやってくんな」
マスター全員の視線がジョニーに集まる。
「そういうことなんだろう?」
不敵な笑みで、ジョニーはソーディアン四本を順に見ていく。
「私にお任せください!」
フィリアがすっとクレメンテを掲げる。陽の光のような輝きが切っ先に集い、そこから光の雨が噴水のように放射状にモンスターへと降り注いだ。
夏の真昼のような輝きと耳をつんざく轟音の雨の中で、すべての影は一瞬でかき消え、もとの明るさに戻った世界は広々としていた。
「〜♪」
感嘆を表すように、ジョニーが高く口笛を鳴らした。
反対に、呆然としていたのはバティスタである。
「なにやった…んだ……?」
「バティスタ。グレバムはどこですか? …正直に話してください。できることなら、私は誰にも死んでほしくありません」
その言葉の意味を悟り、バティスタが嘲るような笑みを浮かべた。
「フィリア、あいかわらず甘ちゃんだなぁ。優しさだけじゃあ、世の中渡ってなんていけねぇんだよ」
しかし、
「優しくなくなったらそれは私ではなくなるそうです。だから、私は自分に素直に、正直に生きます。そう、決めたんです」
フィリアはきっぱりと言った。
バティスタの嘲りが、微妙に変化した。
「………そうかい」
自嘲。
「バティスタ、グレバムはどこですか?」
「ここにはいないさ。しょせん俺なんざ下っ端だ。ここでレンズの積み替えをやる、それだけの役目でしかないんだよ。他のことは知らん。
自分に正直に、か……。俺にはできなかったが、もしかしたら、おまえらなら助けてやれるかもな………」
言いながら、バティスタは鍵を一本取り出した。
「やるよ」
そして、ジョニーに向かって投げた。
「第二エリアの一番奥だ。そろそろやばいだろうな、急いだ方がいいだろう」
最初は怪訝な面もちをしていたが、すぐにはっとする。
「フェイトか!」
そのとき。
「こちらにいらっしゃいましたか!」
上から十人ほどの男たちが駆け込んできた。皆、揃いの軍兵の格好だ。
「遅かったな。一応片づいたトコだぜ」
ジョニーが軽く手を挙げて答えた。
「誰なの?」
ルーティがジョニーに訊ねる。リオンだけはもうわかったといった顔をしていた。
「モリュウ領の正規軍さ。
おう、コイツは任せたぜ。俺たちはフェイトを迎えに行ってくるわ」
「わかりました」
返事を聞くよりも早く、ジョニーは倉庫の奥に向かっていた。全員がそれを追っていった後、ルーティだけがふと戻ってきて、兵士たちに一言二言残すと、呆気にとられる兵士を後に慌てて皆を追いかけていった。
「よぅ、フェイト! 生きてっかぁ〜」
バティスタが言った倉庫の中に閉じこめられていた男が、扉の開く音に顔を上げたのを認めてから、ジョニーはそんなことを言った。
「ジョニーじゃないか! …ありがとう、助かった」
「いいってことよ。礼なら、よくできた部下たちに言っておくんだな」
ジョニーはフェイトを助け起こし、肩を貸す。
「――リアーナは?!」
「心配するな。お美しい奥方様なら、今頃おまえさんの帰りを待ちながらめかし込んでるだろうよ」
そこでやっとフェイトは大きく息を吐くと、ジョニーの後ろにいるスタンたちに気づく。
「その人…たちは?」
「助っ人さんだ。まぁ、いろいろとあってね」
そして、ジョニーが全員を紹介していった。それに返す形で、
「私はフェイト・モリュウ、このモリュウ領の前領主ジノ・モリュウの息子です。助けていただいてありがとうございました」
「……あれ、それってことは……」
「アクアヴェイルの領主は原則として世襲制。ということは、今の領主だな」
リオンがスタンの言葉を引き継いだ。
「グレバムを追っているついでだ、気にしないでくれ。
ところで、こんなことになった理由を聞かせてもらいたいんだが……」
声音がうかがうような色を帯びた。
「私なら平気です。これでも丈夫な方なので。
大王ティベリウスがそのグレバムと密約を結んだのです。父と私が所用でトウケイ入りしたときのことだったので、それを知ったのです。その内容に反対を唱えたので父は暗殺され……私は黒十字軍の抑えのための人質にされたのです」
黒十字軍は、先ほども来たモリュウ領の正規の軍のことである。アクアヴェイル最強と謳われるほどの海軍だ。
「密約の内容は?」
リオンは重ねて訊ねた。
「……セインガルドへの侵攻、そう聞きました」
「なんだと!?」
リオンやスタンたちはひどく驚き、ジョニーは憮然としてため息をついた。
「グレバムと大王は――」
「トウケイ領です。……大王を、倒すのですか?」
「むろんだ。グレバム共々、な」
フェイトはちらりとジョニーを見やる。
「大丈夫だって、フェイト。こいつら、見かけよりもずっと強いぜ。俺も手伝うワケだしよぉ」
「え、あんたも来るの〜?」
意外そのものとルーティが声を上げる。だが、拒絶したような色は特になかった。
「いいだろ、リオン」
「ああ、足手まといにならないというのなら……」
曖昧に頷きながら、視線はもの問いたげだ。
「なぁに、ティベリウスの野郎とはいろいろあってな。いい機会だからケリをつけようかなぁなんて思ってんのさ」
「ジョニー。おまえ、エレノアのこと――」
何かを言いかけたフェイトを、ジョニーは人差し指を立てて黙るように、芝居がかった仕草で訴えた。フェイトは微苦笑をこぼすと、
「それではトウケイ領まで、我がモリュウの誇る黒十字軍でお送りしましょう」
それから四半日ほどで出航準備は整った。
フェイトは心配してくる周りを押し切り、準備にかかったわずかな時間を休息しただけの身体で同乗することになった。十数日ぶりに会えた夫人のリアーナは、各所に散って隠れている残りの者をまとめるためモリュウに残っている。
トウケイへの航海は明後日の夜半までかかるので、皆は船室に集まりのんびりと時を過ごしていた。窓から射し込むかなり低い茜の中で、乗船前から手にするようになった愛用らしいリュートで、ジョニーは素朴な旋律を奏でる。優しい落ち着く音色に、
「なぁんだ、一応音楽は扱えるんじゃない」
と、彼が言った"吟遊詩人"をまるで信じていなかったことをルーティがばらしたりした。
「そりゃひどいねぇ。信じてもらえてなかったのかい」
ジョニーがそう言うと、フェイトにそもそも違うだろうと笑われた。
「ところで、貴様ソーディアンを知っているのか?」
円筒形のカップをテーブルに置き、リオンがずっと抱えていた疑問を口にする。準備中は、ジョニーはフェイト代理で忙しく動いていたので訊ねる暇がなかったのだ。
「ああ、ガキの頃のちょいとした縁でな。ってぇことでさ、そちらさんも紹介してくれると嬉しいんだがねぇ」
『……聞こえて…るのよねぇ?』
戸惑いがちにアトワイトがつぶやく。
「聞こえてるさ。しっかりとな」
『…………』
冗談のように集まってくるのは、ソーディアンたちにとって意外そのものだ。それでも事実は事実、自己紹介を済ませた。
「四本たぁ、凄いな…」
少し間が空いてしまって、はたとルーティがスタンに耳打ちする。そして、
「こっちもいいですか?」
「なんだ?」
「フェイトさんが言ってた"エレノア"って誰?」
ルーティが言った刹那、リュートを奏でる指が止まる。
(訊いちゃまずかったかな……)
よくよく思い出せば、あまりいい話題らしいとは思えない節もあった。今更ながら、スタンとルーティは口にしたことを後悔し、慌てるが。
「……幼なじみ、っていうのかなぁ。俺とフェイトと、三人でな。で、お約束なんだが、二人揃って恋しちゃったワケよ。俺が横恋慕だったんでね、潔く身を引いたんだが……。
その後だ。婚儀の直前、ティベリウスの野郎が、エレノアに目を付けやがった。彼女はそれはもう美人だったからな。すでに大王の座を奪い取っていたヤツは、その権力に物を言わせて彼女を無理矢理連れてった」
話しながら、表情も声も硬くなる。
「あの野郎、一人息子に嫁がせようなんてことを考えていたようだ。だが、エレノアも相当に気が強かったからな、聞いたうわさじゃ、頑として首を縦に振らなかったらしい。当たり前なんだが。
それがしばらくして……エレノアが死んだ。病死だと、あの野郎はよこしてきた。けどよ……自害としか思えないんだ………」
葬儀のときの、一言がどうしても。
「まぁ、フェイトが去年リアーナと結婚したことは、よかったと思う。しばらくは無気力そのものだったって聞いてたしな」
調子をゆるめて、ちらりと黙しているフェイトを見やった。
「つまらない話しちまったなぁ……」
そして、重い雰囲気の船室を見渡してから、ジョニーは再びリュートに手をかけた。
「肝心なところが抜けていないか」
指が弦に触れるか否かというところで、リオンがそう訊ねた。
「……そうかぁ?」
おどけたように顔を上げるが、
「ジョニーはシデン領主家の三男ですよ。
聞きたいのはそういうことなんでしょう?」
その横からフェイトが答えた。
「ほぅ……」
「えぇっ、シデンの!?」
「うそっ! あんた、そんないいトコのヤツだったの!?」
周囲の驚きをよそに、ジョニーはひどく穏やかな旋律を奏し始めた。
海の音。
波の歌。
「……ジョニーか」
安堵のような呆れたような、入り交じったため息をつき、フェイトが剣の柄から手を離した。
「なんだ、その言い方。俺がいちゃ悪いかい?」
おどけたように、椅子に座り足を組んでいたジョニーがグラスを振った。
「別に悪くはないんだが……脅かさないでくれ」
「そりゃ、気にしすぎってヤツだ」
ここはフェイトの寝室にもつながっている、船長室である。
「それは――ジョニーの方こそ」
「夕方のことを言っているなら、勘違いすんなよ。四年も前だぜ、俺様そんなにやわじゃないっての」
ジョニーは笑って、グラスに酒をつぐ。
「なら――?」
いつも座っている椅子に腰かけ、フェイトが聞き返す。
「気になる話が"網"にかかってたんだ。一ヶ月前に、ロスマリヌス地方に発掘調査が入っていた。目的はそのものズバリ"ソーディアンの発掘"。しかも事前からだ。加えて、示し合わせたかのような、今のこの揃いようだ。
――…どこまでが偶然で、どこからが作為なのか、見極める必要がある」
すっと細められた眼差しは、あまり見せない真剣なものだった。フェイトからすれば、このあまり表に出ない彼こそ本当の彼だ。昔から。
「そうだな。……直接訊いてみるか?」
自分の分のグラスを取って、ボトルを傾けながらフェイトが言った。その言葉にジョニーが怪訝な面持ちを浮かべた刹那、部屋の扉が叩かれた。
「どうぞ」
一瞬の間があって、扉がゆっくりと開かれた。
「扉、閉めてくださいね。あなただってあまり聞かれたくない話をしに来たのでしょう」
振り返ることなく、フェイトは、入ってきたリオンに言葉をかけた。
「……わかっている」
フェイトやジョニーとは平机を挟んで向かいになる位置に、椅子が一つ空いていた。目線で勧められるまま、リオンはそれに座る。
「用件は?」
穏やかな笑みを浮かべて応対するフェイト、にやにやとした笑みを向けているジョニー。二人を順に眺めてから、リオンは口を開いた。
「アクアヴェイルきっての策士…だったな。モリュウには戦術に秀でた継嗣……組めば敵なしといったところか」
「そりゃま、師がよかったんでね。様々な戦術も、剣技も。なぁ、フェイト」
同意を求められたフェイトは、そうだなと小さく返した。
「師…?」
聞き返したリオンに、
「おうさ。しかし、おもしろいねぇ、"偶然"ってのは」
「何がだ」
「あんたとスタンの剣は、同じ流派だ。それも、あまり隔てられていない、かなり近いものだろう。だが、それと同じものを俺らも習ってたんだな」
ぴんと立てられたジョニーの指が、数えるように上下に振れる。
「……セインガルドの、ラモーザ師だ。もう亡くなられている。
そんなことより、…僕たちに接触してきた理由はなんだ?」
少し苛立たしげに、リオンはここに来た理由を告げる。
「いや、そりゃ誤解じゃねぇかな。裏はない…って言うのはちょい違うかもしれねぇが……おまえたちをここに送った船は、わかってるだろうが黒十字軍のだ。そいつらがね、俺におまえらのこと教えてくれたのさ。で、ちょいとばかし興味がわいた。それだけだ」
しかし、リオンはそれをそのまま飲み込むつもりはないらしい。真意を探るようにジョニーを睨め付ける。
「あえて付け加えるなら」
横から割り込んできた声に、リオンがすっと視線をフェイトに移した。自然、雰囲気は剣呑なものへと変化していく。
「付け加えるとしたら、気になった。"あなた方"の行動がね。……どこまで気づいているのか、とても気にしていらっしゃる」
フェイトは、誰が、とは言わなかった。
「……どこまで知っている?」
「さぁ? "あんたら"には絶対に知られたくない、知られているのかわからないから言うわけにもいかない、そういう秘密があるからな、その質問には答えられない」
ジョニーは自分の組んだ膝に頬杖をつき、そう切り返す。
「一つ。"現在"に至るまでには"過去"というものがある。それを知っている人たちの中に、他よりもちょいとばかしそれを詳しく知っている人たちがいる。俺らはそれにくっついているだけだ」
『"今は亡きあの人に捧ぐ、海の雫"……ですか?』
ふと、シャルティエが一言つぶやいた。
リオンは不思議そうな面持ちで相棒を見下ろし、ジョニーは弾かれたように笑った。
「言うねぇ! …あんた、シャルティエ、だったよな?」
『え、――はぁ』
それから、シャルティエの声が聞こえないフェイトのもの問いたげな視線に、ジョニーは細めた目を向け、口の端を歪めた。
「"今は亡きあの人に捧ぐ、海の雫"ってよ」
言われたフェイトの顔色が、見る間に青ざめる。
『………すみません。忘れてください……』
そう言ったシャルティエの声は、心なしか震えていた。
黒の空。
白の星。
「おや、スタンじゃねぇか。どうかしたか?」
へらりとかけられた声にスタンが振り返ると、はたしてジョニーがいた。
「ジョニーさんこそ」
薄闇の月で、振り返った拍子に長い金髪は蒼い軌跡を描いた。
「ちょっと風に当たりにな」
答えるジョニーからは、酒の匂いがした。
「えっと…さっきはすみませんでした。興味本位に訊いて……」
ジョニーは少し低い位置にあるスタンの頭をぐりぐりとかき回す。
「ぅわっ!?」
「…気にすんなよ。昔のことなんだ。俺だって、さっさと新しい人生見つけて楽しくやりてぇしなぁ。けどよ――」
へらへらとしていた顔がすっと、遠くを見つめた。
「その過去を清算しない限り、先には進めそうにないんだよ」
「過去を清算………」
すっと、微かに光が曇る。影が濃くなる。
"外"に出てから、徐々に膨れあがってくる記憶があった。
「"黒衣でシデンに行きたくはないだろう"……」
「――え?」
それは……
「エレノアの葬儀で聞いたんだ。俺は……その時に復讐を誓ったんだ」
庭に咲いたすべての色を一本ずつ集めた花束から、赤の花だけを、返されて。
あれは、彼女が連れ去られるきっかけとなった日。
「やりきれないもの抱えたままじゃ、それに縛られちまうだろ?」
夜の海。
月の蒼。
次の夜、月が昇った頃、トウケイ領が見えてきた。
明るい夜空の中で、黒々とした陸が見える。
陸はぐんぐん近づき、船は早々と闇に沈んだ街を回り込んで城に近づいていった。
「で、どうするつもりだ?」
リオンが訊ねると、
「ほら、あの…トウケイ城の裏にある桟橋に直接つけます。
あなたたちを下ろしたら、こちらはモリュウへ戻り、軍を率いて戻ってきます。それまで、よろしくお願いしますよ」
「それまでに片づいちゃってるかもよ」
桟橋に集まってきたモンスターたちを晶術で薙ぎ払って、ルーティが言った。
「それでは、我々は後始末をしに来るということで」
「そりゃ楽そうだなぁ」
邪魔者が一掃された桟橋に全員が飛び移って、
「そんじゃあ、フェイト。また後でな」
リュートを肩に担いだジョニーが気楽に手を振った。
真紅の炎が渦巻き、長い一本道の通路に押し掛けてきたモンスターたちがあっという間に燃え尽きる。レンズが光を弾いて床に転がった。
『少しはマシになったか』
「にしても、モンスターばっかだなぁ……」
ディムロスを下げて、スタンがつぶやく。
「出来損ないのザコばかりだがな」
出てくるのは、モンスターといっても小さな子供が粘土で作った人形のように崩れた形をしたものばかり。リオンが言う、レンズ強奪に使われた"モノ"の出来損ないというのは的をえていた。
それにしても、さすがに城内は入り組んでいる。基本的なアクアヴェイル式建築の構造を知っているジョニーの助けがなければ、気づかないまま通りすぎた扉などもあるだろう。二階より上の道はわりと細いものばかりというのも、なかなか動きにくかった。その分向こうも密集隊形をとらざるをえないわけで、晶術で相手をするなら楽なことこの上ないのだが。
焦げ跡の残った壁に一瞥くれると、奥の昇り階段を駆け上がる。外観から数えた階数からすれば、この上が最上階になるはずだ。
「わっと」
モンスターが、スタンが階段を上りきった途端に殺到してきた。
階段のすぐそばにいるのをスタンとリオン、マリーが斬り捨てると、後ろからルーティとフィリアの晶術が残りの一団を片づけた。
周りの扉は無視して、一番奥にあるひときわ大きく豪華な扉をジョニーが両側とも荒々しく開け放った。
「ティベリウス!」
そのまま室内に足を踏み入れ、声を張り上げる。
「ようやっと見つけたぜ……!!」
その声に、広い室内にいた二人の男のうち、片方が大きく狼狽えた。
「き、貴様、シデンの……!?」
「グレバム!」
ほぼ同時に上げられたフィリアの声に、もう一人の男がゆっくりと視線を向けた。彼がグレバム。
「フィリア……驚いたな。どうしてここに」
言葉とは裏腹に、あまり驚いたような素振りは見せていない。
「わかっておられるはずです」
迷いなく、フィリアは答えた。
「セインガルドを侵攻するつもりだろうが、そうはさせない!」
リオンがシャルティエの切っ先を二人の方に向ける。
静かにたたずむグレバムの横で、ティベリウスが佩いていた刀を抜き放った。
「ぐぅ、貴様らまとめて、刀の錆にしてくれるわ!」
グレバムはちらりと背後に視線を走らせる。
「サイフリス」
刹那、なにもいなかったそこに人影が現れた。
「仰せのままに」
抑揚の欠け落ちたその少女の声に、一瞬フィリアが眉をひそめる。が、
「モンスターだ!」
突然部屋の中に現れたモンスターの大群でその疑問は頭の隅に追いやられた。ティベリウスはリオンに任せ、スタンはフィリアとモンスターの方に向かう。
「そぅれっ!」
ディムロスを横に薙ぐと、軌跡に火炎が走った。
フィリアもクレメンテと共に雷火を操り、モンスターの壁に穴を開けていく。グレバムとサイフリスとやらはこの大群の向こう側にいたのだ。
「ちっ!」
「え…」
後ろからフィリアに襲いかかったモンスターを、ぎりぎりたどりついたマリーが斬り伏せた。
「よし。後ろは任せろ。前に進むことだけを考えるんだ」
フィリアやスタンとは背中合わせになる形でマリーが剣を構えた。
一方、ティベリウスを相手にしたリオンは攻めあぐねていた。防戦を中心に動きを組んでいて、なかなか隙を見せないのだ。
その周りに寄ってくるモンスターはルーティが斬り捨てるか、もしくはジョニーが実に奇妙な方法で無力化していた。
「ねぇ、どうやったらモンスターが寝ちゃうワケ?」
ジョニーと背中合わせになったとき、ルーティはリュートを目で指し、訊ねる。
「ねぇむれ〜♪ってか?」
おどけたように歌いながらジョニーがリュートをかき鳴らす。複雑に音が重なった短い旋律と共に、近くのモンスターたちががくりと倒れた。
ヒトもどきのモンスターが振り下ろしてきた槍をひらりとかわすと、
「"ねむれララバイ"っつう感じかな」
「後でちゃんと教えてよ!」
間にモンスターが割り込み分断される直前、ルーティが怒鳴る。
『不思議な人ねぇ』
手許で呆けたアトワイトの声が聞こえた。
「でかいのいこうよ」
ルーティは言って、くいっと顎をしゃくる。
そして、ひらひら揺れている羽を避けて範囲を決めて、氷雪を巻き起こす。風のうなりと共にモンスターに突き刺さった氷刃は、刺さった箇所からすべてを凍りつかせ、最後には霧散していった。
「ふぅ…」
強力な晶術の制御はさすがに疲れが来る。レンズばかりが転がる中で、ルーティは大きく息をついた。
「ごくろーさま♪」
ジョニーがまたリュートをかき鳴らした。
疲れが少しだけ和らいだのは、気のせいだろうか。
唯一膠着していたリオンのところだが、
「リオン!」
駆け込んできたスタンに一瞬ティベリウスの注意が向いた隙に、シャルティエが左腕を軽く切り裂いた。
スタンはティベリウスの脇を抜けて、リオンのところまで来る。
「やけに手こずってるじゃないか」
「うるさい。少し遊んでやっていただけだ」
「そんな暇ないくせに」
そんなことを言い合いながら互いに視線を交わすと、二人でティベリウスを相手にし始めた。
それからは徐々にこちらが押し始めた。正真正銘即興で組んだ連携であるのに、動きのタイミングが併せやすく、かつ相手の動きが望んだ通りで、ちゃんと形になるのだ。それは当の二人自身が一番意外だったが。
と、その大半はレンズとなって床に落ちた中で、まだ残っていたモンスターが手にしていた槍を投げようと糸を引いたように振りかぶる。
「スタン! リオン!」
ルーティが注意を促したとき、またしてもジョニーのリュートがかき鳴らされた。二人に向かって投げられたはずの槍は、モンスターの手を放れてすぐに失速し、力なく床に転がった。同時に、その音がティベリウスにも不調を呼ぶ。決着を焦った狙いが何故かかなり大きく外れ、大きな隙ができたのだ。
その妙な事態に疑念を浮かべるよりも先に、スタンがティベリウスの刀をはじき飛ばし、リオンが右の肩を貫いた。
「おのれ……っ」
傷みに膝を折ったティベリウスは立ち上がろうともがくが、その横っ腹をジョニーがリュートの胴で思いっきりはたいたので、今度こそ床にへたり込む。
と、モンスターの最後の一匹も霧と化した。
「ざまぁねぇなぁ、ティベリウス」
情けなくうずくまるティベリウスを見下ろし、ジョニーが嘲った。と。
「待て、グレバムはどこだ!?」
リオンが叫ぶ。周りを見回すまでもなく、その姿はどこにもない。
「しまった!」
その声と同時に壁が、部屋が震えた。
そして微かに聞こえる、風を切り裂く轟音――
「皆さん、壁から離れて!」
フィリアが言い放ち、クレメンテを壁に向けて振り下ろす。軌跡から放たれた光の槍は壁を撃ち抜き、大爆発を引き起こす。無惨に崩れ落ちていく壁土があった場所に星空がのぞいた。だがその刹那、夜よりも濃い巨大な黒い影が横切った。
「飛行竜!!」
スタンの叫びもその羽ばたきにかき消される。
リオンは慌てて穴に駆け寄るが、すでに飛行竜は小さな点となっていた。
「……ちぃっ!」
リオンは忌々しげに壁の欠片を踏みにじり、他はまともに落胆する。
と、突然はじかれたような笑い声が響いた。
「ははははは…っ!! 謀られたわ。端からわしなど捨て石か!」
ひとしきり笑ってからティベリウスはリオンに視線を移し、
「ヤツはファンダリアだ。貴様らは知らんだろうが、いったんモリュウに集められていたレンズはすべてファンダリアに運ばれているのだ。もとより、他に行き先などなかろう。ヤツにとってはセインガルドがすべてらしいしな」
「訊ねる前にばらしやがって、一応は手を組んでたんじゃないのかよ」
さすがにジョニーが呆れた。
「どうとでも言え。もはや無関係だ。ヤツの力を利用するつもりが、こんなざまだ。
だがな、はたしてあれを止められるか? セインガルドから来た者どもよ。あの"狂った悪魔"を。ヤツはすべてを滅ぼし尽くすだろうよ!」
そのとき両手を握りしめたフィリアがうつむいたまま、びくりと震えた。
「ヤツのセインガルドに対する執着は異常だ! わしがここで死んでも、じきに何もかもが堕ちてくるだろう! ははは、こんな愉快なことはな――ぅぐっ……?!!」
愕然と目を見開くティベリウスの左胸に短剣が生えていた。ごぼっと吐かれた大量の血が剣を濡らし、その首ががくりと折れる。
短剣を投げたのはリオンだった。普段はほとんど使わない、護身用の物だ。
「……悪いな、ジョニー。おまえの獲物だったな……」
ひどく疲れたような声でリオンが言った。
「いいってことよ。……俺の前で死んだ、それで十分だな。それより――」
「ジョニー、皆さん! ここにいたんですか」
さえぎるようにフェイトの声が飛び込んできた。
「なんだ、やけに早いお戻りじゃねぇか」
目に入った骸に嫌悪の一瞥を向けてから、フェイトが答えた。
「――ん、ああ、リアーナが後発を指揮して来てくれていたんだ。
………終わったんだな」
「ああ、終わったよ。全部、終わったよ」
虚ろな腹立たしさがあった。
「それで……その様子だと、グレバムの方はダメだったようですね」
フェイトの言葉に、リオンは駆け寄ってくると、
「詳しい話は後でするが、頼みがある」
「いいですよ。それで、どちらへ行かれるんですか?」
「ファンダリアだ」
それから仮眠をとって、起きてきたのは昼前。
「船はいつ出れる?」
桟橋の手前で水夫たちと海図を囲んでいたフェイトに、話の切れ目を見計らってリオンが声をかけた。
「じきに出れますよ。さすがにかなりかかるだろうということです。ファンダリアに、私は行ったことがないのでなんとも言えませんが」
そう答えた後、フェイトはリオンの後方に視線を止めた。
「ジョニー、皆さん!」
リオンとは入れ違いに呼びに行ったジョニーが、スタンたちと共にやってきた。
「おまえも一緒に来るんだろう?」
「俺か? …俺は残るよ。長いこと勝手やってたしなぁ、こう忙しくなるときぐらいは帰って親孝行するさ」
トウケイは領主を失い、モリュウの新領主もまだ若い。こうなれば必然的に、ジョニーの父親――シデン領主が再び王となることになろう。今回の一件でひどく荒れたアクアヴェイルを立て直すには時間がかかるだろう。
「っつうワケで、おまえらとはひとまずここでお別れだ。
しっかりやれよ、スタン、リオン。御嬢様方もお元気でな」
――あの人はね……もう…いなくなったんだ………
また、"二人"っきり。
残ったのは、優しい思い出と、
いつもあの人の周りにあった物と、
果たされなかった約束と。
あの人は"殺された"と言った。
僕の父に"殺された"と知った。
父も"失った"。
母も"喪った"。
陽の光。
昼の海。
窓の外。
だって、とうの昔に忘れたはず。
人の声。
僕の血。
傷の痕。
あの人は、死んだ。
あの時を最後に、僕は泣かなくなった。
「そんなトコに突っ立って、なにしてんだ、リオン?」
不意に声をかけられ、慌てて振り返る。
「――スタンか。別に、おまえには関係ないことだ」
これは現実。
重ねて見たくないからじゃない。
重ねて見てしまうから、なんだ。
あれは記憶。
大切なものは、いつもこの手をすり抜けて、傷跡だけを残していく。