この世の果てを抱く丘。
 すべてが眠りにつく中で、淡い紫が花開く。


 永き淋しさを抱く森。
 一つ一つ眠りにつく中で、淡い青が花開く。


 こぼれ落ちた永遠の雫。
 遠い遠い、想い出の中。


 叶わずとも消えぬ約束。
 永い永い、追憶の果て。


 夜が明ける。
 時が近づく。


 願わくば、もう、誰も傷つくことのないように――


 廻り始めた時の中、小さな祈りが確かに響く。


 もはやそこにかつての悲劇の面影はなく。
 明ける白い空のもと、奇妙なほどに落ち着いていた。
 廃墟。幼い思い出の墓標。
 朝の風に、金糸が煌めきをこぼす。
 ふと、視線を落とした。
 自分の両手。
 ねっとりとした暗い赤。
 それは、幻。
 けれど、現実。
 帰ってからずっと見ていて。
 それでいて、ずっと醒めれば消えていた。
 けれど、今朝は醒めても消えていない。


 何かを忘れている。
 何か、とても大切なことを。
 でも……何を?


 静寂の森の中、ぽっかりと空いた小さな広場。
 墓石の両脇に伸びる、ほころび始めた若木が二本。
 向かいには、老いてつぼみもない老木。
 穏やかに過ぎゆく風に、淡い紫の花が揺れた。






十二章 夢現の目覚め






「外れか……」
 扉を開けての第一声はこれだった。
 少しの間を空けて、暗い室内から怒鳴り声が返される。
「何が外れなのよ! 人を捕まえといて! お兄ちゃんはどこよ!!」
 さっさと扉を閉めようとしていた黒髪の少年が、その言葉に思わず動きを止めた。
「――兄、だと?」
 そして、部屋の柱に、後ろ手に手首を縛られている少女を改めてよくよく見てみる。
 自分とさして変わらない歳であろうその少女。さらりとした長い金髪。こちらを気丈に睨め上げる、大粒の瑠璃の瞳。なによりその顔立ちには同じ面影があった。
「名前は」
 念のため、名前も訊く。
「リリス。リリス・エルロン」
 むっすりと、だがはっきり返された答えに、思わず額を手で押さえた。
 やはり。
「二人だなんて聞いてなかったぞ……。仕方ないな」
 ため息をつきつつ近づいてきた少年に、リリスは身を強ばらせる。が。
「助けてくれるの?」
 少年がナイフで縄を切ると、きょとんとして訊ねた。
「ねぇ、あなたの名前は?」
 少年が答えずに、立つように促すと、リリスは重ねてそう訊ねた。
「……リオン・マグナス」


 時間は少し前後する。
「…クレスタ? おまえ、あそこの出なのか」
 封書に添える宛先をのぞき込み、ルートが言った。
「あたし、あそこの出なのよ」
 封書の表中央に、ルーティはすらすらと流麗な字で"ユーフォルビア・パルケライナ"と記す。次いで、裏に自分の名を。
「ルーティさんって、字が綺麗なんですね〜」
「癖字はね、文句の種にされやすいのよ」
 先方がわざと読み間違え、いざこざになることもある。それをできるだけなくすために、字は丁寧に書く癖がついているのだ。
「あんたも、字は綺麗に書けるようになっておいた方がいいわよ〜」
 港街にある酒場のカウンターである。アステルの仕事というのはロスマリヌスでの事務関係らしいが、そのほとんどをここでやっているらしい。
 連絡役の人の好意でクレスタへの手紙を届けてもらえることになったルーティは、暇だからとついてきたチェルシーと他愛ない話をしながら、隣で難しい顔で話し込んでいるルートと連絡役を見やる。
「…ええ、国王側の方が、そろそろ」
「牽制するのにロスの特権をどう振りかざしてもいい。今回の一件は領主代行の了解もすでに得ている」
「それでも、あまり時間はないと仰っておられました。どうもオベロン社が動き出しているようなのです」
 オベロン社の名に、ルーティの心がざわつく。前回のことも、いいように利用されていたのだろうか。スタンから譲ってもらった分を引いても予想以上の金額ではあったが、追跡分の時間はともかく、一生分の時間を売り渡した覚えは彼女には更々ない。
「くれぐれもお気をつけて」
「わかった。そっちも気をつけろよ。
 …書けたか?」
 不意にルートが表情をゆるめ、こちらに声をかけてきた。ルーティが答える代わりに手紙と宛名書きのメモをぴらぴらと降ると、連絡役が笑顔で頷く。
「確かに、お預かりいたします」
 その宛名に、ルートがふと独り言ちた。
「……ユーフ?」
 ルーティから向けられた怪訝な視線に、慌てて素知らぬ風をするが、
「ユーフのこと知ってるの?」
 しばらくはどうしらばっくれようか悩んでいたようだが、しぶしぶ、答えを返す。
「知ってるってほど知ってるわけじゃないが……単なる顔見知りだよ」
「でも、"ユーフ"って言ったわよね?」
 ユーフォルビアを"ユーフ"と呼ぶ人は少ない。クレスタの街の人にだって"ルビア"と呼ばれているのだ。
「姉貴たちがそう呼んでいたからだ。それだけ!」
 これでこの話はお終いとばかりに、手のひらで空を切る。
「さっさと帰るぞ。そろそろリーネからも来てるだろうしな」


 しかし。
「ここにも来てない?!」
 アステルが掴みかからんばかりの勢いでフィリアの答えを繰り返した。
「はい。スタンさんもリリスさんも、今日はまだ来ていませんが…」
 同意を求めるように、フィリアが背後のリラに振り返る。
 様子が変なことに気づいた彼女は、
「何かありましたの?」
「スタンもリリスも、どこにもいないのよ。お義父様の話では、このところろくに行けてないから放牧の方の手伝いをしに行くって、リリスもそれについていったんですって。でもそっちで訊いたら、来てないらしくて。……それっきりなのよ」
「……それっきり? よりにもよって、あの二人共が?」
 アッシュの反芻に、顎に手を添え腕を組んでいたアステルの顔が、ふと強ばった。
 変質した空気に、眉をひそめたウッドロウが無言の問いを浮かべる。フィリアも不安そうに二人を見比べた。
「まさか――」
「むちゃくちゃですよ。ここはロスマリヌスなんですよ?」
 すぐさま否定を口にしたアッシュだが、
「しかし、事実は事実です。認めてください」
 不意の声がそれをうち砕いた。
「……なるほど」
 アッシュが苦々しく吐き捨てる。
 セインガルド国軍の制服を着た十人ほどが、廊下にまで入り込んできていた。先頭の男がにやにやとした嫌な笑いを張りつかせて続ける。
「先にお預かりしたお二人のことをお思いでしたら、大人しく我々に御同行願います。
 アシュレイ閣下も、イリンギウム様も。重犯罪人の逃亡幇助に関して、あなた方にも拘束命令が出されております故。むろん、ファンダリア国王陛下も御一緒に」
 アッシュは表面上大人しく従いながら、その顔ぶれを一人一人確認していく。予想を裏切らないその結果に、連行される中、さりげなくアステルとリラに近づくと、無言のままに一つ頷いてみせた。右の親指で、器用に右中指の指輪を滑らせる。
 港の方に出ていたルーティらが戻ってきたのは、それからしばらく経った頃だった。
「ねぇ、何がどうなってるのよ?」
 誰もいない邸内にひどく困惑している少女二人の横で、ルートは、
「なるほど…な」
 絨毯に半ば埋もれていた、平たい三角形のプレートがついた指輪を拾い上げた。アッシュがいつも"兄の形見"と言って右中指にはめている物だ。その実、同じ物をルートとアステルもしている。
「それは?」
「なんなんですか?」
 二人から浴びせられた質問に、ルートはその小さなプレートの裏側をいじった。すると、くぐもった音で、先ほどの一幕が再生された。
「皆さん、捕まっちゃったんですか?」
 悲鳴のような甲高い声を上げるチェルシーの肩にルーティはぽんと手を置き、
「先の"二人"ってのは、スタンとリリスちゃんよね」
『ディムロスもクレメンテも、ここにはいないわ』
 どうするの?と問いたげな視線をルーティはルートに向ける。と。
「……大人しくしてりゃ、つけ上がりやがって」
 剣呑な笑みを浮かべ、ルートは指輪を握りしめた。その冷え冷えとした気迫に、言いようのない息苦しさを覚える。
「セインガルドに連行される前に助け出す。幸いここはロスマリヌスだ。助けさえしてしまえば、後のことはどうにでもできる。…どうにでもな」

「目障りに思われたようですわね。向こうとしては、あなた方を孤立無援に追い込みたかったのでしょうが……少々目立ちすぎたようです。これ以上私たちには動いてほしくないということでしょう」
 やわらかに笑みすら浮かべて、リラが肩をすくめる。
 連行された先は、ロスマリヌスの港からは少し北に離れた岸辺に着けられた、中型のレンズ動力船だった。その一室に、クレメンテをのぞくリーン邸で捕まった者全員が放り込まれている。だが、スタンとリリスは別室らしくここには容れられていなかった。
「スタンさんとリリスさん、どうされているんでしょうか……」
「大丈夫ですよ。あの二人は無事です」
 不安を口にしたフィリアに、アッシュがやはり落ち着き払って答える。思えば、今ここで狼狽えているのはフィリアだけだ。他は、束縛されていないのをいいことに思い思いに散って、部屋の壁にもたれかかっている。
「あの二人は、いわば切り札ですからね。国民への体面などから、私やリラなんかは邪魔だからといつまでも監禁しておくわけにはいかない。だから」
 人質というのは、最も簡単な枷だ。
 今までは水面下での牽制ですんでいたのが、ついに無視できなくなったらしい。
「あれは本物の国軍なのか?」
 ウッドロウが不意に口を開く。と。
「違いますね」
 アッシュはきっぱりと断言した。
「あれはオベロン社の人間でしょう。規模がまだ小さい海軍はイスアードが完全に押さえていてくれていますし、もとよりセインガルドの海軍の半数以上――特に船を動かせるような者はほとんど、ティベリウスの即位以降アクアヴェイルから亡命してきた者ばかりですから。イスアードもアクアヴェイルの元軍人です。彼らはロスマリヌスに敵対などしませんよ」
 ティベリウス政権時代のアクアヴェイルとの戦争が勃発せずにすんだのは、ひとえに海軍からの静かな不満が原因だったらしい。アクアヴェイルは島国であるため、とにもかくにも海軍が動かなければどうにもならない。
「それに、海軍の制服は他と少し違うんです」
 たいした違いではない。ぱっと見では気づかないほどの些細なことだが、知っている者からすれば決定的だ。
「伯父上からの要請で動いたのでしょう。まったく御苦労なことですわ」
 冷淡に言いながら、リラが青紫の髪を、広がらないように一つにくくった。
「いつ頃でしょうね?」
 笑みを絶やさないまま、彼女はアステルに問いかけた。
「日が落ちるまで待たないわね。……二周でどうかしら?」


「ねぇ、何を作ってるの?」
 物置の前にいろいろと工具を並べ、何かを組み立てているルートの手許を、ルーティがのぞき込む。
「発破」
 あっさりとした答えに、がくっとルーティが膝についていた手のひらを滑らす。
「即席の、たいした威力も持ってない代物だけどな」
『あら…これ、時限装置?』
「わかるか」
 まるで模型でも組み立てているような物言いだった。
「脅かすにはちょうどいいだろ」
 横に転がっている完成品を一つ手に取り、彼は簡単にルーティへ着火の仕方を教えてきた。とにかく横の突起を押し込めば導火線に火が着くらしい。よほど強く押さないと引っ込まないぐらい固いらしいが。
「気をつけろよ。大概が二、三分で爆発する。いくつか五分物も混じってるがな」
 思わず呆れたような笑いをルーティが立てる。そこへ、ぱたぱたとチェルシーが戻ってきた。
「船、ありました。街の北の沿岸です〜!」
 先日見かけたあの船を、ルーティがだいたいの場所を覚えていて、チェルシーが確認に行っていたのだ。
「それじゃ、行くとするか」
 ルートはいささか乱暴に爆弾を袋に放り込む。それから、脇に置いてあった幅広の長剣を手に取った。かなりの重量があるはずだが、それをものともせず彼は軽々と扱っていた。
「わたし…も行っていいですか〜?」
 チェルシーがおずおずと言い出す。
「危ないんだから――」
 止めかけたルーティをさえぎるようにルートは、
「絶対に独りで動かないことな。守れるか?」
 ぽんぽんと、子供をあやすようにチェルシーの髪を撫でた。
「はい! 守れますよ〜!」
 矢筒と折り畳み式の長弓をすでに手にしていたチェルシーは、ルートとぱちんと手のひらを合わせた。
「どうやって乗り込むんですかぁ?」
「なぁに。真っ正面からだよ」
 勢い込んで訊くチェルシーに、ルートはおっとりと口の端に笑みを浮かべた。


「リオンさん、お兄ちゃんの友達なの?」
 下層の船室の扉を順に開けて回っているリオンの背に、リリスがふと声をかけた。
「――友達なんかじゃない」
「だって、二ヶ月以上一緒だった旅の仲間なんでしょう? 今だって、助けに来てくれたんでしょう?」
 自然なままの声音で、リリスが言った。詰めるようでもなく、反発する気が起こりにくい声は、さすがに兄妹かもしれない。
「…仕方ないからだ。今、セインガルド内が分裂するのに不都合があった。それだけだ。
 それに……他のヤツらにまで会う気はない」
「お兄ちゃんには?」
 さらりと言ったリリスに、しつこいとばかりにリオンがきっと振り返る。
「あれ、違うの? ……ふぅん」
 気のない声が返される。なんとなく腹が立ってきたところへ、
「あなたって、天の邪鬼?」
 いきなりそう言われた。
「な――?!」
「お兄ちゃんはね、あんまり考えないのよ。なんとなくで決めるの」
「おまえらに僕の何がわかるって言うんだ?」
 棘のある声を響かせたリオンに、しかしリリスは臆することなくリオンの左腕に無理矢理腕を絡ませる。あまり身長差のないためにリオンのすぐ側にある瑠璃の瞳は、不敵な笑みをたたえていた。こういった、はっきりとした強さは、そういえばスタンはあまり見せなかった気がする。いつものんきで穏やかで。
「全部わかるなんてバカみたいなこと言わないわよ。そういうこと言う人は、一番なにもわかってない人だもの。全然わかってないくせに、わかった気になって、本当にわかろうともしない。
 …あのね、少し同じ感じがするの。気のせいだったらごめんなさい。でも、あなた、すっごく淋しそう。突っぱねてるくせに」
「――っ、うるさい!」
 歩調を速め、リリスの腕を振りほどく。
「今朝、お兄ちゃんやディムロスさんから無理矢理聞き出したから、あなたのこと少し知ってるつもり。……お兄ちゃん、なんだか元気なかったもの。
 お兄ちゃんはね、裏切るなんて考えないのよ。考えられないのよ。一緒だったんだから、それぐらいもうわかってるでしょ? 気になったら、こっちがどんなに突っぱねたってとことん世話を焼いてくるし。昔の私にしたみたいにね」
「だから今はあいつにまとわりついているのか? 兄離れしていないんだな」
 仕返しとばかりに、リオンが揶揄した口調で言い返した。
 そんなに背も変わらない少女が、怒っているのかもよくわからない眼差しで、まっすぐ見据えてくる。
「そうよ。私が離れたら、きっとお兄ちゃんも離れるもの。お兄ちゃんが外に出たりしなかったら、ずっと変わらないままでいれたかもしれないのに」
「ふん、ガキだな」
 冷笑と共に言い捨てると、
「子供のままでもいいわ。見えないぐらい遠くに離れてしまって、また私の知らないうちに喪うぐらいなら、ずっとまし」
 それまでと一変し、リリスは突然しおらしくなった。
「あなたも親、いないんじゃない?」
 答えを返せないリオンなどお構いなしに、リリスは続けた。階段も終わり、また横に並ぶ。
「人間って、脆いよね。とても簡単に死んじゃう。
 ずっと変わらないなんてことないのはわかってるわよ。でも、それでも…不安になる。怖くなる。だから、できるだけ近くにいててほしいの」
 そして、
「私のわがままなのよ」
 哀しげに笑った。
「……………」
 怜悧に冷めた奥底が、何かをささやいていた。まだ言葉と呼べるほどの確かなものではないけれど。
「……それがわがままかどうかは知らんが、変わらないこともあるだろう。
 それと――」
 一番奥、最後の扉の前で、二人は立ち止まった。
「わかってるよ」
 矢継ぎ早に言っていたリオンの言葉を、リリスがいともあっさりさえぎった。
「お兄ちゃんには、私からも頼んどいてあげる」
 少女が浮かべた笑み。
 スタンと兄妹だというのをこれほど実感させるものはなかった。


「――おい。…おいっ」
 潜めた少年の声と、軽く頬を叩く音が室内に響く。
 しばらくして、ぼんやりと叩かれた側が顔を上げた。と、今起きたばかりといった焦点の定まっていない彼の青が、不意にはっきりと開かれた。
「………リオン……?」
「やっとお目覚めか。あいかわらず寝起きの悪いヤツだな」
 言ってリオンは背後に回ると、スタンを後ろ手に柱に縛っている縄を切り落とした。スタンの両手が解放された、その刹那。
「お兄ちゃん!」
 横手から、リリスが抱きつく。薄闇にも煌めく二人の金糸が、その拍子に大きく広がり揺れた。
「リリス!? ……あれ? 確か、俺……」
 リリスを受け止めたまま、意識を失う直前のことを思い出そうとする。
「…あ。――ディムロスは?!」
「ここにはいない。船長室だったと思う」
 短いため息を挟んでから、リオンはリリスに視線を落とした。が、すぐに踵を返し、部屋の扉を開ける。
「行くぞ」
「どこへ?」
 その聞き返しに、リオンは呆れ返りを通り越して苛立ちを覚える。
「外に決まってる! このままここにいるつもりか!?」
「あ、あ〜あ〜、そうでしたっと」
 スタンは慌てて立ち上がると、リリスを連れてリオンの隣まで来た。
 どうやらここは船の最下層らしく、白壁に同じような扉が並んでいた。微かな揺れから、どこかに停泊しているのがわかる。
 そこでふと、リオンが一人なのに気づいた。
「あれ、シャルティエは一緒じゃないのか?」
「……見てわかるだろうが。
 それにしても…おまえ、自分の置かれている状況をわかっているのか?」
 話をそらすように、リオンが続けた。
 適応性が高いというかなんというか、兄妹揃ってけろりとしている。スタンの左腕に、言ってしまえば恋人同士のように自分の腕を絡ませている今の彼女は、笑顔さえ浮かべていて。そういえば、さっきまでもそうだった。不安を覚えたりしないのだろうか。
「いや、わかってるつもりけど……?」
 そうは言っているが、まったくいつも通りだといまいち説得力に欠ける。
 骨の髄まで染み込んでいるらしい田舎ののんきさのせいなんだろうかと、リオンは不思議に思った。そもそも、何故こんなことになったのかの状況説明すら求めようとしないなんて。
「そのわりには余裕だな。のんきなだけか?」
「ん〜、まぁ、二度目だし。こんなモンかなって」
 さらりと言ったその一言に、リオンの方が驚かされる。
「二度目?!」
「ちっちぇえガキの頃の話だよ。俺はほとんど覚えてないんだけどな」
「え〜と、十…何年前だったよね? 小さかったから私も全然覚えてないけど」
 昔のこととはいえ気楽に言う兄妹に、リオンが憮然とため息をついた。そしてはたと思いだしたように顔を上げて、
「さっき、正面から堂々とリーン将軍が来たぞ。あの金の亡者と…ファンダリアの新王にくっついていた子供と一緒だった。それ以外は、ここからはもっと上の層の一室に、おまえらを人質にして連れてこられていた」
「ふぅん、大変なことになっちゃってるのね」
 リリスが他人事のようにつぶやいた。と、そこだけが金属製の壁の手前で、リオンが立ち止まる。
「だから、このまま行って突き当たりの階段を上がれば、そのうち迎えと会えるだろう」
 リオンがうつむくと、長い前髪で目元は隠れてしまった。
「……僕は、ここまでだ」
 かすれかけた小声で告げた。
「なんで。一緒に来いよ」
 スタンが間髪入れずに切り返す。当然のように言われたリオンは弾かれたように顔を上げ、そして口の端を歪めた。
「何を言っているんだか。…そもそも、どうしてそう、僕に対してなんの疑いもなくついてきたんだ? もう、聞いているんだろう?」
 リリスが無理矢理聞きだしたという"何か"と、続けられた"裏切る"の一言。
「ん……聞いたよ」
「だったら、どうしてだ?! なんでそうも簡単に信じられるんだ?!」
 スタンはリオンの激昂にきょとんとするが、すぐに笑って、
「だって、仲間だろ」
 今度もやはり、それが当然とばかりに答えた。
「な、行こうぜ。みんなも待ってる」
 優しい声音に、力なくリオンが深くうつむく。が、すぐそこの壁に埋め込まれていたガラスを拳で叩き割った。
「できない。それは、できないんだ……」
 天井から降りてきた隔壁の向こうで、リオンはひどく淋しげに微笑む。
 その時、船が大きく揺れた。


「お〜お〜、結構いくなぁ」
 くぐもった爆音と共に弾けた炎に、室内には黒い煙が立ちこめた。
「たかが発掘用の改造品とはいえ、さすがだな。これは気をつけないとな」
 扉どころか壁も大きくえぐれた爆発跡と、袋に詰まった残りを見やり、ルートがのんきに独り言つ。そして、床にしゃがんでいるチェルシーに預けていた自分の剣を受け取った。
「発掘用って?」
 煙を避けてやはりしゃがんでいたルーティが聞き返す。
「考古学者がたまに使う、局所的な発破なんだけどな」
 答えながら、面倒くさそうな半眼で、彼は辺りを見回す。と。
「あ、ダメですよぉ!」
 応対していた二人のうち一人が部屋を逃げ出そうとしたのを、すかさずチェルシーが矢を放ち牽制した。視界が悪いというのに、矢はちょうど男の手のすぐ前に突き立つ。
(たいした腕だな〜)
「どういう事です、リーン将軍?!」
 床に転がり煙にむせ返るもう一人に、ふらりと立ち上がったルートは抜き身の切っ先を突きつけた。
「こういうこった。…さて。質問に答えてもらおうかな?」


 爆発音と同時に、もう一ヶ所でも動きがあった。
「せーのっ」
 あまり力の入っていないようなリラの蹴りが扉の合わせ目に見事に決まると、きちんとしたものではない申し訳程度の錠は耐えきれずにあっさりと吹っ飛んだ。
「見事なお手前で」
 廊下に顔を出したアッシュは、素早く辺りに鋭い視線を巡らす。
「誰もいませんね。まぁ、それどころじゃないんでしょう」
 ちょっと辺りを見てきますと、彼はさっさと廊下を駆けていく。
「さっきの爆発はいったい……?」
 悠々とアッシュ以外の全員連れだって廊下の果てに見える階段を目指して歩き出したとき、フィリアが疑問を口にした。
「発破よ。遺跡調査なんかで瓦礫とかを粉々にするのに使う、範囲は狭いけれど威力はそこそこあるっていう代物ね。たぶん、家にあったのを即興で組み立てたのよ」
 天地戦争時代の大遺跡がいくつかあるが、どれも建材の強度が並外れて高い。少々の爆破ではびくともしないので、こういう荒っぽい手段も稀に使われるのだ。そんなものが必要になるほどの遺跡といえば、セインガルド城地下にあるそれぐらいしか一般には知られていないが。
「どうしましょう? 先に上に参りますか?」
 階段の手前で、リラが二択を投げかける。が、
「フィリア、リラ!」
 そのとき階段から下りてきたルーティが、皆を認めて呼びかけた。
「ルーティさん! …チェルシーさんも?」
 驚いたフィリアの声に、ウッドロウがすぐに階段の前に出てきた。
「チェルシー!」
「あ、ウッドロウ様〜☆」
 弓懸のはまった手を思いっきり振って、チェルシーが返事をする。
「…スタンとリリスちゃんは?」
「ここじゃないわ。どこか別のところ。たぶん…下の層ね」
 アステルは言ってから、ふと手を打った。
「アトワイトさん、何かわからない?」
『え? ええ……………………あ、上の階…たぶんルートさんが行った方に、ディムロスとクレメンテがいます。他は……ずっと向こうの方で下から上に移動している生命反応が二つ。二人かどうかはわからないけれど』
 しかし、下には他に人がいないようだ。
「じゃ、決まり。上に戻ろ」


 二人と別れてから、他の誰にも会わないようにリオンは上に戻ってきた。船長室の扉を後ろ手に閉めて、
「どういうことなんだ。今度こそ、説明してもらおうか」
 微かに身をかがめ、部屋にいた男を上目遣いに睨めつけた。
「説明…? なんのことかね?」
「すでに死んだ人間だろう。貴様もそう言った」
「……"死んだ"か。そうだな、七年も前のことだ。
 おや、もう時間ではないのか。そろそろ迎えが来るぞ」
 返答をする気はないらしい。
 リオンは忌々しげな舌打ちを残し、シャルティエをとって閉めたばかりの扉を開けた。そのまま甲板まで出ると、複雑な面持ちですぐ隣に接舷してくる大型船を迎える。と、その甲板にたたずんでいた女性に、リオンは驚愕する。
「マリアン!? どうしてここへ!」
 そして、そちらに飛び移るなり問いかけた。
「どうしてって、あなたを迎えに来たのよ」
「ヒューゴの言いつけで?」
「こら。そんな言い方しないの。…ヒューゴ様に言われたこともあったけれど、迎えにいくのに、いちいち理由なんていらないでしょう。
 二ヶ月の遠征、御苦労様。……あら、しばらく見ないうちに少し背が伸びたかしら」
 微笑みかけてきた彼女に、だがリオンは笑い返せなかった。
「何かあったの? エミリオ」
 彼が気落ちしているらしいことに気づき、マリアンが訊ねる。
「……なんでも、ない」
 彼女の横を素通りし、船室に入るなり鍵もかけてしまう。ベッドに仰向けに倒れ込み、ぼんやりと虚空を見つめて、思うのは――
『…エミリオ?』
「………」
 ただ、リリスの言葉が離れなかった。


「リーン将軍か」
 扉を蹴破る音に、船長室にいた男がゆったりと振り返る。
「御名答。あんたはバルック・ソングラム、だったな。オベロン社の」
 鞘に収まったままの剣を左肩に引っかけているルートが返した。右手に掴んでいた、のびている偽国軍兵の襟首をぱっと離す。
「なめた真似、してくれたもんだな」
 剣呑な面差しに、冷え切った笑みを浮かべる。
「我々としても、火種は消しておきたかったのでね。あなた方にはもう少し大人しくしておいていただきたいのだ。我々が目的を達成するまで」
「その"目的"とやらであんたたち、どれだけの人を殺してきた?」
 嘲笑うかのような笑みを返すルートに、バルックが眉をひそめる。
「…どこまで知っているのか、さすがは七将軍といったところだな。しかし、彼らの死は理想を実現するための貴い犠牲なのだ。多少は致し方ないのだよ」
「――あの人たちさえ、そんなもので括るとでも言うのか?」
 声の中にごりっとしたものが含まれる。剣の先がすっと、床についた。
「"あの"……? なるほど、確か…。すっかり死んだと思いこんでいたよ、こちら側も。しかし、もう後戻りはできなくなったな。静かにさえしていれば、何も知られずにすむであろうものを。隠し通すつもりだったのだろう? 素直でいい子じゃないか。
 それに、咎人<とがびと>という点では君こそどうなのかね?」
 一笑したバルックに、ルートの冷笑が消える。
「あんたがそれを言うのか? そもそもの元凶どもが。
 あんたたちのためだけに世界があるんじゃないんだ。"貴い犠牲"なんてのは詭弁でしかない。"理想のために"なんかで誤魔化せやしない。
 あんたたちがやってきたのは、紛れもない"殺人"だ」
 鞘から長い剣が引き抜かれ、切っ先はバルックの喉元に突きつけられた。それを、バルックがすっと頭を引いてから短刀で横に叩く。だが、重量のある剣はあまり跳ねず、その勢いを利用する形ですぐさまルートは剣を引くと、その重さからは想像もつかない速さで低めから斜め上にすくい上げた。虚をつかれる形となったバルックの短刀はあっさり弾かれ、彼の首筋にぴたりと刃があてられる。薄く切れた皮から血が滲んだ。
 二人ともの動きが止まる。そして、
「くだらない理想なんかのために、殺人を正当化しないでいただきたいものですね」
 いつのまにか室内にいたアッシュが、冷ややかに言い放った。
「くだらないだと…?」
「ああ、くだらないな! そんな…"理想"とやらであんたら殺したのか? あの方たちも…それに、クリスさんさえも!!」
『ルート!!』
 激情に突き動かされていたルートが、どこからか響いたそのディムロスの声にはっと我に返る。刹那。
「――な…?」
 ルートらの入ってきた扉とは別の扉からスタンが飛び込んできた。そのまま彼はバルックの姿を見つけて凍りつく。それを認めたバルックは口を開き、
「この腐れ切った世の中を廃し、理想社会を築き上げる。それのどこがくだらないと言うのかね? 大きな革命に、犠牲はつきものではないか」
「それは、本当に理想に叶った世界なのですか?」
 哀しげな面持ちのフィリアが、部屋に入ってきた。
「多くの犠牲の上に造り上げた"砂の城"は、本当に理想的な世界なのですか……?」
 続いて、ルーティ、ウッドロウも壊された扉をくぐる。
「あなたの言うことも一理あるだろう。だが、そこから抜け出さずして、理想世界と言えるのだろうか。結局は、同じことの繰り返しになってしまうのではないだろうか」
「ずっと…慈善事業とか福祉活動、やってたじゃない。あたし、尊敬してた。貧しいからとか、親がいないからとかで幸せになる権利まで奪われてる子たちの、少しでも多くがそのおかげで生きていってる」
「もっと、他にやり方はあるんじゃないですか?
 今の世界だって、全部が全部悪いワケじゃないと思います」
 世界中を少しずつだが回り、様々なことを見てきた。腐敗の片鱗も見た。
 だが、そればかりでもなかった。
 なにもかもを切り捨てる前に、拾い上げ、育てられるものもあるはず。
「ふふ……もう時間がないからと、少し焦ってしまったかな」
 バルックが長く細く、病んだ息を吐く。
『その人、死病ね』
 アトワイトがぽつりと言った。
「死病って……!」
「その通りだ」
 少しばかりの羨望も込めて。
「私は、あなた方のように前向きに生きている人が好きだよ……」
 それが、最後の言葉。
 そして、最期の言葉。


 空に、水の匂い。


 暗い空から、ずっと雨が降っていた。
「…止まないわね」
 どこまでも暗い、空。
 濡れてぼやけた窓の中から、ルーティは何を見るでもなく、ただ外に目を向けていた。
「この季節は、いつもですから。お茶、いります?」
 リリスが、ルーティの独り言に言葉を返した。
 桜が散り終わる頃、いつも降り始める長雨。
「ん……ちょうだい。リリスちゃんのいれたお茶、いいもんね」
 少し弱気にルーティが微笑み返す。
 誰もが、沈みがちで、淋しげで。
「あ、ねぇ。スタンは?」
「お兄ちゃんなら…屋敷じゃないかな」
 他に、行くところもないだろう。
「……探さないとなんないんだっけか」
 天上都市遺跡。神の眼の所在。
 だが、降り止まぬ雨そのままに、気まで滅入っているのは。


「なるほどな……」
 書斎の一階で見つけた、床の下に隠された地階への道。
 梯子を下りた先には、整然とした一室があった。
『――スタン?』
 呼び声に、瑠璃が光を弾く。
『気にしてるのか?』
 ささやかに、静かな雨の音が響く。
「気にしないわけ、ないだろ」
『それは――…まあ、な……』
 ――なんて、これが初めてじゃないけれど。
「なんか…さ」
 ちらりと、壁に貼り付けられた一枚の紙を見やる。
「忙しかったら、なにも考えなくてもすむのにな……」
 誰の筆跡かはわからない――叔母にでも見せればわかるだろうが、そんな気にもならない――が、それに書き付けられていた古語は、ディムロスに読んでもらった。
 厳重に封がされた、平たい箱の位置を示した文句がまずあった。
 それと共に、現代語で記されたもう一文があった。

  旧い空の遺跡の資料は
   いつか夢から醒めたときのために
   いつか出会う四人の幸せのために

 そのものの名前を出していないのは、謎かけのつもりなのだろうか。
 誰も教えてくれないのなら、自分で見つける他ない。
 子供の頃に凍りついた深淵は、深い深い霧の底。
「……何か、あったんだ………」
 そのつぶやきに呼ばれたように、かたん、と音を立てて、本棚から箱が一つ転げ落ちてきた。着地の衝撃で箱の蓋が開き、中からひなびた旋律がこぼれ出てくる。
 ――オルゴール。
 微かな音色が、とても懐かしい。
 箱から転がり出た小さなオルゴールを拾い上げる。それは、昔と変わらない曲を奏でてくれた。
 音は少しずつとぎれて――やがて、止まる。
 そして、気づいた。
 箱の中に、鈍く光を反射する金色が一つ。
 金色の、長細いプレートをつけたイヤリング。
 写真の中で、父がずっと昔からしている、金色のイヤリング――


 何かを忘れている。
 何か、とても大切なことを。
 思い出さなくてはいけない。
 そんな気がした。
 でも……何を?


「不思議なものですね。十一年も経って、またあなた方とお会いするなんて」
 墓石の前にたたずむ彼女は、哀しげな笑みを翳った藍の瞳に浮かべる。
「あの子を見たとき、すぐにあなた方のことを思い出しました。
 初めはとても信じられなかったですが、今こうして私がここにいるのがなによりの証拠です。とても…よく似ていますわ。
 あの子はやはり私のことを覚えてはいなかったけれど、だからといって、すべてなかったことにはできない。私が覚えているから。
 ですから、私にできることで、護ってみせます。
 ……弟、みたいなものですから」
 たとえ交わした相手が死すとも、約束は生きている。


 この世の果てを抱く丘。
 すべてが眠りにつく中で、淡い紫が花開く。
 こぼれ落ちた永遠の雫。
 遠い遠い、想い出の中。


 山脈のふもとに小さな廃墟。
 雨に霞んだ、古い廃墟。
 思い出も消えた廃墟なんて、ただの瓦礫。
 けれど。
 大きすぎる哀しみに、優しい思い出が霞んでしまう。
 それは、昔ここにいた彼も同じなのだろうか。
 彼はどれだけの時を見送ってきたのだろうか。
 ここが、始まり。
 つぶやいた。
 雨に流されてしまうほど、小さな声で。
「兄さんは、ここで、彼と出会ったんだって」
「ここで?」
 意味のない確認を返しながら、アッシュが周りを見回す。
 ここは、廃墟とは様式がまったく違っていた。
「そう。このずっと奥。知ってる? 兄さんの名前はね、この遺跡に種が残されていた花の名前からなんだって」
「それが、あの紫苑の花か?」
 ルートの言葉に、アステルが頷く。
 過ぎ去った時代の遺跡。
 もしかしたら、開けてはいけない禁断の箱だったのかもしれない。
 飛び出した悲劇は、なにもかもを奪い去ろうと牙を剥く。
 飲み込まれた者は、もう帰ってはこない。
 だから、遺された者は、なんとしても護りたい。
 箱の中には、微かでも希望も込められているのだから。


 永き淋しさを抱く森。
 一つ一つ眠りにつく中で、淡い青が花開く。
 叶わずとも消えぬ約束。
 永い永い、追憶の果て。












back next top