――いつかすべてを知ったとき、この子は私たちを恨むでしょうか。
 誰かが遠くでささやいていた。
 遠い灯りの中で、結い上げられた髪が輝きをこぼす。


 ――出来ることなら、何も知らないまま幸せに暮らしてほしい。
 誰かが近くでつぶやいていた。
 あたたかな手が、優しく髪をなでてくれる。


 声は、あたたかくて、哀しげだった。






十三章 事実と真実と






「それじゃお義父様、しばらくお願いします」
 トーマスが頷いたのを見て、アステルは少し視線を下げる。
「叔母さんまで出かけちゃうのね。どっちが先に帰ってくるかしら」
 どこか不満そうに、淋しそうに、リリスが上目遣いにこちらを軽く睨んでいた。昨日もこの桟橋でスタンたちを見送ったところなのだ。しかも、その後になっていきなり今日出立する話を聞かされた。
「さてね。……リリスも来る?」
 アステルの冗談に、リリスは頬を少し膨らませる。
「もう。お祖父ちゃん一人残してなんて無理でしょ。わかってて言うんだもん、叔母さんは」
「おーい、アステル〜」
 甲板上からの間延びしたルートの声に、リリスがぽんと手を叩く。
「ところで」
 背の高い叔母の袖を引っ張って頭を下げさせ、そっとささやいた。
「叔母さん、いいかげんにしたら?」
 ニヤリと笑みを浮かべたリリスに、さすがのアステルも決まり悪そうに目をそらす。
「――そんなつもりじゃないわよ。ただ…ね」
 七年もかかったワケじゃない。とっくにけじめはつけていた。ただ……
 その場を苦笑でごまかし、アステルは甲板まで駆け上がる。
「な〜に、人の顔見て笑ってたんだ?」
 すぐそこにいたルートが胡散臭そうにこちらを見上げてきた。ルートの方がアステルよりも背が高いが、縁の手すりに両腕をしき顎を埋めているため、見上げる形になっているのだ。
「あら、気づいてた?」
 アステルは鉄壁の笑顔をつくり、もの問いたげなルートの視線を抑えつける。そのせいか、彼の方から話題を変えてきた。
「…ところで、なんでまたダリルシェイドに出てくる気になったんだ?」
「そうですよ」
 いつのまにやらこちらに来ていたアッシュも、重ねて言ってくる。
「……もう、絶対ダリルシェイドには来ないと思ってました。なにより、七年前の葬儀のときにあなた自身がそう言ってませんでしたか?」
 思わず視線がすっとそれる。ほとんど忘れたと思っていた――思いこんでいた記憶は、今もとても鮮明に蘇る。忘れてなど、いなかった。
「――言った、気がする。ええ、言ったわね、そんなこと。…いいじゃない」
 自分が一番わからないのだから。
「ねぇ、ルート。アッシュ。……今までの時間、長かった?」


 セインガルド王国から北東に位置するアクアヴェイル国。国と同名で呼ばれる諸島に、複数の領国からなるいわば連合国家である。
 代々世襲制で継がれていく各領国の領主から選抜された一人が連邦の長――王となり、その領地が首都とされる。
 歴代の半数以上の王が建国者の直系であるシデン領主から選ばれていたが、数ヶ月前まではトウケイ領主が武力でもって玉座についていた。しかし先王の功績でやっと休戦になっていたセインガルドとの戦争を繰り返そうとするような王が国を平定できるわけもなく、国内は乱れきっていた。だがグレバムの一件の中でその王も倒され、シデン領主を再び王とした国は建て直しの真っ最中である。
「へぇ、なるほどねぇ。で、アクアヴェイルってワケかい」
 広い船の食堂で、簡単なあらましを聞いたジョニーがおどけた声でつぶやいた。なかなか派手な服装で傍らにリュートを置いたこの男は、これでもシデン家の三男である。スタンたちがアクアヴェイル入りしたときに偶然出会ったのだが、へらっとしているようでいて一応目は確か、妙なつかみ所のなさは全員揃った第一印象だった。
「しかし、まさかアクアヴェイルの王族とこんな形で会うことになるとはな……」
 苦笑らしきものと共につぶやいたウッドロウに、
「そいつはこっちのセリフ。なんてったって、あんたはファンダリアの国王陛下なんだからな。ま、確かにそういうことなら、ファンダリアから動くのもなかなか問題だわな」
 どこか揶揄したような口振りが目立つ。
 アクアヴェイルと戦争をしていたのはセインガルドだが、ファンダリアとも仲がよいとは決して言い切れない。それを意識しているのかどうかはわからないが。
「ところでさぁ、なんであんたがここにいるわけ?」
 今更気づいたルーティが訊ねる。詳しくは話してくれなかったが、アステルが手を回して、人伝にアクアヴェイルに連絡を取ったらしい。このことを聞かされたときは本当に驚いた。ロスマリヌスはセインガルドから実質独立しているとはいえ、元はセインガルド領内であるのだから、意外なつながりではあった。船に乗ったら乗ったで、見覚えのある顔触れの迎えがあったことだし。
「いちゃ悪いかい。ロスとアクアヴェイルのつきあいは結構長いんだぜ。
 俺が生まれて少しの頃の――二十三、四年前に終わった戦争、知ってるだろ? ちょうど代替わりした親父が休戦に持ち込んだんだが、その橋渡しをやってくれたときからのつきあいだ。今だって結構助けてもらってるしねぇ。
 んで、今回、そのロスの領主様直々のお願いとあっちゃあ、これでも一応シデン家の人間なんでね、様子見に来たってワケさ。実際見てみりゃ懐かしい顔だったんだがな」
「おもしろ半分で来たんだろうに」
 そこへ、ちょうど食堂に入ってきた男がすかさず突っ込みを入れる。
「おぉい、手厳しいじゃねぇか〜、フェイト」
 どこか大げさに、ジョニーがフェイトに言い返す。この船の主であり、先日正式にシデン領に続く有力国モリュウ領の現当主となったらしい。
「ところで…目的の海域のことなんですが」
 言って、フェイトは手にしていた海図をテーブルに広げる。
「あの記述通りなら、この辺り。島らしい島もない海域です。……昔は」
 示されたのは、アクアヴェイルからだいぶ南下した海のど真ん中。ぺったりと青く塗られているだけである。
「昔?」
「十年前だったか、オベロン社が完全人工島を建造したんです。なにやら、危険の伴う実験を行うための施設だとか聞かされていました。かなり大掛かりなことをしていたようで、一時期かなりの資材運搬船を見かけましたよ。海上のそれには十分余るほどの」
『海底に沈めてあった天上都市とつないだんじゃろうて』
 クレメンテが苦々しく吐き捨てた。
「でもよ、こんな海の底に沈んだ都市遺跡なんかでどうするつもりなんだい?」
 ソーディアンが交じると途端に話が見えなくなるフェイトに適当に内容を伝えながら、ジョニーは海図上の目的地周辺で大きく円を描いた。
 類は友を呼ぶともいうが、本来は稀なはずのソーディアンの声を聞き取る人間にこうも出会うと、珍しいのだという感覚が失せてしまう。
『神の眼さえ接続できてしまえれば、浮上してしまうことも可能だ、――ろう。都市の損傷の程度に寄るがな』
『けれど、どこから漏れたのかしら。都市の破棄地点なんて』
 書斎の地階に隠されていた、神の眼・天上都市に関するすべての資料は、金属製の平たい箱に詰め込まれ厳重に封がされていた。同封されていたメモに書かれていた書類総数とその概要からも、資料の欠損がないことは確認できた。
 内容的にも、昔話からも、ストレイライズに保管されていた戦後処理関連の資料はこれで完全だろう。ならば、どこからそんな極秘事項が漏れたのか。
『――向こうも考古学の知識がかなりあるということだろう。シャルティエが発掘されていたのだから、その可能性は高い』
 どこか歯切れの悪いディムロスの声に、アトワイトは小さくため息をつくと、
『ディムロス。あなた、最近変じゃない? なんだかすぐ黙り込んじゃって、らしくないわ。何かあったの?』
『別に、なにも』
 アトワイトが言い終えるが早いか、ディムロスはすぐに素っ気なく返した。一瞬むっとしたアトワイトはすぐさま矛先を変え、スタンに問いかけた。
『スタン君、何か知らない?』
 問われたスタンはふるふると首を横に振る。と、アトワイトの柄を指で軽くはじいてルーティがニヤリと笑った。
「そぉんなに心配なの〜?」
「あいかわらず仲がよろしい御様子で」
 そんな彼女に調子を合わせてジョニーがそう続けると、
『そんなんじゃないわよ!』
 という、アトワイトの強い否定と、
『は?』
 という、ディムロスの抜けた声が見事に重なった。


 閑かなホール。
 行方不明になったオベロン社上層部の行き先の手がかりをなんとか得ようと、社員たちが屋敷内を探しまわっている中で、ここだけは切り離されてしまったかのように。
 広いホールだ。
 しかし、ここには一つしかない。他には、何一つない。
 ただ一つ。
 ただ一つ、壁に掛けられた肖像画があるだけだ。
 描かれているのは、一人の女性だ。微笑む若い女性。長く緩やかに波打つ、艶やかな髪は結い上げられ、紫水晶のような瞳ははにかみながらも勝ち気さをうかがわせる。髪の漆黒と花嫁衣装の純白は、二十年近く経とうとも褪せた色は見えない。
「クリス様……あなたなら、どうしますでしょう……?」
 リラがその絵を前にたたずんでいた。声には疲れが見える。ため息一つ、ふと、額縁の傷が落とした目に止まった。小さな傷だ。
「…え――?」
 よく見れば、それは傷ではない。絵の右下ぎりぎりに、サインに紛れて何かが書き込まれている。
「……"裏"?」
 すっと、手を絵の裏側に回してみた。板を探っていくうちに、金属の感触を覚える。粘着力の弱いテープで貼り付けられていたそれは、鍵だった。
 リラはすぐさまホールを出て、この屋敷に仕えていた若いメイドの一人をつかまえる。
「ちょっと、よろしいかしら」
 そして、どこの鍵か心当たりはないか訊ねた。
「はぁ……このような鍵の形は……」
 申し訳なさそうにうつむくメイドの横で、よってきたもう一人が声を上げた。
「もしかして、奥方様の御部屋の鍵ではないでしょうか。奥方様が亡くなられて以後、鍵も紛失されて、ずっと閉ざされたままでございましたので」
 そのメイドに部屋の場所を聞き、リラは鍵のかかった部屋の前に来た。やはり鍵がかかっている。差し込み、そっと回すと、かちゃり、と乾いた音がしてノブが回せるようになった。
「………」
 そこは、整然と書架が並ぶ、オベロン社総帥夫人の部屋というよりはまるっきり書斎だった。大半が考古学に占められ、残りは物語らしい。寝室は続き部屋の方だろうか。
 リラが机の上の、埃の積もった書類を手に取る。十八年前の日付が記されたそれは、セインガルド城地下における"二本目のソーディアン"発掘に関するものだった。


 夜闇のもと、舳先が割る波の音だけが静かに響く。
「なぁ。本当にどうしたんだよ? ディムロス」
 手すりに両肘をつき、スタンは佩いたままの彼に声をかける。
『…………』
 どことなく、気まずい沈黙。
『………ちょっと、な』
 しぼり出すようにディムロスが言ってきたのは、だいぶ経ってからだった。
「ちょっと?」
 対して、スタンはさして気にした風もなく反芻した。
『おまえは……どう思っている? あのとき、俺なんかと会ったせいでこんなことに巻き込まれて』
 隠し通すことにひどく罪悪感を覚える。
 すべて言ってしまいたい衝動に駆られる。
 だが、言わない。言えない。
 瞬間が、時間を否定してしまいそうで。
 いつか、言わなくてはならない瞬間は来る。絶対に。
 だが、できるなら、できるだけ、先延ばしにしたかった。
 逃げでしかないと気づいていても、わかりたくはなかった。
「何悩んでんのかは知らないけどさ、後悔なんてしてないよ。世界中にいる何万って人の中で、そのたった一人の人と出会うのは奇跡なんだって。――かなり昔に父さんが言ってたんだけどさ、ようやくわかってきた…のかな。だから」
(後悔してるのは……俺か)
 苦い自嘲の混ざった思いの中に、けれど異質な欠片。
 それらは相反しているようで、一つのもので。
「もともと、悩むのなんて性に合わないんだしさ、俺は」
 だから、考えるのは止した。
 時来るを待つばかり。
 海の飛沫は、まだ冷たかった。
「そういえば、ウッドロウさんのソーディアン、どうなってるんだ?」
 外見の損傷はないが、いっこうになんの反応も見せない、薄いブルーのかなり長い細剣。ウッドロウは一応持ってきているが、今もまるで機能を復活させる気配がなく、神の眼の力を受けたことによる一時的な麻痺という線は弱くなっていた。
『ああ、イクティノスのヤツか。……あいかわらず黙ったままだな、そういえば。
 あいつが静かにしてることなんて絶対にありゃしないんだから、故障…それも自己修復機能が働いてる様子もないし、かといってコアクリスタルが"死んだ"わけではないみたいだし、コアクリスタルとソーディアンの連結部がやられた可能性が高いだろうな』
「………ディムロス〜……?」
 どこかトゲがあるような気がしてならない彼の声に、スタンはうかがうように柄をのぞき込む。
『…だいたいあいつはな、ちょっと俺より年上だからって偉そうにしやがって――いや、あいつの偉そうな態度は地だな。絶対に。リリーもあんなヤツのどこがいいんだか……!』
 まるでケンカした子供の悪口のような声の調子に、スタンが失笑する。
『――な、なんだ?』
「あ、いや…その、リリーってのは?」
 ごまかすようにぱたぱたと手を振って、聞き覚えのない名前を尋ねる。
『ん、ああ。…なんて説明したらいいのかな。
 母親を亡くした後に俺――ともう一人を引き取ってくれた人の長女なんだ。三人いる子供の中では一番下だったけどな。周りにはよく五人兄妹だとか言われたんだよ。
 俺の"妹"以外は結局、全員軍属になって、それでよけい有名になっちまったのかな。揃いも揃って地位も結構上までいったし』
 幸せな時間を懐かしむ声音が、何より雄弁だった。
「で、そのリリーって人とイクティノスが仲良かったってのか?」
『そうなんだよなぁ。別にそれは個人の自由なんだが、イクティノスのヤツはとにかく気に食わんな』
 きっぱりはっきり言い切ったディムロスに苦笑しつつ、スタンはある疑問をふと浮かべる。
「なんか……あのさ、おまえって、いったいいくつなんだ?」
『歳のことか?』
「そ。なんかさ〜、おまえってこんなヤツだったっけ?」
 さも嬉しそうに言うスタンを"視界"から外し、ディムロスは、
『千年経ってるが……ソーディアンになったときが確か――二十三だった』
 スタンが言葉を失ったのに気づかぬふりをして、ディムロスが言葉を続ける。
『当時…寿命はあまり長くなかった。四十頃まで生きられればいい方だったぐらいだからな。そういう点、クレメンテ老や俺の養父は特殊だったが。そんなだから、別にむちゃくちゃ若い部類じゃなかったんだ。
 とは言っても、結構若い方だったとは思うがな。ソーディアンメンバーの中でも、俺とシャルティエが最年少だし』
「最年少で……しかもシャルティエと同い年だったのかよ?」
 少し意外な気もする。
『そうだよ。なんだ、意外そうだな。俺はそんなに老けてみえるのか?
 所属は違ったが、…まぁ、その、いろいろあったからな、ソーディアン云々のかなり前から知り合いだったし。
 だから……ちょっと意外だったがな………』
 何が意外だったのか聞きたかったが、何故か、聞き返せなかった。


「そんな……」
 書類を読み進めていくに従って、リラの顔が色を失っていく。王室に提出されていた報告書とはその内容は違う。あの時の発掘の責任者は彼女ではなかった。なら、これは提出用の書類ではない。研究日誌のようなものなのだろう。
「"ベルセリオス"……千年前にコアクリスタル内部を破損し"戦死"したソーディアン……セインガルド城地下の都市遺跡"ノルズリ"には、天地戦争における死者を弔う墓所が存在」
 その際に発掘されたソーディアンは"ベルセリオス"と呼ばれていた。私的なもののために、"二本目"と記された横には"ノルズリでは"という但し書きまである。こんな細かな意地が、実に彼女らしい。
「天上王ミクトランを討ち取った剣として、その墓所の最深部に葬られていた」
 何気なく指が紙の縁に触れ、ふと気づいた。これは"書類"ではない。綴じが緩んで抜け落ちた、ページの一枚ではないか。
 さっと机上に目を走らせると、はたして厚い日誌を見つけた。紙質からも、これが本体だろう。持ち上げたときに一ヶ所ページが折れているのに気づいて、正そうと思いリラはそのページを開いた。
「……"第二子エミリオ誕生"……?」
 十六年前の日付。冒頭に、その一言が記されていた。そのままリラは、続けて書かれている一文に目をとめ――
「――そん…な………!」

  私に残されている時間はもう残り少ない。
  あの人に残されている時間も、もうない。
  せめて、私は最期まであの人と共に在りましょう。
  私には、もうそれぐらいしかできないのだから……

 部屋を飛び出し、リラは手近にいた国軍兵を一人つかまえた。
「な、……リラお嬢様?!」
 ほっそりとした彼女の腕からは想像しがたい力で捕まれた腕をその兵士は呆気にとられて見下ろす。
「急いでルートとアッシュをここへ!! 最悪、どちらか片方でも構いません! それと私の屋敷にいらっしゃるアステル様もこちらへお呼びして! 急いでっ!!」


 太陽が真上にさしかかる頃に、灰色の島が見えた。
 陽を浴びて煌めく海に、ひどく不釣り合いな硬質の灰色。
 見える範囲のどこにも人の気配はなく、冷たい静寂に包まれている。
「静かだねぇ?」
「人、いないのかな」
『外に出てる人はいないようね』
 甲板に並んだジョニー、ルーティ、アトワイトで声が続いた。
「……なんだか、変な島ですねぇ」
 チェルシーが小首を傾げる。
 島の埠頭にある塔以外、少し高めの一階建ての建造物がべったりとあるだけだが、その建物が馬鹿でかい。おそらく島の大半を占めているだろう。
『ふむ。あの下、じゃな』
「でも、こんなに大きな島、怪しまれないんでしょうか?」
 フィリアはちょうど隣に出てきたフェイトに問いかけた。
「ここは大陸とはかなり離れてますし、なによりオベロン社所有ですから。そもそも、場所が場所なだけにこんな人工島の存在を知っているのさえごく少数ですよ。
 ……あの埠頭につけれますね」
 言うなり、フェイトは指示を出しに踵を返す。
「あ、あれかー」
 やっと船室から出てきたスタンが右手を額にかざし、のんびりした声を上げた。
「あいっかーらずね〜。起こされなかったらいつまで寝てるつもりだったわけ?」
 朝の恒例、ディムロスの怒鳴り声。
「うるせ」
 そこへ、振り向いたフィリアが一瞬躊躇した後、切り出した。
「……あそこにリオンさんもいらっしゃるのでしょうか……? あの人が裏切ったなんて…信じられません………」
 胸の前で両手を組み合わせうつむき加減に言った彼女の言葉に、真っ先にルーティが反応した。ずかずかとこちらに歩み寄り、きつい口調で、
「なぁに言ってるのよ、フィリア! あのクソガキならやりかねないわよ! ああ、もう、見つけたらぼっこぼこにしてやるんだから!」
「おお、言い切ったねぇ」
 ジョニーが軽く二度手のひらを打った。その顔に浮かぶ苦笑は何を思ってか。
「スタンさんも…そう思ってらっしゃるんですか……?」
「俺は……」
 声が途切れたのは一瞬。
「俺は、信じてる。裏切ったのかどうかよりも、リオンを信じるよ」


 埠頭におり中央の建造物に向かってまっすぐ走ると、とんでもなく大きな搬入口にたどりついた。その大きさは、神の眼を何かの上に載せて運んでいても楽に通り抜けられるほどだ。
「うわ、ひっれぇ〜……」
 ひょいと中をのぞき込んだスタンが感嘆の声をもらした。
 建造物の中央が、地下――海面下に向かって吹き抜けになっている。作業用の味気ない白い光は十分な光量があって、視界には困らない。
 吹き抜けを取り囲む幅のある通路には、下へ降りるためであろうエレベーターと、馬鹿でかいクレーンの土台があるだけだった。ちなみに、クレーンの先は吹き抜けの奥に降りきっている。
「ちょっと、まさか!」
 それの意味するところに気づいたルーティが声を上げた瞬間、何かの駆動音が低く響いた。全員が吹き抜けの手すりに取りつき、遥か底に目を凝らす。目がくらみそうな高さの奥で、閉じていった床のさらに向こう側に、確かに見覚えのある七色の輝きが一瞬だけだが見えた。――神の眼。
「皆さーん、エレベーターが来ましたぁ」
 チェルシーが、扉を開けたエレベーターの前で手をぶんぶん振ってきた。いつのまにか、ボタンを押してくれていたようである。
 スタン、ルーティ、フィリアが乗り込み、最後にウッドロウと共に乗り込もうとしたチェルシーを、ウッドロウが止めた。
「チェルシー、先に船に戻っていなさい」
 もちろん、チェルシーは不満をありありと顔に浮かべる。
「なんでですかぁ〜!?」
「船に、いつでも出航できるように準備しておいてほしいと伝えておいてくれないか。何が起こるかわからない」
 すぐさま返された答えに、むくれながらもチェルシーはエレベーターから離れた。見送るのは二度目だ。今度も絶対に大丈夫。そう、信じること。
「絶対に、皆さんご無事で戻ってきてくださいね」
 扉が閉まる寸前、チェルシーの声だけがすべり込んできた。
 後は、風が抜けるような駆動音だけが響いていた。


「やはり、十一年前にシオン様は――」
 日誌を強く胸に抱きしめているリラの肩に、アステルはそっと手を置いた。
「兄さんは、"ここ"にいたのね……」


 ――来た。
 なんの根拠もない確信だった。
 だが、絶対に外れていることはない。
 今なら…間に合うかもしれない。
 ……何が?
 何に間に合う? 何が手遅れになるというんだ?
「どうした、リオン?」
 神の眼がさらに海底へ運ばれていき、その搬入口がしっかり閉ざされたのを確かめたヒューゴは、思いに沈んでいたリオンに揶揄した声をかけた。
 無言のみを返すリオンに、ヒューゴはさして気にした様子もなく、
「行きたければ行けばいい。その代償は払ってもらうがな」
 なにもかも見透かしている。
「それが嫌ならば――」
 そのとき、上からのエレベーターが下りてきた。扉が開くと共に、さらに下へ降りるためのエレベーターの前でヒューゴの口も開く。
「ネズミどもを始末しろ」
「リオン!」
 真っ先に飛び出してきたスタンの声がそれに重なる。
 ヒューゴはそちらへ一瞥くれると、奥のエレベーターへ乗り込んだ。
「好きな方を選ぶがいい。"エミリオ"」
 その言葉と共に、二つのエレベーターの中間に立ちつくしていたリオンが、スタンたちの方へ向き直った。
 鞘をこする金属の音と共に、シャルティエが光をはじく。
「――リオン!」
「君は事の重大さがわかっていないのか!」
 かなり前に出ているスタンの一歩後ろまで、ウッドロウが近づく。
 リオンはひどく硬い表情をほんの微かだけ歪めて、
「わかっていないのはおまえらの方だ。すべて、あの男の計画通りなんだよ。最初からずっと、利用されていたんだよ」
『でも……よく――やっぱりここがわかったね。本当に………』
 ひどく複雑で、哀しげで、苦しげな声でシャルティエが言った。
『騙していたのか!?』
『私たちを裏切ったのね!』
 クレメンテとアトワイトがその言葉に怒号をあげるが、シャルティエは押し黙ったまま、なんの反応も返さなかった。
「待ってください、リオンさん。あなたこそ、ヒューゴに利用されているのではないのですか?!」
「そうさ、僕は単なる捨て駒だ。でも…それ以外の道がなかった」
 リオンの自嘲に、ルーティは先ほど一瞬だけ見えた黒髪の女性を思いだした。最初の出立の時、見た覚えがある。
「人質…ね。でも、だからって……」
「おまえにはわからないよ。おまえは拾われた先で――……どうせ、愛情も知らずに育ったんだろう」
 一瞬だけ瞳が揺れて、嘲るような口調にすり替わった。その変化にはシャルティエ以外気づかず、
「なんですって!? どうして…どうしてあんた――」
 ルーティは前に出ながら愕然とリオンを見返した。知っているはずがないのに。孤児であることを他人に話したのはスタンが初めてなのだから。
「そんなに驚くほどのことじゃないさ。種さえ明かせば簡単なことだよ。……おまえは、ヒューゴに捨てられたんだよ、そのアトワイトと一緒に!」
 すとんと肩の力が抜け落ちる。めいっぱい見開かれたルーティの瞳は、次の瞬間には動揺に揺れた。
「……そんな…作り話――」
 さらに続けられた言葉に、呆然と成り行きを見ていた周りの皆にも大きな驚きが広がった。
「僕の母の名はクリス・カトレット。おまえの母親もこの名前だろう? 聞いているはずだ。おまえが生まれた翌年に、僕が生まれたんだよ。クリスとヒューゴの二番目の子供エミリオ・カトレット。それが僕だ……」
『もうやめてっ!!』
 アトワイトの絶叫がさえぎる。
「……嘘。嘘よ……あたしがあのヒューゴの子供で…あんたが弟だって……?」
 開かれた両手が顔を覆った。
『――…ルーティ……』
 くずおれかけたルーティを、気づいたスタンが支える。そして、困惑気にリオンを見た。
「さあ、"お姉さん"。どうする……?」
 一歩だけ、リオンが前に出た。
「………僕は、殺せるよ」
 精巧に作られた人形のように硬い表情が、微かに唇を動かす。
 その小さなつぶやきは、広く狭い世界で、幾重にも響きわたった。


『……シャルティ……どうしてだ………?』
 ひどく入り交じった声で、懐かしい名で、ディムロスが問いかけた。
 ずっと、ずっと聞いていた。ずっと前から、ずっと――
 そして、問うことができたのはこれだけだった。
 先ほどかけられた怒号にも無反応だったシャルティエが、絶叫をあげる。
『こうするしか、なかったんだよっ。僕にはどうしようもなかったんだ!! どうすることもできなかったんだっ!!
 ――……何も知らないのは…幸せなんだよ………』
 最後の一言は、泣き声のようにひび割れた声で、自嘲気味につぶやかれた。
 そのとき、部屋の空間にどす黒い狼のようなモンスターが何十匹といきなり出現する。
「なっ!」
 飛びかかってきた一匹を無造作に切り捨て、スタンはルーティをフィリアに預ける。
「少し時間を作ってください」
 近距離戦なのでイクティノスを手にしたウッドロウに、フィリアは素早くそう告げると、クレメンテを手に精神を集中する。それからモンスターの一団からリオンが大きく下がっているのを認めると、スタンがこちらのタイミングを計って退いた瞬間、晶術を解き放った。空気を突き破る雷鳴が部屋を揺るがし、色のない炎がモンスターの大半を焼き尽くす。
「く…」
 腕で思わず目をおおっていたリオンは閃光に霞む目でざっと見回す。
(くそ……っ)
 こみあげた苛立ちは、はたして誰に対してか。と。スタンが扉に走ったのに気づき、考えるよりも先に、リオンは身体を扉の前にすべり込ませた。
「リオン!」
 牽制の一閃をスタンはディムロスで弾く。
「リオン。放っておいたらダメなんだ。止めなきゃ、ならないんだ!」
 ひどく焦った声で訴えてきた。
「……できない」
 感情を無理矢理抑え込んで、リオンが答えを絞りだす。
 シャルティエを握り直すと、切っ先がこすった音がひどく耳障りに響いた。
「通すわけには…いかないんだっ」
 リオンが踏み出し、繰り出した一刀も、スタンは刀身で滑らせ受け流した。
 そして。
 二人がソーディアンを再び合わせた刹那、風が爆発した。
 耳の奥に不快を残す重い音が消える頃、爆圧をまともに受けたリオンが壁に打ちつけられる音が入ってきた。スタンもがっくりと片膝を落とす。ディムロスに寄りかかり、辛うじてへたりこんではいないが、息が荒い。
『無茶をやるっ』
 ディムロスが声を上げるのに、スタンはほんの微かな苦笑を返した。無理だ無茶だと言いながらやってくれた彼に。
「……何が…?」
 余波に乱れた髪を押さえたまま、動くことを思い出したフィリアがつぶやく。
『まったくのぅ。…あれは風じゃ。あやつらがいつも扱う火象とは相反し、まともに使えんはずのな』
 呆れ返ったクレメンテが答えた。
「しかし……」
 それでは今のは。ウッドロウの問いにも、続けて答える。
『二人とも、力ずくで御しおったのよ。もっとも、その代償を今スタンが支払わされておるがな。不慣れなものはかなりの負担になるからのぅ。
 もう、観念することじゃな、シャルティエ、リオン。動けるものではなかろうて』
 無理矢理身体を起こし、奥の壁にもたれかかった彼らに言い放つ。
「ダメだ……違うっ……父さんはこんな――っ」
 スタンがうめくようにつぶやいた、そのとき。
『そうだよ。シオンが望んだのはこんなのじゃない』
 はたと、二人の動きが止まる。シャルティエの出した、一つの名前に。
「え……?」
 呆けたようなスタンとリオンの視線が、戸惑いながら向けられる。
『なにも…知らないんだよね……』
 シャルティエはそこでいったん言葉を切った。
 その一瞬で、ディムロスは気づく。
『――…っ!!』
 止めるべき言葉が出なかった。見つからなかった。
 沈黙は罪。
 露見は罰。
『やっぱり片割れは君が持ってたんだ。だろうね……シオンは、帰れないかもしれないって薄々気づいていたみたいだった』
 ぐらりとスタンの上体が傾ぎ、揺らいだ金糸の中で、硬質な金が大きく跳ねた。
 真実は、残酷なまでに心を打ち据える。
 舞台から降りる前に、語るべき事がある。
 ここで告げるべき、真実――
『さっき、ディムロスはどうしてかって、訊いたよね。でも……僕こそ聞きたいよ! どうして……どうして、十一年前、ディムは来なかったんだよ!? どうして、シオンがよりにもよって"一人で"ヒューゴに会いに来たんだよ!? 最悪の結果になってしまったじゃないか、シオンが殺されてしまって!!』
「――え……?」
 ひどく震えたその声が、響きわたった。笑い出してしまいそうな、泣き出してしまいそうな、震えて掠れきった声は、ルーティが上げたものだった。
「ディムロス……まさか――」
『君はシオンによく似てるよね。遺跡で初めて見たときは、本当に驚いたよ。まさか、その君が、シオンと同じようにディムロスと出会ってるなんて……』
 スタンが息を呑む。
 すぐには信じられなくて、まさかと言いそうで、でも何も言えなかった。
『シオン――シオン・ディールライト。
 それが、君の父親だよね。……"スタン・ディールライト"』
 見開かれた青が震え、言葉すら、失う。
 同時に、リオンがはじかれるように顔を上げた。
 見る間に、消したはずの感情が戻ってくる。
「おまえが……シオンの……!?」
 気づいていたはずなのに、絶対に認めることはできなかった。だって……
「……冗談じゃ…ない! なら……なら、僕は――っ」
 震えをどうすることもできないまま、複雑に屈折した瞳で、スタンの顔を――幼いときに見た彼とよく似ている顔を見た。
 ただ一つの柵。
 記憶の奥底にしかもうなかったはずの瑠璃さえも、こんなにも近くにあった。

  約束は、果たされていた……?

 思わずこぼれる嘲り。それと共に、顔も逃げるように背ける。
 どこから狂ってしまったのだろう。
 そんな問いすら、もう遅い。
 もう、遅すぎる。
「……シオンを殺したのは、ヒューゴだ。そう――それに、七年前のリコリスの一件の時にも、ディールライトの痕跡は残してはならないと、奴は言っていた。
 不要な者は捨てる。邪魔な者は、殺す。奴はそういう奴なんだ。
 ルーティは要らなかったから捨てられたんだ。
 シオンは…邪魔だったから、殺されたんだ。
 ――ふふ…おまえにとって、ヒューゴは両親の仇なんじゃないか」
 自分でもはっきりとわかるほど歪んだ声で、そう言った。皮肉な運命といえばこれほどのものはないとばかりに自分を嘲笑って。
 誰かの息を呑む声が聞こえる。
 風が抜けたような微かな悲鳴が聞こえる。
 シャルティエを握る手が、嫌な汗に濡れていることに気づいた。
 長い間、こうしている気がする。
 しかし、時間が止まったような錯覚は、一つの声で崩された。
「――なんじゃない……それでも、そんなんじゃ…ないんだ……! リオン!!」
 すべての虚構さえも打ち崩す。
 吐いた息と共に、何もかもが抜け落ちていくような脱力感を感じた。
 だが、消え入りかけた意識に、唐突に悪寒が走った。
「………まだ……まだ終わってない………」
 荒い息の合間に、必至に立ち上がろうとするリオンがつぶやいたとき、建物全体が大きく揺れ始めた。
「な――っ!?」
「始まった……」
 上に伸びる筒のような吹き抜けに亀裂が走り、幾筋も鉄砲水のように水が流れ込んでくる。それは瀧のように、リオンとスタンたちを分け隔てた。重い腕をなんとか持ち上げ、瀧の影でリオンは壁をまさぐる。
「リオン!」
 立ち上がろうと力を入れたはずの膝は、スタンの意志に反してまるで持ち上がらない。逆に両膝ともついてしまうはめになる。
「くっ!」
 新たに突き破ってきた真後ろからの水流に、リオンとシャルティエ以外、いつのまにか開かれていた中央の空洞へ流されてしまう。まだこの施設は生きているようで亀裂はすぐにふさがれるが、それもむだな足掻きだ。じきにすべてが崩壊する。だが、重要なのはどれだけの時間が稼げるかだ。縦穴も隔壁が閉まる。スタンたちが流された穴も閉じられる。この一つ下に位置するエリアは――
 それを見届けて、リオンは笑みを浮かべた。
「……ゴメン、シャルティ。つきあわせて」
 気がついたら、そばにいてくれていた。
 そうして、もう何年のつきあいだろうか。
『僕が自分で選んだことです。エミリオが謝る必要は…ありません』
 むしろ、謝らなくてはならないのは自分の方……
 沈黙は罪。
 呵責は罰。
『そう…ですね。約束を破ってしまったこと、言い訳するのは手伝ってくださいね。怒らせると怖いんですよ――』
「ありがとう………」
 水が流れ込む音に消えてしまいそうな声は、ひどく穏やかだった。
 大きく軋む音と共に、壁に巨大な亀裂が走る。
 銀の光がひとひら、水の奥へ消えていった。


  いつからか、戸惑いを感じていて。
  ずっと捜していた、何かがあって。
  ――でも、それに手は届かなくて。
  とても悔しくて、とても淋しくて。
  けれど、それはきっと――

  きっと、とてもすぐ近くにあった。
  ずっと、とてもすぐ近くにあった。
  ――でも、それには気づけなくて。
  とても悔しくて、とても哀しくて。
  それなのに、もう遅い――

  もしも。
  もし、望むことが許されるのなら……


 甲板から、島が沈んでいく様を見ているしかない。
 今にもこぼれ落ちそうな涙をためて、チェルシーはひたすら無事を祈っていた。誰かが浮かび上がってきたらすぐに気づくように、何度も目をこすりながら波打つ海面を凝視する。
 ふと、ぽんと軽く頭を叩かれた。
「大丈夫さ。俺たちが信じなきゃ、誰が信じる?」
 いつものおどけた笑みではないそのジョニーの笑みに、つられるようにチェルシーも微かだが思い詰めた表情をゆるめた。そして、もう一度海面に目を戻す。
「……あれ? あれ、なんですか?」
 チェルシーが海面を指さす。
 次々と影が海の奥へと消えていく中、一つだけ逆に浮かび上がってきていた。
「ん〜……? ……っ?!」
 海面が丸く盛り上がり、盛大に飛沫が散らされる。その向こうから、なにやら巨大な金色が姿を現し始めた。
「なんですか、今の!」
 向こうにいたフェイトがその音に走り込んでくる。そして、その金色を見るなり呆然と立ちつくした。
「なんだ…こりゃあ………」
 大きな翼はあるが、鳥ではない。
 長くすらりとした頭。
 すっと突き出た角。
 ふわりと長い毛が揺れる。
 長い尾が水面を叩く。
 身体は、この船ぐらいの大きさはあるのではないだろうか。
 金色は、それの色だ。
 おとぎ話の世界で、それを指す言葉があった。――龍。
 だが、飛行竜でない。飛行竜より数段小さいし、今目の前にいるのは紛れもなく生物だ。人間や爬虫類、その他のどれとも違うその緋の眼は、確かな意思と知性を感じさせる。そしてなにより、とても穏やかな瞳に思えた。
「あー、ウッドロウ様!」
 チェルシーが、その背に乗せられた人影を認め、声を上げた。呼んだ名は一人だけであるが、全員いるのも気づいている。だが、皆気を失っているようだ。
 と、そのとき。
「そっち、行ってもいいかしら!」
 気の強い女性の声と共に、金色の背から誰かが手を振ってきた。
 薄めの金髪をかなり長く伸ばし、ポニーテールにしているその女性は、白衣を羽織っている。歳はジョニーやフェイトとさほど代わらない頃――二十代半ばに見えるが、不思議とそれはとても様になっていた。
「ねぇ、どうなの!?」
 再びかけられた声に、なんだかよくわからないまま、糸を引かれたように三人揃って頷いた。


「――……?」
 目を開けると、一瞬歪んだ視界。焦点があってくると、ぼやけた視界に青い空が映った。
『スタン、気がついたか』
 ディムロスの声。安堵。
「俺……?」
 船の甲板。
『よくは俺も覚えていないが、どうやら助かったらしい』
 起きあがると、すでに気がついていたらしいウッドロウとフィリアがそばにいた。少し離れたところに、肩を落とし深くうなだれているルーティの姿もある。
 リオンの姿は、なかった。
「よーぉっ! 起きたか」
 妙に陽気なジョニーの声が、後ろから聞こえた。
「さっそくだが、おまえらに――ソーディアン連中も含めて、会わせたいお人がいる!」
「みんな気がついたみたいね」
 白衣を着た金髪の女性が笑顔で、その後ろからひょいと顔を出した。とたん。
『――なっ、シャルロットっ?!!』
 ディムロスが素っ頓狂な声を上げた。
「はぁ〜い☆ お久しぶり、ディム」
 にこにこと、とても嬉しそうに彼女が応える。シャルロットというのは彼女の名前のようだ。
『な、シャルロットとな?!』
 フィリアの側から、クレメンテも驚愕の声を上げてきた。
「あ、クレメンテ、気がつきましたか」
 ショックで機能麻痺を起こしていたのが突然目覚めて突然大声を上げた。ひとまず、フィリアは安堵のため息をつく。
「みんな、久しいわねぇ」
 にこやかに返すと、颯爽と白衣を翻し、シャルロットがスタンのすぐそばまで歩み寄ってきた。目線をあわせるように膝を落とし、
「あなたが…スタン君ね」
 海より深い碧にのぞき込まれ、スタンは思わずどぎまぎする。
「…は、はぁ……あの」
 何かを言いかけたスタンよりも早く、シャルロットは腕に抱いていたものを渡した。
 猫ほどの大きさの――金龍。
「ヒギリっていうの。しばらく"あなたたち"が預かって」
 金龍――ヒギリは、翼を広げ、それがさも当然のようにスタンの右肩に降り立つ。
『待て、何故そいつが――いや、それより! なんでシャルがここに?!』
 されるがままのスタンの隣で、ディムロスがひどく混乱している。
『なんでだ!? なんでおまえがここに!!?』
「あら、私が助けてあげたのよ。ヒギリと一緒に。…それはともかく。
 答えて、ディムロス。シャルティエは――?」
 彼女はいきなり真剣な面もちに変わり、ディムロスにまっすぐと問いかけた。
『………………すまない……』
 息が詰まりそうな沈黙の中、それだけをうめくように返した。それが精一杯だった。
「そう。あの子がそれを選んだのなら、…仕方ないわ……」
 ひどく淋しげで哀しげな微笑みと共につぶやいた。
 その笑みに、スタンは思い出す。今の彼女ととてもよく似た笑みを、父の墓の前で、母がしていた。
 ――そうだ。
 突然、いろいろなことがわかった。
 一人、どこかへいなくなってしまった。
『スタン……』
 忘我に落ちかけたスタンへ、心配そうな色とどこか詫びるような色が混ざった声を、ディムロスがかけてきた。
「知って…たのか?」
『ファルンに……シオンのことについてはあらかた聞いていた』
「そっか。母さんが」
『あの雪の中で会ったとき、正直、信じられなかった。おまえもファルンと一緒に、あの七年前の時に殺されたものと思っていたからな。でも、おまえと旅をしていて、もしかしてと思うようになった。
 ……ロスマリヌスに帰った時に、確信したんだ。まさか、本当にシオンとファルンの息子だったなんて……』
「………そっか。すごい偶然なんだな」
 いつか言った言葉。
 偶然は必然であり、運命なのかもしれない。
『どうしても…言えなかった。すまない……』
 沈黙は罪。
 呵責は罰。
『リ――いや、エミリオのことも、全部ではないが、シャルティエから聞いていた』
 どうして、こうもすれ違ってしまったのだろう。
「……あいつ、どこ行っちゃったのかな………」
 きっと、怖かったんだ。
「ルーティさん!」
 不意に上がった声にスタンが顔を上げたとき、すぐそこをルーティが横切った。
 そのまま船室の方へ駆け去っていった彼女を追おうとしたフィリアは、ウッドロウに止められた。
「今は、そっとしておいた方がいいだろう。混乱しているんだ」
 残されても無言のままのアトワイトを拾い上げたチェルシーのもとへ、シャルロットが歩み寄った。
「久しいわね、アトワイト」
 返されたアトワイトの声は、ひどく疲れていた。
『………そうね、千年ぶりになるわね』
 チェルシーから彼女を受け取り、シャルロットは皆の輪の方へ戻ろうとする。そのとき、ひどい揺れが襲いかかった。立っていた者はたまらず膝をつく。先ほど島が沈没していったときよりもさらに激しい揺れだ。
「な、まだなんかあるのか!?」
 なんとか船の縁につかまったジョニーは、遠く離れた海面に揺らぐ影を見つけ叫んだ。恐ろしく巨大で、果てが見えないそれは、徐々に海面に近づいてくる。そして透明な膜の中、剣のようにそそり立つ尖塔が姿を現したとき、悲鳴に近い声をシャルロットが上げた。
「――ダイクロフト!!?」
 ダイクロフトと呼ばれた、島というには大きすぎる大地が、海を割って空へと昇っていく。その底面中央から伸びる巨大な剣を見て、ディムロスが愕然とつぶやく。
『天上都市が…蘇っただと……?』


「伯父様、お久しぶりです」
 扉を勢いよく開け放ち、リラが微笑む。
 彼女の伯父――セインガルド王が怪訝な面持ちを浮かべた。
 リラはいつも微笑んでいる。やわらかな甘い笑みで。
 だが、今のはそれとは違って、もっと冷たく鋭い――
「どうしたのだ、リラよ?」
「とても大事なお話がありますの。正直に答えてくださいまし」
 にっこりと笑みを強める。
 ひやりとした風が吹き込む。
 鋭利なナイフを突きつけられているかのように。
「ヒューゴと手を組み、あなたは今までに何人殺められましたか?」












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