曲げられぬ時に紡がれたままに。
 紡ぐ先に与えられるままに。
 運命は廻り続ける。






十五章 空の上のソラ






 光が薄れていき、足に確かな地面の感触が蘇る。
 転移が完了し、ゲートルームにもとの薄闇が戻った。
 先だって、シャルロットが歩き出す。丁寧に布でくるまれた細長い包みを手に、ウッドロウが緊張した面もちですぐに続いた。他の皆も、今までとは違って心許ない視界を注意深く歩き出す。
 ここはアウストリ。
 セインガルド=ファンダリアの国境が沿う、氷の山脈の地下。
 千年前の、四大地下空洞都市の一つである。
「アウストリには、ソーディアンのコアクリスタル開発を行った研究施設があるの。そこでならイクティノスの修理ができるわ」
 シャルロットの言葉通り、アウストリはヴェストリやノルズリとは内部の様子が違っていた。天井が高く、幅のある通路は複雑に分岐している。部屋と部屋の間を縫うようにして通路が造られたためであろう。ちらちらと見える室内は、どれも機械類がびっしりと並べられている。この区画すべてが地上軍の研究施設らしい。
『覚えてるか? 旅を初めてすぐの頃行った遺跡』
「え、ああ、あの捕まったところか」
「覚えてるわよ、当たり前じゃない」
 ディムロスの言葉に、スタンとルーティが頷く。
『ここはな、あの下になるんだ。あの遺跡がこの都市の玄関だったんだよ。だいぶ様子が変わっていたからすぐには思い出せなかったがな』
 二人が思わず顔を見合わす。
「あなたたち、上に行ったことあるの?」
 顔だけ振り返って、シャルロットが少し驚いたように訊ねてきた。
「あそこはかなり造り替えたのよ。気づかなかったでしょう?」
 シャルロットが扉の前で立ち止まる。自動でスライドしていった扉の向こうで照明が皓々とつき、いくつもの小部屋をつなぐ空間を照らしあげた。
「はい、到着」


 シャルロットがイクティノスを手に奥の部屋に消えて十数分。
「ねぇ、あっちって、なんですかぁ?」
 チェルシーは、シャルロットに入っていった部屋とは別の、忙しく演算処理音が漏れる部屋を指さした。
『え? ……なんだったかしら?』
 首でも傾げているようなアトワイトの声に、
『あれだろ。俺たちの変換もやった、シャルが自分専用の研究室同然に使ってた――』
『そういえばそうじゃったな。地上で最高の処理能力を持っとったコンピューターを私物化しておるとか言われとったわ』
 相手が相手なので、周りの者は誰も本人には言い出せなかったが。
「ですが、どうしてそれが今も?」
 ソーディアンの声をチェルシーに伝えてから、フィリアが問う。
『入ってみればわかるだろ』
 事も無げにディムロスが言う。
「い、いいのかよ? 何かやってるんだろ?」
『周りにあるものに手を触れなければいいのよ』
 興味があるのか、アトワイトも乗ってきた。
「そんなに入りたいなら、私に言えばいいじゃない」
 …………………………………
『な、なんだ、終わったのか?』
 シャルロットが憮然とした表情でそこに立っていた。
「終わったわよ。じきに目覚めるからいらっしゃい」
 くいっと顎をしゃくり、研究室に入るよう促してきた。部屋の中央の台座に、イクティノスが横たえられている。
 駆け寄ったウッドロウがそれにおそるおそる手を伸ばし――
『……、……ここは…?』
 不意に、スタンたちには聞き覚えのない男の声が響いた。
「イクティノス、目覚めたか!」
 今度はイクティノスの柄をしっかりと握り、ウッドロウが顔を輝かせた。
『――ウッドロウではないですか!
 私は……そうですか、あのとき破損しただけですんだのですね』
 ここがアウストリであることで、彼はすべて納得がいったらしい。が。
「あのとき? …サイフリスが来たときに何があったのだ?」
『ヤツらの目的はファンダリア城の地下と通じるスズリだったのです。それを防ぐために、イザーク王は晶術でその通路を崩し……』
「そうか……。いや、おまえだけでも戻ってきてくれて、よかった」
 スズリ?と後ろでスタンたち三人が首を傾げると、ファンダリア地下にある、やはり都市遺跡だとアトワイトが説明してくれた。
『しかし、マグナス主任がいるようでは、あまりいい状況というわけではないようですね。今はどうなっているんですか?』
 状況説明を求めるイクティノスの言葉に、マスターたちが凍りついた。
「マグ…ナス……?」
『あ…、シャルロットのことだ』
 ひどく決まり悪そうにディムロスが答える。イクティノス以外誰もそんな他人行儀な呼び方をする者がいなかったので、皆このことをすっかり忘れていた。
「私の名前がどうかしたの?」
『いえ…あの、ルーティの弟の偽名が、リオン・マグナスだったもので……』
 ソーディアンたち三人はやたら気まずい空気に、失態をひどく後悔した。だが、今更どうしようもない。
「なるほどね。おおかた、シャルティの姓をもらったってトコでしょ。"リオン"だってたぶん……シャルティの最初のマスターだった、あいつの名前からだろうし」
 リオンがシャルティエのマスターであることは聞かされていたので、シャルロットはそれであっさり納得がいく。
「え? シャルティエの名前って?」
 しかし、スタンたちはわからない。
 代わりに答えようとしたディムロスを視線でさえぎって、微苦笑を浮かべてシャルロットが答えた。
「だって、シャルティは私の弟ですもの」


 部屋の壁近くに据え付けられた、とてつもなく巨大な漆黒の直方体が、先ほどクレメンテの言っていた当時最高のコンピューターとやらだろう。
 その脇の端末からシャルロットがあるデータを読み出した。
「ほら、これ」
 壁に埋め込まれた小型ディスプレイに、顔写真付きでパーソナルデータが表示される。そのディスプレイの中の、シャルロットによく似た顔立ちと淡い金髪を持つ男を指さし、彼女は続けた。
「これが、ソーディアンに変換される直前のシャルティエ。結構似てるでしょ? 瞳の色は違うけれどね」
 どこか淋しげな笑みが浮かぶ彼女の瞳は深い藍色をしている。シャルティエは翡翠のような緑色をしていた。
「私の瞳は父譲り。この子の瞳は母譲り」
 中身も、その瞳の色と同じかもしれない。
(なんで先に逝っちゃうのよ。約束、破って)
 写真の中の弟を見つめ、それは声に出しては言わなかった。
 ちらりと、暗がりの奥の扉を見やる。千年前に誰かが"墓所"と呼んだ部屋を。
(言ったのは…そう、弟たちだったかしらね)
「ねぇ、アトワイトのもあるの?」
 しばらくディスプレイを見ていたルーティが、そんなことを言い出した。
『ちょ、ルーティ!?』
 慌てるアトワイトを後目に、
「ふ、もちろんあるわよ☆」
 シャルロットはコンソールに指を走らせる。
 ぱっと画面が切り替わり、金髪にも見える、明るいローシェンナーの長髪を後ろで緩く三つ編みにした、物腰やわらかそうな女性が映し出された。
「ちぇ、意外と美人じゃない。これ何歳のとき?」
『二十四よ! もう……』
 人間の姿であれば顔が真っ赤であったろう、アトワイトが言った。
「じゃ、ディムロスは?」
『なに?! ちょ――』
 スタンの声に慌てたディムロスが止めるまもなく、またしても画面が切り替わる。
「あ、髪長い」
 なによりまず、スタンはそれだけつぶやいた。
「なんか意外。これがディムロスなんだ」
 ディスプレイをのぞき込んだルーティも感想を述べる。
『おい……』
 ダークローズに近い紅の髪は長く伸ばされ、後ろで束ねられているらしかった。どのくらい長いのか写真ではよくわからない。意外にもかなり女顔で、紅い髪に緑の瞳が鮮やかに映えている。これは絶対に母親似なんだろうというのはスタンたち共通の感想だ。
「ソーディアンになる直前のなんだよな? ってことは、二十三か」
 いつかの会話を思い出し、スタンが言う。
「へぇ、やっぱりアトワイトの方が年上なんだ」
 なにがやっぱりなのやら。
『…おい、シャル。イクティノスのも出してやれよ』
 むくれた声をディムロスが上げる。
『ちょ、ディムロス! どうしてですか。私は関係ないでしょう!』
 イクティノスが憤然として抗議するが、
『ここに居合わせたのが運の尽きだよ。それとも何か? 見られて困る顔なのか?』
『そんなこと誰も言ってません!』
 売り言葉に買い言葉で続いていく二人の口喧嘩をよそに、シャルロットが呼び出したデータをみんなが囲んでいるのにイクティノスが気づくのは、それからしばらく経った後である。


 空は灰色に重くたれ込め、とても、とても寒かったあの日。
 きっと、この寒さのせいだ。
 どこまでも冷たい、痛いぐらいに冷たい、寒さのせいだ。


 規則正しい寝息が聞こえる。
 天井の照明はとっくに落とされていた。
 そして、スタンが何度めかの寝返りを打ったとき。
『眠れないのか?』
 潜められたディムロスの声に、スタンも上体を起こす。シーツの上で丸まっているヒギリを起こさないように、そっと。
「うん……ちょっと、な」
『昨日もほとんど寝てないだろ。明日にも天上(うえ)に上がるかもしれないのに、そんなじゃ体が持たないぞ』
 昨日は、本当にいろいろあったから。
 スタンは曖昧な笑みを微かに浮かべた。
 無理矢理眠らされていたが、今朝はいつになく早く目が覚めた。いつかのようにひどい悪夢から覚めた心地がして、寝直す気にもなれなかった。
 ベッドから足を横に出し、ブーツを履いてしまう。
『仕方ないな……』
 壁のちょうど足首辺りやベッドの脇につけられた、カバー下の照明のおかげで足下低くにだけは濃い蒼の光が満ちている。
 そっと足音を殺し、ディムロスと一緒に研究者用の仮眠室を出た。そして、すぐ横に置かれている長椅子にくずおれる。
「なんか……疲れてんのか、全然わかんないんだ」
 ひんやりと乾いた空気が心地よい。
 大切なことは、大切なものと引き替えでなくては気づかないのでしょうか。
 うつむいたら、硬い金色がちらりと揺れた。
『……泣いて、るのか?』
 反射的にも見えるスタンの即答は、首を横に振ることだった。
『エミリオのことは――』
「信じてるよ。そりゃ……もし、もしもその期待が裏切られたときは、そう思えば思うほど辛いのかも知れないけれど、やっぱり――信じたい」
 裏切られることには慣れてる。
 だって、いつだって裏切られてきたから。
『そうか……そうだな。シャルティエも二人とも、生きているといいな……』
 そこに、不安定さではない、確かな足がかりをディムロスは見つけた。
『シオンとファルンの墓は……どこに?』
「……ロスマリヌスの森の奥。そこに、父さんと母さんの墓があるんだ。でも、そこに父さんは"いない"んだ。帰ってこなかったから。
 父さんはもう帰ってこない」
 それから一度も泣いたことなんてない。
 母が死んだときすら、泣かなかった。
 いや。
 おびただしい赤を見た瞬間からの記憶が、なかった。
 泣くこともできずに、だが背くこともできず、ただ心を閉ざしていた。
 そう、彼が言っていた。
 傷が癒えぬまま、上から覆い隠して塗り固めてしまっているのだ。
 傷の痛みは普段は表に現れなくても、ふとしたきっかけであっさりと心を蝕もうと牙を剥いてくる。
『シオンはな、母親が殺されたとき、大泣きして俺のところに来た。泣けるだけ泣いて、一生分の涙出し尽くすぐらいに泣いてった。
 …その次の日から、それまで通り考古学もやりながら、母親の仕事を嗣ぐための勉強も始めたんだ』
 突然の昔語りにしばし呆気にとられていたスタンも、次第に聞き入り始める。
『俺は……父親のことは全然知らないが、母親が死んだとき、おまえと同じように、泣くこともできなかった。哀しいのにな。しばらくして"兄妹"ができて、その後になってやっと泣けた。むちゃくちゃ大泣きしたよ。…ま、それ一回きりだけな』
 笑った……?
『泣くだけ泣くとな、泣きまくってる間はカッと熱くなってたのが、いきなりすっと冷えるんだ。泣ききったら、つっかえ全部流れたように、落ち着くんだ。
 哀しいのは変わらない。それはずっと残り続ける。
 けれどな、それとつきあっていかなくちゃいけないんだ。辛さと一緒に生きていかなきゃならないんだ』
 重い口調ではない。あくまでも、思い出語りとして。
 そして。
『心なんてのはな、どうやったって思い通りになりゃしないんだ。誤魔化して、自分に嘘ついて、でもずっと奥底までは手が出せないんだ。
 だから……泣いたっていいんだよ。おまえは、泣いていいんだ。
 どんなに平気なふりしてたってな、苦しいのは絶対に消えやしないんだから』

  僕が母さんとリリスを守るよ。父さんと約束したんだ。
  だから、もう泣かないで。僕も、泣かないから。

 そう。泣き崩れた母に、そう言った。
 隠していた記憶。そう、

  あなたたちは絶対に守るから…

 母はきつく抱きしめてきて、濡れた声でそうつぶやいていたのだ。
 その時から、解っていたのだ。
 父は死んだのだと。
 それを拒絶したのは、他ならない、自分――


 一つの事実の中に、二つの真実があった。
 翔る鳥を見て、遠い空を夢見ていた。
 空よりもずっと上の、ソラ。


『泣いたっていいんだよ。おまえは、泣いていいんだ。
 どんなに平気なふりしてたってな、苦しいのは絶対に消えやしないんだから』
 それは突然に。
 一筋つたったかと思うと、後は流されるままに止めどなくこぼれ続けた。
 十一年分の慟哭は、静かに、だが深く深く。


 ずっと、ずっと置き去りにしていた時間。
 やっと、止まっていた針が時を刻み出す。


 たとえ、それが辛い過去であったとしても。
 思い出に変えることも、叶うかも知れない。
 それは苦しみという柵が解き放たれたとき。
 その悲哀と共に生きてゆける、そのときに。


 完全に再起動が行われていたゲートシステムにより、ヴェストリを経由することなく直接ラディスロウ下層域のゲートルームに出た。ここのだけは独立していて、ラディスロウのホストからでないとシステムが立ち上がらない。ということは。
『手回しがいいのぅ……』
「手回しついでに、これを渡しておくわ」
 シャルロットが、ベージュ色の四角いコンパクトのようなものをマスター四人に渡した。
「何ですか、これ?」
「通信機兼発信機」
 開けると、小型ディスプレイと簡単なコンソールがそれぞれの面についていた。コンソール側の方に、小さな丸い水晶のようなものが埋め込まれている。
「それはね、持ち主の波長を記憶させるものよ。触れば読みとるから」
 言われるままに、その石を親指でさっと撫でる。と。
「あ、ホントだ」
 透明だった石は、ルーティは青に、フィリアは黄に、ウッドロウは緑に変色している。
「俺のだけもとのままだけど」
 しばし持っていたが、スタンだけはいっこうに色が湧き出てこない。
「きっと、スタン君はそれでいいのよ。でも、純色なんて――」
 石をのぞき込んだシャルロットは、何かを言いかけてやめてしまった。
「チェルシーのはないんですかぁ?」
「ゴメンね、あなたは、私とお留守番」
 腰をかがめて言ったシャルロットの肩からヒエンを抱き上げると、
「…仕方ないですぅ。チェルシーはソーディアンの皆さんの声が聞こえませんからぁ」
 しぶしぶ、そういう理由を付けてチェルシーは納得する。
 司令室まで上がると、リトラーの声が出迎えてきた。
『来たか』
「遅くなりました」
『いや、まだヴェストリとの分離作業を行っている途中だ。もうしばらくかかる。今のうちにマーカーを登録しておこうか』
 ディスプレイに高速で文字列が流れ去る。しばらくして、ディスプレイがラディスロウの見取り図に切り替わった。
『ちゃんとできているようだな』
 司令室にあたるところに、白、青、黄、緑の光点が示されていた。光の色がそれぞれ石の色に対応しているのだろう。
『さて、準備もできたな。そろそろ始めるとしようか』
 リトラーの声がふつりと消えると共に、ラディスロウの奥底から低いうなりが響き始める。しばらくして、ふっと空気が波打ったような気がした。耳の奥で妙な感覚が膨らんだ。
「浮上、したんですか?」
「外ではきっと盛大に水しぶきが上がってるんでしょうけど……さすがに中核にある、この司令室までは聞こえないのよ」
 言いながら、シャルロットは素早くコンソールに指を走らせる。再び画面は切り替わり、天上都市群の映像を映しだした。だが、地上で直に見たのとはどこか変というか妙というか、とにかく違和感がある。
「これが今現在の天上都市群。首都ダイクロフトを中心に、他の八都市が八角形を描いて、網の繋ぎ目を持っている。この網…というか、もう膜よね、外殻とでも言いましょうか、その穴はすでにラディスロウで通り抜けることができる大きさじゃないから、外周都市の外側まで一度回り込まないとダイクロフト上空につけることができない」
 土でできた膜自体に問題はないが、芯になにが使われているか不明な今、それを破るというのは危険な賭けだ。
「どうするの?」
 素直に問うたルーティに、シャルロットはふっと笑みを返し、
「ベルクラントからダイクロフトに上がりましょう。ベルクラントのコントロールルーム近くに、建造中に使用していたハッチの一つがあるわ。そこから中に入るの。
 あの変な土の網さえなければ、昔みたいに中枢に突っ込んでというのもありだったんだけれどね〜」
「でも、近づいたりしたら危なくないですか?」
 ベルクラントから発射される"天の雷"のことを言うと、
「ああ、それね。最初に発射されたのが浮上直後、次に…気づいてなかったでしょうけど、あなたたちがヴェストリにいた間に一回、アウストリに行ってからもう一回、今朝にも一回」
 シャルロットがなに食わぬ顔で指を折っているのに、スタンたちはさっと血の気が引く。知らない間に三回も発射されていたとは。
「ほら、さっきの。粉塵がかなり増えていたでしょう?」
 スタンたちが映像に感じた違和感はそれか。
「それとね、実を言うと――」
 ディスプレイに先ほどと同じ映像が再び呼び出される。と。円形に見えるダイクロフトの裏に大量の光が発生し、すっと画面のずっと奥へ消えていく。しばらくして、一気に粉塵が巻き上がった。瞬く間に広がった黒い塵は、空を徐々に覆い尽くそうとしていく。
「たった今、発射されたわ」
 別のディスプレイで消失地点を割り出す。
 ダリルシェイドと連絡を取った際、死者が出たことも聞いた。市街地を意図的にか避けているが、そこに程近い村落がいくつも消されている。――脅迫。
(島一個消えたわね……)
 一回打つごとに、威力が増している。巻き上げられる粉塵の量も比例的に増し、網もだいぶ太くなっていた。どちらかといえば、今では穴が散在しているといった方がいいほどだ。その穴にガラスのように透明な何かがはまっていることは、彼女以外にどれだけが気づいているだろうか。そう、すでに穴は空いておらず、膜――殻そのものだ。
 スタンも呆然とディスプレイを眺めていたが、ふと我に返り、
「あの、これってどこから見た映像なんですか?」
 妙ではないか。ベルクラントはダイクロフトの最下層の中央から突きだしている。真上から見ない限り、"天の雷"の光がダイクロフトの後ろになるなんてことはありえないはずだ。
「それは、千年前の"災厄"以前に打ち上げられていた衛星の生き残りから撮影してる映像なの。昔天上にいた頃に偶然、まだ動いてる衛星を見つけちゃってね、それからこっそりと活用させてもらってるのよ」
『シャルロット!?』
 憮然とした声をクレメンテが上げるが、それ以外はなんのことだかよくわからず、反応らしい反応が返ってこない。それには少し拍子抜けしたように、
「まぁ、ようは宇宙。星の海からの映像よ」
 さすがにこの言葉には一同目を見開くが。
「ま、それはさておき。これでしばらくは発射できないから……」
 少し満足げに、シャルロットはディスプレイにベルクラント内の見取り図を呼び出す。
「内部構造は決して複雑ではないから、ブロックナンバーさえ間違えなければ、コントロールルームまですぐ行ける」
 コンソールに指が軽やかに踊ると、見取り図の道に沿って、一本のラインが引かれていく。それは剣のようなベルクラントの、刀身の根元の中心で止まった。
「そこがコントロールルーム?」
「そう。このコントロールルームから、ベルクラントのメインをハックして。ディムなら、ここからでもベルクラントとダイクロフトの全セキュリティシステムを停止させることもできるでしょう?」
 慌てた声をアトワイトとクレメンテが上げる。
『ハックするって、シャルロット?!』
『どういう事じゃ?!』
『へいへい……』
 ディムロスは前もって知らされていたのか、すでに諦めの境地に達していた。
「ベルクラントからダイクロフトに上がるには、システムをダウンさせなきゃちょっと面倒なことになるのよ。急がば回れ。ということで、はい、これ」
 と、シャルロットはスタンに携帯用の小型コンピューターと、一枚のディスクを渡した。
「スタン君とディムロスはコントロールルームに行って、そこのコンピューターにこのディスクを読ませて。このコンピューターにディムロスを接続すれば、後はコイツが勝手にやるから♪」
『こいつに任せて大丈夫なのですか?』
『おい、イクティノス。それはどういう意味だ……?』
『そのままの意味です!』
「あら。これにはディムが一番適任じゃない。昔取った杵柄、十分通用するわよ」
 人差し指を立てて、嬉々とシャルロットが答えた。
「あの……ところで、あたしたちは?」
「はりきって陽動いきましょう。そうと気づかれても無視できないくらい、派手にね。こっちがハッキングなんていう手に出るとは向こうは絶対に考えてないから。
 セキュリティがダウンすれば、ベルクラントの最上層にあるダイクロフトとの非常用連絡通路が使えるようになるわ。中枢の最下層に直結よ。そこから先は千年前の、覚えてるでしょう?」
 シャルロットが言葉を一度切ったのにあわせるように、ずんとラディスロウ自体が一度だけ大きく揺れた。


「え〜と……」
『ま、あまり深く考えるな』
「とにかく、やればいいのよね」
 見取り図を凝視していたルーティは言って、
「さっさと終わらせちゃおうよ」
 手近にいたスタンとフィリアの腕をとって、司令室を出る。ウッドロウもやれやれと後を追うと、司令室にはシャルロットとチェルシーだけが残された。
 ディスプレイの見取り図から道順のラインの他に四つの光点が表示される。ハッチに重なる形で、四つがひしめきあっていた。
「チェルシーちゃん、この光の白がラインから外れたら、通信機でちゃんと行くように指示してくれない?」
「え……と、ダメですぅ!! わたし、すっごく方向音痴らしいですから、そんなコトしたらよけいに大変なことになっちゃうですぅ!!」
 シャルロットの言葉に、チェルシーは慌てて突きだした腕を精一杯振る。
「あら、そうなの? ん〜、じゃあ、メルクおじさま、お願いしますね」
『かまわないが、おまえはどうするのかね?』
「アウストリの研究所へ戻ります。しなくてはならないことがありますからね。一応回線は開いておきますから、何かあったら連絡ください。いつものチャンネルですから。
 チェルシーちゃんは? どっちにいる?」
 シャルロットの問いに、しばし難しい顔をしていたチェルシーだが、
「ここでウッドロウ様たちの帰りをお待ちしてます」
 ヒエンをしっかりと腕に抱きなおして、そう言った。その様子に、ヒエンを取り返すのは無理そうだとシャルロットは肩をすくめ苦笑する。
「わかったわ。じゃあ、また後でね」
 彼女の姿は司令室の外に消え、ぽつりとチェルシーだけが取り残された。
「平気です、お待ちするんですぅ」
 ぺたりと司令室の片隅に座り込んだチェルシーに、
『そこでは床が冷たいだろうて?』
 リトラーがやわらかに声をかける。そして、司令室の中央の空間にノイズがちらついた。ノイズは次第に人の大きさになり、人間の形へと整っていった。
 現れたのは、中年と老年の境目辺りに見える、一人の男性の姿だ。
「あっれぇ? どなたですかぁ?」
 立ち上がってチェルシーはその男に近づく。
『これは立体映像でな、触ることはできんが、なかなかの出来だろう?』
「……リトラーさんのお声ですね。昔のお姿ですか?」
『ああ。これも、シャルロットが悪ふざけでつくったのだよ』
 リトラーの声音は、まるで娘に対するそれのようだった。


 晶術の応用ということらしい空気の膜にすっぽりと包まれた、ラディスロウのデッキ上にスタンたちは出てきていた。
 ダイクロフトの底部から伸びる土の触手よりも数倍太い、植物の根のようなものがベルクラントとの接続面を覆い隠しているのがここからはとても近くに見えた。そのまま刀身の方へも絡みついているそれは、なかなか不気味に映る。
「なんか、こっちに伸びてきそうな感じ」
 今にも動き出しそうな根を見上げ、ルーティがそんなことを言う。
「にしても、高いな〜……」
 すぐ下はさすがに見れず、少し遠いところを眺めてスタンがつぶやいた。土まじりの雲が風に乗って流れていく。先ほどの映像は、ここよりももっとずっと上の、星の海からのものなのだ。
 空の上の宇宙(そら)からの。
(この星は、外からはどんなふうに見えるんだろ……)
「あ、ハッチってあれじゃない」
 ほんの少しだけ離れているラディスロウとハッチの間はヒギリに頼んで渡ってしまうが、
「閉まっておりますわね…」
「どうしたらいいの?」
 ぴったりと閉ざされたハッチを前に、立ち往生してしまう。
『近くにコンソールがないか?』
「これのことか?」
 ディムロスの肯定に、スタンはハッチの右脇に隠されていたふたをこじ開けた。
『……単純なロックだな。スタン、俺の言うとおりに触れろ』
 小さなディスプレイとずらりと並んだ数字のキーを一巡し、ディムロスがスタンに軽く言い放った。
「ちょ、…ぅえ?!」
『いいからやれ!』
 そのまま押し切られる形で、スタンはディムロスの言ったとおりに次々と触れていくが、
『そっちじゃない! そのもう一つ下!』
「え、あ、あれ……」
『違う! その右下だって言ってるだろうが! …間違えたらやる量が増えるからな』
「まじかよ……」
 ふとくらむ視界に目をこする。
「はいはい、がんばれがんばれ☆」
 無責任な声援を後ろに聞きながら、そんなこんなで、十数のコードを入力するのに一苦労である。空気の抜ける音と共にハッチが開いたときには、喜ぶよりも先に疲れが出た。
「やぁっと開いた〜……」
 全員ハッチの中に飛び込み、ヒギリも定位置――スタンの肩の上に戻る。
「でも、なんで開け方わかったワケ?」
 今更ながら、ルーティが疑問を浮かべると、
『あら、昔っからこうよ。シャルロットも言っていたでしょ、昔取った杵柄って。ディムロスと――言ったことなかったかしら、彼の最初のマスターだったスタンさんと、その弟のリオンさんのことは。子供の頃からこの三人、よく一緒だったらしいのよ。地上軍で一番の名物になってたわけだし。それででしょうね、スタン君とリオン君の名前は』
 アトワイトが話し始めると、イクティノスも乗ってきた。
『その手の話なら昔リリーから聞いたことありますよ。マグナス主任やシャルティエが堕天してきたばかりでまだ監禁されていた頃、三人がそのロックを開けようとしてセキュリティ自体までを解除してしまったというあれでしょう?』
『そんな昔話はどうだっていいだろう!』
『いえ、聞いたままを言ったですから』
 さらにクレメンテが、
『しかも、システムが復活しなくなって大慌ての三人を後目に、シャルロットがわしらのところに連絡を入れてきたしのぅ。あれは大爆笑じゃったぞ』
『さすがにカイザイク元帥は頭抱えてましたが、クレメンテ元帥と総司令は容赦なく笑ってましたね、そういえば。リリーもさぞかし頭が痛かったでしょう』
 そのまま思い出話に花満開になりそうなところへ、
「ストーップ!」
 ルーティから待ったが入る。だが、早く先に進もうと言い出すのかと思いきや、
「リリーとカイザイク元帥って、誰?」
『クレメンテや総司令の同僚――地上軍の創始者のお一人よ。スタンさんとリオンさんの実父で、ディムロスの養父でもあった人なの。リリーさんは、その人の末子。ディムロスからすれば妹みたいな人ね』
「ふ〜ん」
 呼び方で、アトワイトは二人いるスタンとリオンを区別しているようだ。
「あの〜、そろそろ入りませんか?」
 一区切りついたところで、フィリアがおずおずと口を挟む。
 そこでやっと、状況が進展し始めた。


 内部に入ってすぐ、スタンとそれ以外のメンバーに別れ、反対方向の通路に飛び出して。
「……派手にやってるみたいだな」
 時折見かける警備モンスターを一刀で切り捨てると、スタンはふと振り返る。建物全体を揺るがす轟音がそのときまた響いてきた。
『おかげでこっちは手薄だ』
 単調な通路をディムロスの指示通りに駆け抜け、四層上がったとき、目指す部屋の扉が前方に現れた。
「あそこか」
 人が前に立つと開く仕掛けの扉が、両側に分かれて壁の中へ引っ込んでいく。そして、部屋の中には、ラディスロウのそれのように、大きなディスプレイを並ぶコンソールが見える。
「え〜と……?」
 コンソールの隙間に見えた細長いスリットに、ディスクを差し込む。と、ロードが始まり、ディスプレイに光が点った。流れる文字列はひとまず無視し、左手に抱えていた小型コンピューターを床に置く。
「どうすんだ?」
『通信機みたく開いてみろ。接続用のコードがぶら下がっているはずだ』
 言われたとおりにしてみると、ヴェストリと同じような白いコードがべろんと垂れていた。片方はコンピューターとつながっている。
「これをつなげばいいわけだ」
 二度目なのでさすがにさっさとできる。
『ふ…ん……なるほどな』
 忙しく演算処理音が発せられ始める。
 暇になってしまったスタンは、ヒギリの背中を撫でながら、時折霞む視界と不快感を覚え始めていた。
 その頃の陽動側は、はたりと途絶えたモンスターに怪訝さを抱いていた。
「どうなってんのよ、ったく……」
 ぶんとアトワイトを振り下ろし、ルーティが吐き捨てる。
 さっきまでは波状とでも言わんばかりにひっきりなしに現れていたのが、こうもぷっつりと静かになられては、役割からしても困る。
「気づかれたか……?」
「それなら、あたしたちを無視できないようにしましょ」
 鬱積したもののぶつけどころもなくなり、ルーティは大股でどかどか先に進む。と。向こう側から激しく叩かれている扉の近くを通りがかった。
「ぁに、誰かいるの?」
 扉のノブにあたるところに、小型のコンソールが埋め込まれている。ロックらしい。
「どうすればよろしいんでしょう?」
『わしは専門外じゃな』
『そうですね……やるだけはしてみましょうか』
 しぶしぶといった感じで、イクティノスが言った。情報部所属という矜持はある。
『……いけます』
 そして彼の指示通りに、ウッドロウが手際よくコンソールを操作していく。少しして、ピッという短い電子音と共にロックが解除され、扉が開いた。
「イ――、…えっ?!」
 室内側で扉に張り付いていたらしいその女性に、ルーティの顔がさっと強ばる。
「マリアン……だったわね」
 複雑な思いで、ルーティが確かめる。彼女は呆然としたまま頷いた。儚いというより、今はひどく弱々しく見える。
「あ、あの――助けていただいてありがとうございました」
「何でこんなところに?」
「よく…わからないのですが、工場から、そのままここへ」
 思い詰めている面持ちで。
「あの……教えてください。リオン――エミリオは本当に……?」
 死んだのですか?とはとても訊けなかった。
「死んだわ」
 硬い声でそれだけ、言い放った。
「ルーティさん!」
 横でフィリアが声を上げる。
「なによ! じゃあ、フィリアは生きてるって信じろとでも言うの? そんなわけないじゃない。そんなの、あるわけないじゃない。
 あたしたちだって、ヒギリとシャルロットさんがいなかったらあのまま波に飲まれて死んでたのよ。なのに、あいつが生きてるなんて……ないよ」
 そう割り切ってしまえばいい。
 そうすれば、それはいつか一部になるから。
 そうした方が、いつか莫迦な希望をうち砕かれるよりもいい。
 望むことは、自分が許さない。
「可哀想なエミリオ! 私なんかのために……」
 糸が切れて、マリアンが泣き崩れた。
 それを見て、怒りがすっとこみあげる。
「そんな自分を卑しめるのやめてよ! あんたが自分のことどう思おうと勝手かもしれないけど、あいつまで卑しめてることになるのよ!? あいつはあんたのこと慕ってたんだから!」
 びくりとマリアンの肩が跳ね上がる。
「……そうかもしれません。ですが――……いえ。そう、思っていてくれたのかもしれません。
 あの子のことを、私はずっとわかっているつもりでした。けれど実際は、なにもわかってはいなかった……あの子のことを知ってさえもいなかった。上辺しか、ヒューゴ様に聞かされたこと以上は知ろうともしなかった……」
 一番大事な記憶を、共有していなかった。
 一番大事な想いを、知ろうとしなかった。
「私に母親の面影を見たのは、"同じように"きっかけに過ぎなかったでしょうに、私はエミリオを憐れんでいただけ…。あの子の母親に少し似ていることを聞かされ、母親代わりをしようなどと思い上がって。あの子に必要なものは、もっと別のものだったのに……。
 あなた方が羨ましいです。私よりもずっと短いつきあいだったというのに、エミリオにとって――………」
 そこで首をついっと背け、マリアンは言葉を切った。


「なぁ、ディムロス。後どれぐらいだ?」
『さしてかからんだろうな。さすがに天上も、内側は防禦<プロテクト>が甘い』
 余裕綽々といった声でディムロスが返す。と。
「そこまでよ」
 かちりという音と共に、スタンの後ろ頭に固い物が突きつけられた。冷然とした女性の声には、しかしはっきりと聞き覚えがある。
「イレーヌさん……」
「とうとう、ここまで来てしまったのね……。
 できれば撃ちたくないわ。大人しく両手とも挙げて」
『珍しい…というか。短銃なんてあったのか』
「たんじゅう?」
 スタンの反芻に、ソーディアンの声が聞こえないイレーヌは眉をひそめる。が、
「…ソーディアン? ――何をしているの!?」
 コンピューターにつながっている剣に気づき、イレーヌは激しい声を上げる。ひどく狼狽えたように、ディスプレイとディムロス、そしてスタンを見比べた。
『っと。………終わったぞ』
 ディムロスがそう言うなり、ディスクが吐き出され、小型のも含めすべてのディスプレイの電源が落ちた。
「くっ……遅かったみたいね」
 それでだいたいは察し、イレーヌは銃口を突きつけたまま歯がみした。だが、狼狽の色は消える。
「どうして……、どうしてなんですか?」
 振り返れないまま、スタンが口を開く。
「もちろん、私もヒューゴ様に従っているからよ。ヒューゴ様は、今の世界を滅ぼして新しく作り直そうとしていらっしゃるのよ」
「作り直す…?!」
「そうよ。あなただって見てきたでしょう? 腐ったこの世界の現状を。
 ノイシュタットに移ったとき、私はとてもショックだった。あんなの、絶対に許せなかった。
 不信、憎悪、打算、差別。富める者と貧しき者の越えられない壁。
 一番大切なのはそんなものじゃないのに、誰も欲に取りつかれて腐りきってる。こんなのはもうたくさんなのよ!
 これしか方法はないのよ。こうするしか、ないのよ。一度全部まっさらに戻して、一からやりなおさないと、もう、どうにもなりはしないのよ!」
 ――そうよ、そのためには…、そのためには――!!
 イレーヌの言葉は、最後には絶叫にまでなる。そうでもしないと、泣き出しそうだった。
「滅ぼしたりなんかしたらダメだ! そんな世界、よくなるはずなんか絶対にない、理想ですらない!」
 小さく首を振る。
 信じられないから。なんて。
 浮かされたように、芯が熱を持ってくる。
「変えたいなら、みんなで変えていけばいいじゃないか!」
 ばっと振り向くと、目の前に銃口があった。
「誰もがあなたみたいに思ってはいないわ。自分さえよければいいっていう連中なんて掃いて捨てるほどいるのよ」
 ――そんな人間のせいで、苦しめられているのは……!
 頭のずっと奥で、低く嗤ってる。軽い眩暈を覚えた。
「それでも、こんなやり方で変えようとしたって、結局同じコトの繰り返しになるだけじゃないか。変えようって思うなら、一つずつ積み重ねないと、下からしっかり積み上げないと、いつかは全部崩れちまうよ。
 そんなことより、みんなで少しずつでもいい方にしていったらいいじゃないか。イレーヌさん、ずっとそうやってきてたんでしょう!?」
「できるワケないわ!! しょせん、あんな小さなことで変えられやしないのよ!
 ――苦しめられているのは誰なのか、あなたはまだわかっていないのよ……!」
 眉をひそめたイレーヌを、まっすぐ見返して。
「なんで言い切っちゃうんだよ! 諦めちゃうんだよ!!
 苦しいこと、全部消してしまえれば、確かにその時は楽かもしれないけれど」
 それは、なんの解決にもならない。
 それは、なんの答えも生まない。
「現実から逃げてるだけじゃないか、そんなの!!」
 はたと、銃口が下ろされる。肩を落としたイレーヌが眩しそうに彼を見ていた。
「あなたは本当に純粋ね。思った通り。…なにより、強いわ」
 ――待ち続けている人。
 ――絡みつく鎖を断ち切ることは、とても酷なこと。
「私、あなたみたいに強くないのよ。あなたみたいに信じられないのよ。――腐っているのは、私もかしらね………」
 ――けれど、あなたなら、きっとそれをなすでしょう。その優しさ故に。
 垂れ下がっていた右手をゆっくりと持ち上げる。そのまま彼女は自分の側頭部に銃口を定め――
「――ダメだっ!!」
 引き金がまさに引かれる寸前、一瞬だけ何故か室内に突風が吹き荒れた。その風に煽られバランスを崩したイレーヌが撃った弾は、自分にではなく壁に銃創をつくった。反動でイレーヌが手放してしまった銃を、スタンがすべり込むようにして急いで拾い上げる。
 吹き上げられた髪がふわりと肩にかかった。
『やれやれ……』
 ヒギリが床に、芝居がかったような仕草で着地を決めたのを見て、ディムロスが安堵をもらした。
「助けられちゃったのね。……あのまま死なせてほしかったのに」
 息を一つ吐き出して、ただ生きていることだけは認識したイレーヌが自嘲気味に言った。
「そんな哀しいこと、言わないでください。…誰かが死んでしまったら、誰かが辛い思いします。それなのに死なせてくれだなんて、勝手じゃないですか」
 いささかむっとした口調でスタンが返す。と。
「死んで逃げようなんて卑怯、よね…」
 ひどく哀しげな遠い笑みを浮かべる。
「そうね。…見届けましょう…最後まで……」
 ――最期まで――
「え?」
「何でもないわ。ほら、ここのシステムをダウンさせたんでしょう? お友達に連絡しなくていいの?」
 言われて、はたと思い出す。ぴんと通信機を開いて、
「みんな、聞こえるか?」
《聞こえてっわよ。そっちは終わった?》
 すぐに返ってきた答えにスタンが肯定を返したとき。突然大音量で通信機からノイズか発せられた。
「な、…?!」
 沈黙していたディスプレイに再び光が点った。


「ちょっと?!」
 突如のノイズにルーティが恨みがましく通信機を睨め付ける。
「どういうことよ、これ?」
 故障かと、他の者も通信を開いてみるが、結果は同じだった。
『ということは……妨害?』
『あり得ますね。システムを落とせばさすがに気づかれるでしょうし』
「あ……切れ切れですが、何か向こうで言っていますわ」
 と、フィリアがノイズの嵐から何かを拾った。
「"神の眼"……あと、"ベルセリオス"と……」
 眉をひそめながら彼女が拾い上げた二つの言葉に、ソーディアン三人に驚愕が走る。
『ベルセリオス……!!?』
『そんな、あの人は千年前に死んだはずでは……っ』
 すぐさま周囲の晶力の流れに意識を研ぎ澄ます。
『これは……まずい。ディムロスとスタン君のいる方ですよ』


《なかなか、やってくれたようだな》
 光が点ったディスプレイに、幽鬼のようにたたずむヒューゴの姿が映し出された。その背後には見覚えのある巨大なかたまりも映っている。
「神の眼!」
『ダイクロフトか!』
 不意に、ヒューゴが手にしていた何かを持ち上げた。逆手に持っているそれは、巨大な漆黒の偃月刀――
『――な、ベルセリオス……!!?』
「え、ベルセリオス…?」
 困惑に打ち震えたようなディムロスの声に、スタンが怪訝に聞き返す。
『あの時に死んだはずじゃ――?!』
 感知したベルセリオスからの晶力に驚愕したディムロスは、それがどこへ向かっているのかを失念していた。
 コンソールが独りでに弾かれ、プログラムが走り出す。
 ベルクラントを揺るがす振動に気づいたときには、もうすでに遅かった。床よりもずっと下から、轟音が鼓膜を震わせる。
《裁きの剣にたかる虫けらどもが。目障りだ》
 抑揚のない声でそう告げるなり、ディスプレイの光は消えた。
「ディムロス!」
 スタンが思わず声を上げる。
『……ああ。急いでラディスロウに戻ろう』
 衝撃を引きずりながらも、悠長に悩んでいる暇はなかった。


 ノイズの中から最後に聞き取れたのは、ヒューゴの最後のせりふだった。その後、回線自体が開けなくなるほど妨害は強固なものとなってしまっている。
『おそらく、ラディスロウを狙うのじゃろうな』
『どうします? 戻りますか?』
 一瞬の間を空けて、イクティノスが口を開いた。
『あの二人は戻りますね。間違いなく。我々が先に進む、そう考えて』
「どういうことだ?」
『なに、さっきと似たようなものですよ。こっちに引きつければいいではないですか。ラディスロウなら任せて大丈夫でしょう。総司令も主任もいることですし』
 決して彼が楽観で言っているのでないことは、その声音の確かさで理解できた。
《だが、それと貴様らが無事でいられるかというのは、また別問題であろう? 己の身の心配こそ貴様らには差し迫った問題だ》
 向かう通路の先に、半透明なヒューゴの姿が現れた。その手にはベルセリオスが握られているままだ。
『立体映像<ホログラフ>とはまた。自身が出てきたらどうなんです?』
 鋭い口調でイクティノスが言うのとほぼ同時に、
「ヒューゴ……あんたのせいで、あんたのせいでリオンが……!!」
 唇を噛み、ルーティが激しい憎悪を込めて睨め付けた。
《……………………。
 私がわざわざ出向くまでもない。その必要もない》
 彼以外の誰もがその言葉の意味に眉をひそめた。だが、答えが出る前に、頭上からがこっという鈍く大きな音がして、部屋ががくんと傾いだ。
『いけない、切り離されて……!』
 ふわりと身体が浮いて――


 遠く隔てられた、光明。
 明けることのない、暗黒。


 空が、どこまでも黒い。
「くしゅっ」
 低空をゆっくりと滑空していく飛行竜を見上げ、ルーティは甲板に座り込んでいた。
「さすがに、太陽が出ないと寒いわね〜」
 外套の前を掻きあわせ、腰に吊ったアトワイトに声をかけた。
 粉塵は空を覆いつくし、まっ黒な雲の隙間から見え隠れする太陽は血のように赤い、弱々しい光を点していた。それすら、のぞくのは稀だ。
 空は、どこまでも黒い。
『太陽の大切さは、そうそう実感できるモノじゃないわよ』
 星の災厄の再来。
 今は、まだいい。だがこのままではどんどん気温も低下し、じきに、アトワイトが嫌と言うほどよく知っている千年前のような世界へと変貌していくだろう。
「経験者は語る、ってぇの?」
 冬の寒さというよりも、空虚な冷たさだった。
 それは、不安のせいなのかもしれないけれど。
 不意に、ばさっと薄手の毛布を頭から引っかけられた。
「ちょ、あ、もう!」
 毛布と格闘しつつなんとか顔を出すと、案の定ジョニーがへらりとした笑みを浮かべて立っていた。いや、どこか元気はないかもしれない。
「冷てぇ海に一度は落ちたんだから、中で大人しくしてろよな」
「落ちてないわよ。アトワイトがいたから」
 べぇっと舌を出す。
 あの後皆がいたブロックがベルクラントから切り離され、海に落とされてしまったのだ。
「…………スタンたちだけよ。わからないのは」
 クレメンテとイクティノス二本分の結界とアトワイトの晶術で、ルーティ以外にフィリア、ウッドロウは無事に助かった。落下したブロックから出た後、ちょうどモリュウへの帰路についていたフェイトたちと、勅命で調査に来た飛行竜にこうして拾われたのだ。飛行竜は今、もしかしたらということで周囲を偵察している。
『大丈夫。大丈夫よ、向こうにいる面々を考えたら、心配してもらいたいのはこっち』
「そう…なの……?」
『そうなの。だから、せっかく合流したのに風邪ひいてダウン、なんてことにならないよーに!』
「……わかったわよ。あたしがここにいたってどうにもならないし」


 薄い闇の中。
 冷たさは、水ではなく空気。
 感覚が失せた手が、そっとヒギリを受け止める。
 ただ、茫と座り込んでいた。
 と。さも悪戯を思いついた子供のような笑みをたたえて、シャルロットが不意に背後からスタンの首に抱きついた。スタンが床に座り込んだままだったのでできたことだ。
「ぅっわ?!! …シャルロットさん、驚かさないでください!」
「あら、だってスタン君て反応が可愛いじゃない♪」
「可愛いって…あの……」
『逆らわん方が身のためだぞ。でないと、ひどい目に遭うからな』
「あぁら、どーゆー意味かしら?」
『そのままの意味かな』
 左手首に巻かれた白い包帯と薬のにおいに無理には抜け出せず、シャルロットの腕の中でそのやりとりを苦笑しつつスタンは眺めていたが、不意に眩暈を覚える。平衡感覚がふっと消え失せる。
(また……っ)
「大丈夫…?」
 その不安定さに気づき、シャルロットが引き寄せた。
「え……あ、たぶん……。ちょっと調子悪いみたいで」
 肯定はしきれなかった。
 否定はしたくなかった。
「今朝から? そんな様子全然見せてなかったじゃないの」
 すっとシャルロットがスタンの額に触れる。
「熱くない?」
 徐々に霞んでいく中で、なにか言おうとした。
 視界がぐるりと回って、激しく酔ったような不快感と苛立たしくちらつく様々な光が意識に牙をむく。
『スタン!!』
「スタン君!?」
 ぷつりと糸が切れて。
 はらりと奈落に落ちた。


《――みんな、聞こえる?》
 突然声が飛び込んできた。
 通信機を持つ三人がぎょっとして辺りを見回し、それから気づく。
「シャルロットさん?」
 通信機を開くと、空間に光が走って四角いウィンドウが開いた。
《みんな、無事?》
 ウィンドウの中のシャルロットが身を乗り出す。そして、その前に集まってきた全員を見回し、
《そっちの状況説明ちょうだい》
 言われるままにこちら側の状況をざっと説明してしまうと、向こうもため息をついた。そのとき、ふと気づく。
「ねぇ、それどうしたの?!」
 頬に貼られた真っ白な絆創膏に、ルーティが声を上げた。
《ああ、これのこと? たいしたことないわ、ちょっとへましちゃっただけよ。
 あなたたちが地上に落とされた後、ラディスロウも敵に制圧されたのよ。現時点でリトラー総司令とは音信不通。…あ、チェルシーちゃんとマリアンさんは無事よ。私とヒエンでちゃんと守ったから、無傷♪》
《シャルロットさん、チェルシーをかばって怪我しちゃったんですぅ…!》
 ひょいとシャルロットの後ろからチェルシーが泣きそうな声で割り込んできた。腕にしっかりとヒエンを抱いている。
「今、どこにいる?」
 ウッドロウの問いかけに、
《今は、ファンダリア地下のスズリよ。マリアンさんはもうダリルシェイドに送ったわ。
 そうそう、スタンくんとディム、それと…イレーヌさんだったかしら。こっちで保護してるから心配いらないわよ》
 一つ増えている名前に少し驚きながらも、全員がほっと安堵をもらす。シャルロットは笑顔のままで、
《それはともかく。セインガルド城に戻ってきて。今後のことは、それから話し合いましょう》
 言い終えるなり、ぱっと白い光が満ちてウィンドウが消えた。


「さて、と」
 通信を終え、シャルロットが一息つく。
「大丈夫なんですかぁ〜?」
 チェルシーが、真っ白な包帯が手荒に巻かれた左手首を見ている。通信ではばれないようにしていた怪我だ。
「平気平気♪」
 そんな少女に、右手をぱたぱた振って気楽に笑う。
『…それにしても、あなたって変わってませんね』
 音もなく、突如チェルシーのそばに女性が現れた。肩にかかる艶やかな黒髪に、意志の強さがうかがえる瑠璃の瞳。シャルロットが白衣の下に着ているものと同じ、ダークブルーの制服を着ている。
 だが、彼女の持つ存在感とは裏腹に、どうにも質感がなく、全体的に色が薄い。
『なんでも自分でやろうとして。責任感が強い…というだけじゃないですよね。罪悪感ですか? 弟…たちへの。
 とにかく、止血だけではなくて、ちゃんとした治療をしてください。使いものにならなくなったらどうするんです。やることはまだ山積みですよ』
「…リリー、そっちこそあいかわらず手厳しいわね。口が滑ったとはいえ、そのまま全部話すんじゃなかったわ…。それに」
 するすると包帯をとり、傷に触れるか否かのところで、無事な右手で包む。味気ない照明の中で、あたたかさのある光があふれた。
「私は、あなたたちほどには精通してないのよ。一回では治せないの」
 傷が綺麗さっぱり消えていた。
「あれ、どうやったんですかぁ?」
「ん〜……、魔法かしらね〜♪」
 チェルシーの言葉に、シャルロットが冗談のような声音で答えた。
『ソーディアンを通してマスターたちが使う力と、まったく同種のものですよ。私たちは"普通"じゃありませんでしたからね……』
 きょとんと小首を傾げたチェルシーに、リリーは微笑んだ。
『私があなたと触れあうことができない、それは"普通"ではないかもしれないけれど、ここにいる私は立体映像<ホログラフ>でしかないのだから、それは"普通"なんです。当然なんです。
 同じように、さっきの力も私たちにとっては"普通"で、そこにわざわざ説明を必要とはしていないんです。だから……説明しにくいですね』


 静かな闇に、金色が微かな光を弾いていた。
「ごめんね……天空<そら>であなたを待ってる人がいるの……でも」
 うつむいたまま、瞳を深く翳らせる。
 セインガルド城の一室を後にして。
「こちらへ」
 硬い面持ちのミライナが、有無を言わせぬ一声を発する。
 もとよりそのつもり。一度瞼を閉じて、そしてゆっくりと開く。
 そのとき、入れ違いに入っていく人影二つが、視界の端をかすめた。
(確か……)
 片方は、こちらも七将軍の一人であるロベルト・リーンだ。もう一人は、イレーヌの覚えにない黒髪の女性だった。


「陛下。連れて参りました」
 城内の外れにある尖塔のふもとにイレーヌは連れてこられた。
「お待ちしておりましたわ」
 底の知れない微笑。先日即位したばかりの新王が優雅に微笑んで、簡素な椅子に腰かけている。そのずっと後ろに上への階段があったが、目にはとまらなかった。
 ミライナはすぐに部屋を辞していった。
「すべて教えていただきたいのです。伯父のしたこと」
 言われるまでもない。
「私にわかる範囲でしたら、すべてお答えいたします」
 彼女の微笑に呑まれないように、きっぱりと答えた。
「古代技術の人体実験、やっておりましたわよね……?」


 空の上の天国<そら>へ。
 真に裁かれるべきに審判は下される。


『これだと、飛行竜でもたどりつけますね』
 ディスプレイに表示されたデータをのぞき"視"て、リリーがつぶやいた。
「そうはうまくいかないのよ。外殻を破壊する手が見つかってないんだから」
 広がった外殻は最初の三倍以上の広さになっている。外周都市から回り込んでなどいられない。狙い撃ちになってしまう。外殻に穴を開けてそこを通るしかないのだが、地上軍が使用していた兵器では、大気で減衰してしまって、穴を開けることなどできそうもない。
『……言外に、なにか手はないかと言われてる気がするんですが』
 ふと、このデータがアウストリで計測されたものと気づいたリリーが、ため息まじりにそう言った。
「あるの?」
 こういうとき、彼女は決して否定しない。
『どうでしょう、ただ、――…!!?』
 はっとリリーが顔を上げた。刹那。
《キ…エルカ……》
 耳が微かなノイズを捉えた。
「おじさま!?」
『おじさま!』
 シャルロットとリリーの声が異口同音に上がる。
《やっとつながったか》
 ノイズはすぐに消え、代わりにリトラーの声が鮮明に入ってきた。受信と同時に中空に開いたディスプレイのようなウィンドウは、それでもあいかわらずノイズだけを映している。
《すでにわかっていようが、ラディスロウは都市に取り込まれてしまった。なんとかメインが生きていたからこうして通信を送れたがな。そちらの状況はどうだね?》
 シャルロットが手早く説明する。すると、たいした間もなく答えをもたらした。
《それならば、あの試験機を利用すればよいだろう。そのままでは使い物にならん代物だが、シャルロットならば使えるものにできるはずだ》
「試験機…ですか?」
 初耳らしく首を傾げるシャルロットに、リリーが口を挟んだ。
『ベルクラントの試験機ですよ。スズリにある』
「そんなものまで持ちだしていたんですか」
 小さく肩をすくめ、わかりましたとシャルロットが答えた。
《ソーディアンに関してはシャルロットの方が専門だからな、すべて任せよう。とはいえ、もうすでに事を初めておろう?》
「少々不安が残りますが、なんとかしてみせますよ」
 絶対的な不敵の笑み。
 そう。天空<そら>ですべてを終わらせなければ、なにも始まりはしないのだ。
 そして、その一瞬のためだけに、千年の時を待ち続けた。


 ガラス越しに見える部屋のテラス、そして黒い空。
 小さなテーブルに頬杖をつき、ぼんやりとそれらを眺める。
 本当は、自分が語らなくてはならないことだ。
 けれど、何も知らないまま暮らしていけたら。
 それは義姉の願いであり、過ぎた時を知る者すべて――アステルもそう思っていた。
 それは確かにずるいかもしれない。真実を隠したままというのは。
 けれど、なにもかも奪いつくされる恐怖に、あえて選んだのだ。この道を。
 真実は、ときに残酷に心を打ち据える。
 沈黙したことに、私たちは後悔しているだろうか?
 いや。
 それはきっと、ずっと運命という悲劇の中心に居続けた彼らの方だろう。
 そしてなにより、あの子たちをも巻き込んでしまったことを――


「ディムロス」
 逆光の中に立ち、恐ろしく虚ろな声が出た。
 面と向かってこの名を呼ぶのは、二十年ぶりになるだろうか。
『あの後あったことは、言う約束の中だったな』
 部屋の扉が閉められる。
 深い眠りに雑音を交えないように。
「倒れたのも熱も、疲れからなんだそうだ。それか」
 薄い沈黙は、あっさりとルートが破った。
『たぶん、今朝からだったんだろう。気づけなかった…。すまない。
 ……昨日の夜に、やっと取り戻せたんだ』
 今はただ、深い傷跡が癒えゆくために。


 空の上の天上<そら>で。
 きっとまた、深く傷つくから。


 遠く隔てられた、光明。
 明けることなき、常闇。


 そしてまた、天に"陽"が昇る。












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