古の時代、堕ちた天使は神の剣を地上へともたらした。
神の剣は巫<かんなぎ>の御魂を砕き、飛輪を黄昏に沈めた。
故に、神はその眼<まなこ>を閉ざした。
十六章 神の剣を持つ者
「これが、運命なのだから」
彼女は微笑んでいた。
最期も微笑んでいた。
「本当は……世界のことなんかどうでもよかったんだ。どうでも!
ただ、みんな一緒にいたかったんだ……。なのに、どうして母さんが死ななければならなかったんだ……どうして、殺さなければならなかったんだ……!」
深く静かな慟哭は、"ソール"を前にくずおれた黒髪の彼。
『スタン……』
初めて見た、大きな哀しみと苦しみを抱く瑠璃からの雫。
剣の中の彼はなにも言葉を持っていなかった。どうすることもできない。
ずっと、ずっと見ていた夢。
忌まわしき天地戦争が終わる、ほんの少し前のこと――
「――ディムロス…?」
記憶の中の親友と、目の前の相棒の、深い瑠璃が重なって。
(………夢、か……)
昔のこと。
遠い記憶。
『寝てなくていいのか?』
閉ざされた空は時の流れを喪失していたが、時計は朝を指していた。倒れて、その翌朝。
「ん、ああ、少しぐらい起きてたって平気だよ」
ヒギリを抱き上げ、ふと声をかけた目的を思い出す。
「……夢でうなされてたのか?」
『うなされ……? てたか?』
問い返され、スタンが微かに眉根を寄せる。
「なんか……いつもみたいにしゃべってるような声じゃなくて、もっとあやふやで、すっげぇ苦しい感じで。なんてったらいいのかよくわかんねぇんだけど」
すぐには意味がわからなかったが、ようやく思い出す。
『そうか。ちょっとな。昔のことを思い出したんだ。千年も前になる。実感はないがな。…ダイクロフトに突入したときのことだ』
"運命"なんて言葉を嫌いになった、あの瞬間。
今からは遙か彼方に過ぎた時、千年前。
星の災厄のために訪れた、永い永い冬。
天と地の狭間にて行われた、天地戦争。
二十余年の後、それらは終結を迎えた。
平和の中で、旧き者たちは神殿に集う。
監視者の神殿の名は、ストレイライズ。
青い空の下で、二つの王国が興される。
新たなる国の名は、セインガルド王国。
新たなる国の名は、ファンダリア王国。
今からは、遙か彼方に過ぎ去った時間。
「熱は下がった?」
トレイ片手に、アステルが部屋の扉を開けた。トレイはベッド横のテーブルに置き、スタンの額に手をあてる。
「ん……今日一日はここで大人しくしてることね。明日には大丈夫でしょ」
言い置くと、アステルは水差しの水を取りかえ始める。
「そうそう。ルーティちゃんたち、少し遅れるそうよ。寄りたいトコがあるとかって。
それにしても寒くなったわね。次は風邪になんてならないでよ」
叔母につられるように、スタンも閉め切られた窓の外に目を移す。
「……千年前も、こんなだったのか?」
『そうだな…。あまり外に出なかったらよく覚えてないが、状況としては似たようなものだろ。あのときは二十年以上真っ暗だったから、もっともっと寒かったがな』
「ふぅん……」
風が吹きつけ、ガラス窓が音を立てている。
「そうだ。これ、どうするの?」
アステルが懐中時計をスタンの目の前にぶら下げた。
「え、どうするって……」
「動かなくなってる」
言われて、気づく。スタンはばっと銀色のそれをひったくった。そして、うかがうようにアステルを見上げた表情はまるっきり幼い子供のそれだった。
「真ん中の子が、エミリオ君でしょう?」
「そうだよ」
「どんな子?」
問われて、スタンの視線が上にさまよう。
「う〜ん……結構生意気で怒りっぽいトコがあって、似てるからかな、ルーティとよく口喧嘩してた」
『そのたびにスタンが止めに入るハメになったな』
「そうそう。なんか、下に二人いたらあんなもんなんだろうなって、前にそれ言ったらリオン怒ったけどさ。それに……俺たちの前では普通に笑ったりはしなくって、ん〜と、なんか昔いろいろあったみたいで、そのせいかな、いっつも淋しそうにしてたような気がする」
「あんたに兄さん見てたんじゃない?」
『それはないだろう。シャルティもそう言っていたし』
アステルの言葉はすぐさまディムロスが否定した。
似ているのはきっかけに過ぎず、その後は本人次第。
「――そう、シャルティエが言ったの……」
……会いたかったな……
エミリオにも、シャルティエにも。
「きっと生きてるよ」
即答。
「言い切るじゃない。兄さんのことで? "弟"みたいなものだものね」
「――…それもあるかもしれないけど、それ以前にあいつは仲間だから」
どこまでも透明な笑みを浮かべた。
信じることは難しい。
だからこそ力になる。
誰かがそう笑ってた。
遠く隔てられた、光明。
明けることなき、常闇。
吹きすさぶ風は、日に日に冷たくなっていた。
シャルロットがディスプレイをにらみつけている。
コンピューターのキーをいくつか叩き、すぐに手が止まってしまう。
「これは……厄介な代物ねぇ」
爪がコツコツといらだたしげに音を打つ。
「しょせん神の眼用か。コモンレンズで使用するとしたら――減衰率と外殻破壊に最低限必要と思われる威力………ダリルシェイドからでギリギリか」
はぁ、とため息がもれる。
そして天を見上げ、少し淋しげな笑みと共につぶやいた。
「もう。試験機とはいえ、もう少しましな物を造ってよね、お父様」
簡単な投影機に手をかざすと、記憶している一つの写真が薄暗い部屋に浮かび上がる。
真ん中にいるのは、四歳の頃のシャルロット。
その両側に、四人の姿があった。
金の髪を長く流した父が、二歳になった母と同じ髪の弟の一人を抱き上げている。
紅の髪を緩く束ねた母が、二歳になった父と同じ髪の弟の一人を抱き上げている。
運命に引き裂かれ――壊された、それは一つの家族。
ダリルシェイドに戻る飛行竜の中。
「ところでさ……いつの間に飛行竜、戻ってたの?」
持て余した時間に、同行していたアッシュをルーティは捕まえていた。
「ああ、前王を失脚させたときに吐いたんですよ。隠し場所」
のほほんと、アッシュが返した。
「あの時は止めるの、本当に大変だったんですよ。さすがに、あのまま殺させるわけにはいきませんからね」
「殺…させる……? って、誰が誰を?」
アッシュが周りをさっと見回し、かなり声を潜めて言ってきた。
「――…リラが、前王を、です」
ルーティもがくりと頬杖が崩れ、フィリアもどう返していいものか言葉に困る。
「……あの……」
「まぁ、気持ちはわかりますよ。七年前の兄の暗殺にも一枚噛んでいたことを聞いたときには、私だって殺意覚えましたから」
「……いや…、そんな朗らかに言わないでほしいんだけど」
いい加減、机に突っ伏してしまう。
「その程度のことなど覚えていないと、言ったんですよ」
ふっと表情が消え、低い声が響いた。
「アルメリアさんのことを問いただしたときに」
「――え――」
言っていない。彼女の名前は言っていない!
「姓が同じだったことにリラが気づいたんです。あの人は、…まぁああいう人でしたからね。ダリルシェイドで、アルメリアさんと知り合ったんだそうです。二人で毎日のように街を散策していましたよ。
それが半年ほど前、ダリルシェイド周辺で行方不明者が頻発していた頃、彼女も失踪したんです」
「私は……必死で捜しました。アッシュやルートにも手伝ってもらって。けれど、結局。
…やはり、彼女はもう――いなかったのですね」
墓石に刻まれたその名は、アルメリア・バーンハルト。知っている。グレバムの娘。亡霊に囚われた悲劇の女性。ヒューゴと前王が結託し行っていた、古代技術――サイフリスによる人体実験の犠牲者の一人だ。
スタンはそっと、雪のように真っ白な花束を供える。
並んだ、半年の時差のある二つの墓石に。
「……なんか、やりきれないよな……」
グレバムにとってたった一人の家族を奪われた哀しみ。
すべて、白い雪に眠っている。
グレバムが神の眼を奪わなければ、フィリアも辛い思いをしなくてすんだだろう。
アルメリアがあんなことにならなければ、グレバムは復讐に狂い、神の眼を奪うこともなかっただろう。
だが、そのことよりも。
ただ、現前の"死"を悼む。
「優しいのですね」
「え?」
「あなたにとっては、グレバムは遠い他人。だけでなく、瀕死の重傷までも負わされたのでしょう? アルムのことにしてもそう。あなたには面識がない」
ひやりと風が流れた。
「……俺って単純ですから」
力なく、スタンは笑った。
「いいえ、誰かのために哀しむことができる。あなたはそれでいいのです。
どんな人でもいつかは死にます。永遠に等しき永さはあっても、それは"永遠"そのものではない。
多くの人を見送ってなお"死"というものに麻痺しないでいられるのは、あなたらしさだと思いますわ」
穏やかに。母親のように、姉のように。
「私たちは、まだまだこれから長い時間があります。私たちよりも先に生きてきた方たちを見送るのは、後に生きる私たちの役目ですから」
夜空よりも深い紺の中に、微かな既視感を覚えた。
彼方へ続く、時の流れ。
遙か遠くに、鐘が鳴る。
気配に、はたと目が覚めた。
『――なんだ、シャルか』
「あら…、起きた?」
シャルロットは乾いた笑いで、一歩手前に手を止める。
『…? 何か用か?』
「あ〜、ん。ちょっと、ね☆」
ぽんと手を合わせ、
『はぁ?』
「いいから。少しつきあいなさいって♪」
イタズラを企む子供のような笑顔をディムロスに向けた。
「あら、スタンくん。もう身体は大丈夫なの?」
抱えた本の山――どうやら技術書のようだ――の向こうから、イレーヌが声をかけてきた。
「あ、はい。もう大丈夫です」
ずんと積まれた本を見て、スタンが持ちましょうかと言うと、
「いいわよ。すぐ近くだし」
「いえ。俺も暇ですから」
イレーヌが直接持っている二、三冊を残し、さっと取り上げる。
「みんな、まだ戻ってないの?」
「なんか回り道していくってさっき聞きました。
よっと……あ、ところで、ディムロス知りません?」
本を持ち直して、歩き始める。
「いえ、私は知らないけれど……あ、そうそう。さっきシャルロットさんが来ていたわよ。スタン君、出かけてていなかったでしょう」
リラに誘われるまま墓参に出たときのことだろう。
「あ、その会議室にお願い」
本を目で指し、イレーヌは会議室の大きな扉を開ける。盛大に書類や大判の紙が散乱している机が避けられた会議室の中央に、巨大な装置が居座っていた。平たい円柱の機械だ。上の面に、起こしたふたのように大きな長方形の板が二つ、斜め上を向いて据え付けられていた。
それにしても、円柱が大きい。いったいどういう物かはわからないが、円周は大人二人が腕を回したぐらいはあるだろう。それでいて、高さはスタンの膝より少し上辺りまでだ。
「なんなんですか……?」
「ちょっとね、シャルロットさんのお手伝い」
スタンの問いを、書類の説明を求めたものと思ったらしい。こちらに背を向けているイレーヌがそんな答えを返した。
「…なにかやってるんですか?」
「これでもオベロン社にいたし、普通の人よりもレンズに関する知識はあるつもりよ。それで、ちょっと、ね」
それ以上は、今は秘密とばかりに、人差し指を唇に添える。
「えっと、ここに置いて」
机の一角から紙をどかし、イレーヌが場所をつくった。言われるままに置いてから、例の装置に近寄ってみる。円柱の手前に、小さなコンソールが埋め込まれているのを見つけた。刹那。
「――っ!!?」
ずずんっという重い地響きが一度、ずっと下から来た。
同時に、どさっという、重いが軽い音――
「ぅえっ!?」
「っと」
不意の振動にタラップを踏み外し、危うく下に落ちそうになったルーティを間一髪、アッシュが受け止める。
「大丈夫ですか?」
「うん……今の、なに?」
何とはなしに、石畳が敷き詰められた地面に目を落とす。
「地震…とは違うようだな」
怪訝な面持ちを浮かべたウッドロウに、
「いえ、この十数年、稀にあるんですよ。こういうことが。確かに、今回ほど大きい揺れは私も初めてなんですが」
アッシュの話では、震源地はだいたいいつも同じ位置に深さで、ちょうどダリルシェイド外れにある墓地の真下らしい。
『これは…まさか……』
『でも、この下ってノルズリよ……』
『ありえないことではないのぅ……』
深刻な口調――といってもいつものように世界がどうのというものとは大きく違う、どちらかというとまずいことをしたときのような。ソーディアンたちはこっそりとささやきかわす。
「……なぁにを知ってるのかなぁ?」
そのやりとりを聞きつけたルーティがニマリと、アトワイトを見下ろした。
『あ、はは……』
彼女からえらくひきつった笑いがもれる。と。
「あ、ウッドロウ様〜☆ 今お戻りになられたんですかぁ?」
ソーディアンたちにとっては助け船ともいうべきタイミングで、チェルシーが割り込んできた。
「チェルシーか。皆の邪魔にはなっていないか?」
「大丈夫ですよぉ。そんな子供扱いしないでくださいって」
ウッドロウの言葉に、可愛らしく頬を膨らませる。その仕草がなにより子供なのだが。
「今だって、シャルロットさんのお使いなんですよぉ。
えっと、ソーディアンの皆様にだけ、ちょっと来てほしいんだそうです。チェルシーはそのお迎えに来ました♪」
『私たちだけ、なの?』
「はい♪」
「あたしたちは?」
「まだいいそうです。とゆーか、まだ来ないでほしいんだそうですよ」
言われたとおり、きっちりと答える。
『なにを企んでおるんじゃ?』
『まあ、あの人のことですから』
仕方なく、ソーディアン三本をチェルシーに預ける。
「あ、スタンは?」
くるりと踵を返したチェルシーに、ふとルーティが訊ねる。
「え〜……わたしは知りませんですが、もうお城に戻ってると思います。会議室に行ってみたらどうですか? 誰かいらっしゃるですよ」
"戻ってる"という部分に引っかかりを感じながらも、ルーティは走り去っていくチェルシーを見送った。
「あ〜あ、聞きそびれちゃったな」
伸びをして、そのまま頭の後ろで軽く腕を組んだ。
「………いや、これはまた凄いことになってますね」
会議室の扉を開けたまま、アッシュがまるっきり他人事の口調で言った。
「てめっ、んな他人事みたいに言うな。手伝え」
床にぶちまけられた紙を拾い上げながら、ルートが不機嫌な声音で言い返す。
「なに、さっきの地震?」
ルーティはアッシュの後ろからひょいと顔をのぞかせ、やはりルートと同じ作業をしているスタンに声をかけた。
「ああ、戻ってきたんだ。そうだよ。全部落ちた」
乱雑に集められた書類の束を奥の机で分類しているイレーヌとミライナが目に入る。てんやわんやの大慌て。
「ところで、それ何の紙?」
部屋に入り、手近な一枚を拾い上げスタンに渡す。スタンはそれをぱっと受け取って、
「ん〜……なんかの計算式とかだ。設計図かな」
手に持っている束などにも目を走らせ、首を傾げる。びっしりと書き込まれている印字と付け加えの手書きは、スタンたちとはまるで分野が違う。
「シャルロットさんがなにかやるんだってさ」
「あ、そーいえばシャルロットさん、アトワイトたちとなにやる気だろ」
「……え?」
眉をひそめ、聞き返す。
「だから。ディムロスも連れてかれたでしょ? さっき、飛行竜の発着所のトコでチェルシーがね、なんか呼んでるからってアトワイトたち連れてっちゃった」
「あ、そーか。外に出てたときに……」
シャルロットがこちらに来ていたとイレーヌが言っていた。そのときに連れていったんだろう。スタンの使っている部屋は彼女も知っている。
「なに、外に出てるときに勝手に連れてかれちゃったワケ?」
「いいんだよ、別に」
「へ〜ぇ。あ、ねぇ、あれなに?」
なにがおかしいのか笑いながら、ルーティは紙を器用に避けて部屋の奥へ入る。しかし、円柱のそばまで来たとき、ついに紙を踏んでしまい足を滑らせる。そのままバランスを崩したルーティが――だんと手をついた。それも、よりにもよってコンソールの上に。
「あ……」
装置が動き出し、ふたのような二枚の板の、斜め上を向いている内側が人工の光を生み出す。円柱中央の上空に、小さな光球が現れる。光は徐々に大きくなり――
『あら……まあ……』
室内の惨状を見回し、思わず口元に手が行っている。冴えた瑠璃の瞳を瞬かせ、その後、女性は装置の真ん前で呆然と自分を見上げているルーティに気づき、次いでスタンの姿も見つけた。
『あなたたちとは初めてお目にかかりますね。私はリリー・カイザイク。地下都市スズリの管理を受け持つ者です』
「え…? ええと、…………あっ、ディムロスの――!」
聞き覚えのある名に必死で記憶の糸を手繰っていたスタンが、書類を飛び越え装置の前に来た。
『あなたが……スタンさん?』
円柱の上に浮かぶ質感もなく後ろも透けて見える彼女が、少し下のスタンの瑠璃をまっすぐ見つめ返した。しばしの間があって、
『……義兄様から私のこと、聞いていたんですか?』
「え…少しだけなら、前に」
と、スタンの服の袖がくいっと引っ張られる。
「ねぇちょっと……あのディムロスが"兄様"ってのは……?」
無意味にひどく真剣な面持ちでルーティが訊ねてきた。そんな彼女を見てリリーが小さく笑みをこぼし、
『昔話は、いずれ時間のあるときにでもしましょうか。
今から一時間後、マスターの皆さん揃ってスズリに来てください』
「何かするんですか?」
問い返したスタンに、
『それは、来てからのお楽しみということだそうで』
笑顔で言うと、光の花弁を散らしてリリーの姿はかき消えた。
時計が一周し、四人揃ってノルズリのゲートルームに降りると、ちょうどチェルシーが転移してきたところにかち合った。
「あ、ちょーどよかったです♪」
四人の姿を認め、チェルシーが嬉しそうな声を上げる。
「スズリの色をお教えするの忘れたとかで、チェルシーがお迎えに来たんです」
そして、青に触れてゲートを切り替えた。どうやらチェルシーはすっかり使いこなしているらしい。
スズリに出ると、リリーのホログラフが舞い降りてきた。
『すみません。少し急いでいたもので』
リリーを初めて見るフィリアとウッドロウが目を見開く。スタンとルーティに話は聞かされていたが、映像とはいえなめらかな動きで、違和感はまるでない。
『驚くのはまだ早いですよ』
促されるまま、スタンたちはゲートルームを出て、広い廊下に出た。と、すぐにそれが視界に飛び込む。
「すっげぇ……」
「ぅっわ〜……」
厚いガラスに手をつき、穴の下を見下ろす。底は暗くて見えない。
ノルズリともアウストリとも、ヴェストリやラディスロウとも違う。他の、建物がそのまま埋まったといったようではない。スズリは、吹き抜けの大きな縦穴のまわりに部屋が並んだような形なのだ。
「古代の技術力というのはとてつもないのだな……」
『四大都市はどれも、"災厄"以前のある施設を流用しただけなんです。どこもその本来の使用目的上、造りが非常に堅固なので、"災厄"の後もこうして残っていたんです。ダイクロフトの中枢も元はこういった地下都市の一つだったんだそうですよ』
答えたリリーの言葉に、ルーティが顔を上げた。
「ダイクロフトもなの?」
『ええ。天上都市群全体の中枢として機能できるだけの、優秀なコンピューターが必要でしたから……』
言ったリリーの瑠璃が、深く哀しみに翳る。
『ダイクロフトの中枢となった都市は、"ソール"と呼ばれていた最高峰のコンピューターを有していたんです』
そしてリリーとチェルシーに案内されるまま、大きな研究室に入る。
『このスズリのホストコンピューター"ノルン"はその"ソール"の兄弟機の一つで、"災厄"以前の高度な技術でつくられているんです。だから、ソーディアンの開発はここで行われました』
全員が室内に入ると白い照明が点いた。
大人の背ほどもある太い直方体が三本ずつ、左右の壁の前に並んでいた。奥にはいくつものディスプレイにコンソールも据えられている。
だが、それよりもなによりも――
『お、ようやっと来たか』
中にソーディアンが一本ずつ収まっている直方体――ケースの一番奥。その上に、紅い髪を後ろで束ねた男が腰かけていた。見覚えがある。アウストリで見た、ソーディアンたちのパーソナルデータで……
「な、ディムロス!!?」
それを指さし、スタンが絶叫する。
ディムロスは苦笑を浮かべ、ふわりと音もなく床に舞い降りた。自分自身を手のひらで指し、
『これはホログラフだ。そこのリリーと同じ、単なる映像』
『そういうことですね』
二つ手前のケース前に、すらりとした長身の男が降りる。さらに、その二つの向かいのケース前に、長い髪を緩めの三つ編みにした女性、好々爺然とした老人も現れた。
「イクティノス…だな?」
「アトワイトに……」
「クレメンテなのですか……?」
それぞれのマスターの確認に、三人一様に深く頷く。
「どう? 驚いた?」
後ろから、唐突に声がかかった。シャルロットだ。
「あのケースの中にいる間は外と会話ができないのよ。だから、ちょっと昔につくったデータを使ったの」
「は、はぁ……」
あまりのことに、そんな答えしか返せない。
ぼうと立っている、スタンとルーティの肩をぽんと叩いて奥へ入るよう促す。
ディムロスのケース前にスタンとシャルロットが、その向かいのアトワイトのケースにルーティが行く。フィリアとウッドロウはそれぞれのソーディアンと共に、その間辺りに入る。最後に、リリーがイクティノスの隣に降り立った。
「ところで、そんなケースん中でなにやるの?」
ルーティが隣を心持ち見上げる。昔の姿そのままに、シャルロットと同じく制服の上に白衣をまとった彼女は、ルーティよりも頭半分ほど背が高い。
『改良…ってトコかしら。コアクリスタルのね』
『今はな、それの準備中なんだ』
ディムロスがくいっと顎を奥のディスプレイに向けてしゃくる。
中央の一番巨大なディスプレイに、高速でなにやら膨大な文字列が延々と流れていっている。一列の長さが違う文字列は、流れる中で、でこぼこと残像の尾を引いていた。
『じきに終わりますよ』
「ところで、イレーヌさんたちってなにやってるんですか?」
「外殻破壊の準備♪」
スタンの問いに、とても簡潔にシャルロットが答える。
『ダイクロフトに直接乗り込まなくてはなりませんからね。まず外殻の上に出ないことには、どうにもなりません』
すかさず入った補足に、
「なる」
「どうやって外殻を破壊するのですか?」
フィリアの問いには、
「それはこっちで準備を進めているわ」
『ベルクラントの試作機を改良して使うんです。場所は、セインガルド城の中庭をお借りすることになっています。すでに女王陛下の許可は取り付けていますし、製作にも全面的に協力していただいています。上の会議室でいろいろとやっていましたでしょう?』
さすが、手回しが早いものである。
「あ、そうそう。上の誰かにこれ渡しておいて。劣化クリスタルの保管場所の地図って言えばわかるから」
「"劣化クリスタル"?」
シャルロットが出した聞き慣れない名前に、説明を求める。
『コアクリスタルの…まあ、失敗作です』
『それでも、普通のレンズ――コモンレンズなんかより遥かに大きな力を収束できるんだけれどね』
「ノルズリの地下にあるんだけれど、たま〜に力の暴発を起こすから、普通の人には頼めなくってね♪ けれど、レンズが予想以上に天上<うえ>に持ち逃げされているようで、どうしてもそれが必要なのよ。スタン君とディム、同行してね☆」
「え、なんで俺なんですか?」
「たぶん…一番適任なはずだから」
ソーディアンの能力を使えば爆発を防げ、もし爆発しても結界で防ぎきれる威力ということらしい。だがしかし。
「ちょっと。ってことは…あの変な地震ってそれが原因?」
ルーティの言葉に、まずはすっとアトワイトの視線が外れ、次いで千年前の者六人ともが明後日を向く。
『あ〜、建国のときに各地に張った退魔結界の要にもかなり使ったし、シオンもロスマリヌスにだいぶ使ってたが、まだ結構山積みになってたしな〜』
『あれって全部ノルズリに持ち込まれたのよね、そういえば』
まるっきり他人事のようにディムロスとアトワイト。だが、他も全員、微妙にひきつっている。
『あ。待機状態に移行します』
スズリのホストコンピューター"ノルン"から送られたサインに、リリーが慌てて逃げ込む。文字列が流れていたディスプレイに、大きく時間が表示された。
『やっとか』
『多少の苦痛はあるでしょうが、それぐらいは我慢してください』
リリーが何か言う前に、イクティノスがいたって軽い声音で言う。
そして、ディスプレイでカウントダウンが開始された。
「えっと、これが劣化クリスタルね」
シャルロットの言葉にあわせて、スタンたちの前に拳大のレンズが投影される。全員揃って――ホログラフのソーディアンたちもだ――それをのぞき込む。まさしく立体で、こんなものでも映像とは思えない出来映えだった。
「コアクリスタルほどでないにしろ、晶力の収束はなかなかのもので、これが地上の人間の意志に反応して力を放出してしまうの。オベロン社とやらができてレンズ製品が出回ったのにあわせて爆発が多くなったのも、そういう特質があるからね。
で、爆発の予防方法なんだけれど――」
『うっ……!?』
突然、ソーディアンの四人が頭を抱えて――人間の頃の行為が無意識に再現されるらしい――膝を折る。苦しげに歪む表情から、受けている苦痛はかなりのものと知れた。
「ディムロス!」
「アトワイト?!」
ホログラフにもノイズがまじり、輪郭がちらつく。だんだんとそれはひどくなり、ついには光が弾けて消えてしまった。
スタンたちは呆然と、さきほどまで彼らがいた空間を見つめていたが、はたと我に返ると勢いよく振り返った。
「なにがあったのよ!!?」
一番大きな声が上がったのはルーティだ。他は、なにか言いそうで言えなくて、もどかしそうに混乱状態である。
「後…三分」
ディスプレイに表示されているカウントを、シャルロットが事務的な声音で読み上げた。
『大丈夫、信じて。あなたたちのパートナーを』
穏やかに言ったリリーにも、一抹の不安がよぎっていた。
コアクリスタルの活性化においても、最悪の事態というものがある。すでに精神の出現位置として設定されているコアクリスタルに、再び手を加えるのである。故に、精神にかかる負荷は計り知れず、その力のかかる向きに少しでも異状があれば、精神とコアクリスタルとの接続が断ち切られる可能性も、わずかとはいえ、あった。
このプログラムを組むときには細心の注意を払った。
千年の牢獄。
望むは消滅ではなく――破壊からの再生。
ディスプレイに並ぶ数字がすべてゼロを刻む。
プログラムの終了を知らせるサインと共に、空間に光のちらつきが走った。と。
『イクティノスっ!! どこが、"多少の苦痛"だ、おい!! こんなにだとは聞いてないぞ!!』
一気にグラフィックを再構成すると、ディムロスが大声を上げてイクティノスに詰め寄る。
『そうじゃそうじゃ。死ぬかと思うたぞ、わしゃ』
イクティノスはひょいとディムロスをかわし、
『聞いてるわけありませんよ、言ってませんから。
それに、コアクリスタルを破損しない限り、私たちが死ぬことはありませんし』
このときはさらりとすまして返すが、
『やっぱり知ってて黙ってたんだな……!』
『嘘はついてませんよ』
その次はディムロスを見下ろして、硬い声で言い返した。長身のイクティノスからすれば、スタン同様平均的な身長のディムロスは目線より下になる。
『性格悪いな』
それを受けて、すっと熱が引いたように淡々と、だがはっきりきっぱりとディムロスがさらに言い返した
『無断の単独行動常習犯のあなたには及びませんよ』
『なんのことだ』
『では所在不明の常習犯と言い換えた方がいいですか? 緊急時に連絡のつかないことがどれほどあったことか』
『ちんたらやってるおまえらと違って、俺らは現場急行だからな』
『だからそれが傍迷惑だと――っ』
さらに突っかかろうとしたイクティノスに、
「まだやるの?」
心底呆れ返ったように、シャルロットが口を挟んだ。
機械の心臓。
縛られた血。
虚ろな瑠璃は、その"陽"を見上げる。
陽光の輝きを持つ糸が緩やかに波打つ。
「おんや、イクティノス殿は一緒じゃないのかい?」
おどけた声にウッドロウが顔を上げると、案の上の人物がいた。
「……何か用か?」
「いや、スタンも下りちまってるし、ここは少しまじめな話でもしとこうかと思ってな。ここの女王陛下と進めてる話なんだが……」
ファンダリア国王にも話しておこうと思ってな。
ジョニーはそう言って、シデン家の人間として話を始めた。
近くて遠い、未だ来ぬ時の道筋。
弟の使っていた部屋で、それを見つけた。
二つ並んだ写真立て。
一つは、ほんの一ヶ月半ほど前に、みんなで撮った写真。
一つは、ロスマリヌスでもちらっと見た、シオンとエミリオの写真。
「なんですれ違っちゃったのかなぁ……」
ルーティは窓の外に目をやる。
暗い外殻にちらつく煌めかない青の光。
暗がりに沈んだ白い石。
確かに、クリス・カトレットと刻まれている。
確かに、十四年前の日付が刻まれている。
確かに、これはお母さんのお墓――
とっくに死んでいたんだ。
予想はしていた、そうに違いないと思っていた。
けれど、どこかで期待していた。
苦笑とも違う、もっと複雑。
庭の片隅にある、お墓。
ちゃんとしてたんだ、あのひねくれた弟は。
なぜだか笑いながら、ほんの少しだけ、涙も出てきた。
そして、ふと思う。
もしも。
もし、望めるのなら――
『いいの、マスターと一緒にいなくて?』
『確かにウッドロウが今のマスターですが……リリーも私のマスターじゃないですか』
あえて過去形にせず、イクティノスがリリーに言い返す。
『今の私はあなたと同じ。身体がないわ。もうマスターでもないのよ。それに、マスターなんて――』
『それでなくともこの数十年ぶりなんですし』
答えは返さず、さらりと言ってのけた。
『ファンダリア王家のところに行っちゃったものね……』
ふと、間が空いた。そして、
『そうそう。先ほど…マスターの皆が来る前にしていた話なんですが』
『あ、……あれは忘れて。お願い。確かにあの手なら神の眼の破壊は可能だけれど、無意味だもの。他のみんなにも、そう言っておいて』
華奢な肩をそびやかせ、リリーは懇願するように返した。
『……ええ、わかりました。それと……一つ。
千年前、あなたがスズリの管理者になると言い出したときから、訊きたかったんですけれど…――どうしてなんですか?』
訊かれたリリーは、ひどくつまらなさそうな面持ちになった。
その瑠璃の色がなにより雄弁だ。
『だって……独りじゃ淋しいでしょう?』
「どうかした、二人とも? …ルーティさん、フィリアさん?」
二度の呼びかけで、はっと気づいた。
「え、あ、…いえ、すみません……」
あたふたとフィリアが書類に目を戻すフィリアと、
「あ……えっと、ごめ〜ん。ぼけっとしてた」
照れたように苦笑いをして、書類を通し番号の順に積んでいくルーティ。
手持ちぶさたで手伝いに来ていたのだが、さっきからこんな調子である。
「二人とも疲れてるんじゃない? 先に休んでいて結構よ。これはこっちでやるから」
ねぇ、と、イレーヌは様子を見に来ていたリラに同意を求める。
「そうですわね。一番大事なときにはあなたたちに頼るしかないんですもの、こういうときぐらいは私たちに任せていただきたいですわ」
リラは言うと、ルーティとフィリアの手から書類の束を取り上げる。
「そんな、だって、暇だから……」
「大丈夫です。ただ…ちょっと……」
はかったわけでもないだろうに、揃ってしぼんでいった声の最後に、ふぅと小さくため息がおまけされる。
そんな二人に、イレーヌとリラはくすくすと笑うと、
「ダメよ、もっとしっかりしなさい」
「でないと、横からかすめ取りますわよ?」
えっと慌てて顔を上げた二人に、リラは器用にウィンクをよこした。
どぅんっと爆音が響き、建物全体を揺るがす。
「ぅわ……とんでもねぇな……」
爆発したからといって、劣化クリスタルの数が減少するわけではない。然るべき処置をしない限り、地上に人がいる限り、暴発は続くのだろう。
『しかし』
「厄介な代物だな」
小さくため息をついたスタンの頭を、ルートが後ろからがっしり抱え込んできた。ぱらぱらと落ちてくるのを払いながら、
「処置の効果期限は?」
『本来は半永久。勝手に外れるのもあるが、今回のように大きく流れが乱されると、片っ端から外れていくな。終わったら海にでも沈めてしまえ。それが一番安全だ』
「無責任だな〜」
思わずスタンが苦笑する。
「後のことは後で考えるさ。今は時間がない。運び出す」
ルートの言葉に、スタンがディムロスの柄に手を添えた。ふっと室内が異質な空気に包まれて、劣化クリスタルの中心付近にあった透き通らない澱みがすっと消えていく。
其は貌<かたち>なき、永遠の流れ。
時間と空間にあまねく流れ行く、すべての根源。
そして――深い闇の腕<かいな>が抱く。
『……こんなモンだろう。"無の刻印"は扱い慣れていないんだし』
ディムロスが終わりを告げた。続いたルートの一声で、連れてきた十名ほどの部下が倉庫からの運び出しを始める。
「そーだ。ところでルートさん。叔母さんとはど――ぅぐ」
スタンがなにかを言いかけたとき、首に回されたままだったルートの腕に力が入った。
「おまえまで言うか」
そのまま、えらく不機嫌そうに腕の中をにらみつける。
「だ、だって」
はははとひきつった笑いを返すスタンに、
「そういうおまえこそ、どうなんだよ?」
「は? なにがですか?」
切り返した言葉もすっかり空回り。
「おいおい……」
ルートは思わず空いたもう片手で額をおさえながら、ふと。
「ま、さすがにいい加減、このままじゃいられないか…」
風のない都市で、銀がさらりと揺れた。
「どうなされましたか、女王陛下?」
芝居がかった口振りで、ジョニーが声をかけた。
面倒くさそうに、頬杖をついていたリラが振り返る。
「損な役回りですこと。そう思いません?」
ジョニーは何も言わず、大きく肩をすくめた。
「"弟みたいなもの"。確かにそうですわ。歳だってそうですし、ずっと前、ボーネセットで一緒だったときだって"お姉さん"を振る舞いましたもの。…向こうは覚えていないようですけど、それは仕方ないでしょう。十三年も前のことですから。
………損な役回りですわ、本っ当に」
そのままリラは小さな円テーブルに突っ伏した。
「確かに、そんな役、気取るもんじゃねぇよな〜……」
ジョニーもそれは嫌と言うほど思い知っていたことだ。
暖炉に火が入っている。
太陽が遮られ、空気が冷え、世界中が冬に逆戻りしていっているのだ。以前に乗り込んだとき以来ベルクラントは発射されていないが、それまでに舞い上げられた粉塵は空を閉ざすのに十分だったのだ。なにより、ダリルシェイド上空は外殻を備えた天上都市群がしっかりとふたをしている。
「……明日、か」
明日の朝――といっても太陽は見えないも同然なので時計上――に、ベルクラントの試験機こと"集積レンズ砲"を外殻に撃つ。
そして、再び天上都市へ赴くのだ。すべてに決着をつけるため。
ぱたぱたぱたぱ…………たぱたぱたぱたぱたぱた…………
「あの…ルーティさん……?」
目の前を何度も行き過ぎる足音に、フィリアは困ったような声を上げる。ちん、と音を立てて、ティーカップがソーサーに乗せられた。
「なに?」
ぱた。
「少し落ち着かれてはどうですか? さっきから行ったり来たりって……」
言われて、彼女は組んでいた両腕をほどいて垂らす。
「あのさ、フィリア。……あたしたち、もしかしたら、明日死んじゃうのかもしれないのよね」
ひどく軽い物言いで、フィリアはその言葉の意味を理解するのには少し間が空いた。
「ルーティさん……?」
『どうしたのよ、いきなり』
ルーティのベッドの枕元に置かれているアトワイトからも声がかかる。
「ねぇ、アトワイト。"死ぬ"って、どういう事なんだろ……?」
「……そんなこと……どうかしたのですか?」
驚きから立ち直ったリラは、ひどく心配そうな眼差しでスタンを見返した。
「あ、いや……ただ………」
よくわからないままに、ただ口をついてしまった。
「すみません、こんなときに不謹慎だっ――」
「あなたは」
スタンの言葉を無理矢理さえぎり、リラが声を発した。
「…あなたは"死"が近すぎて、かえってよく見えないんでしょうね。
スタン、あなたは多くの人を亡くしましたよね。シオン様とファルン様は言うまでもなく、リコリスでのこともそうでしょう。
抱えきれないほどの哀しみを、それでも受け入れることができたのはどうして?」
星空の瞳に、ひたと見据えられた。
「……え?」
投げかけられた問いは、波紋を起こす。
揺らぐ水面に、未だ答えは映らなかった。
『……どこにもいなくなる、のよね。死んでしまったら』
しばらくして、アトワイトはそう答えた。
『"今、私のいるここから誰かがいなくなる"ことって哀しいことだわ。逆に、自分が死んだら、誰かが哀しんでくれるかもしれない。
死んだ後に自分がどうなるかなんてわかりはしないけれど、今生きていることはわかりきっていることだし、考えることが悪いとは言わないけれど、それに囚われるのはよくないと思うわよ』
「ん〜……」
眉根を寄せ、ルーティは天井をにらむ。
「よっくわかんないわね。でも、あたしはまだ死にたくないし、みんなにも死んでほしくないと思ってるのはわかってるわよ。ただ、ね……」
言っているうちに肩が落ちて、首もうなだれていく。が、ぱっと顔を上げると、
「やめた! なんてゆーか、こういうこと考えたってどうにもならないわ」
そのまま踵を返し、部屋を出ていく。
「ルーティさん?」
慌てて追いかけてきたフィリアを、ルーティは部屋の外でつかまえる。
「あのね、フィリア。ちょ〜っと、いい?」
部屋の中――正確にはアトワイト――を気にしつつ、階段の方にまで誘う。
「は?」
「前々から一度訊いてみたかったんだけどさ。ねぇ。あんたって、スタンのことどう思ってるの?」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………な、何を言ってるんですかぁ!!?」
たっぷりと長い沈黙が流れた後、フィリアが顔を真っ赤にして叫んだ。つられるように、ルーティの頬も赤くなる。
「な、何って、あたしは"どう思ってるか"って訊いただけでしょ!」
「あ………」
どこか気恥ずかしい今回の沈黙には、お互い明後日の方を向いてしまっている。
「え……と、その……とてもすてきな方だと…思いますけど」
「どっこがぁ? あんな田舎者。ど〜っかのほほんとしててさ、確かにいいヤツかもしれないけど……ねぇ」
「優しくて、穏やかな空気を持っている人ですわ。一緒にいると、安心します。
どうしてルーティさんはそういうところを認めようとなさらないのですか?」
不思議そうにフィリアがルーティに目を向けた。
「もう少し素直になられれば、ずっと楽になると思いますけれど」
「っ――! はいはい、どーせあたしは素直じゃないわよ。ずっとひねくれて生きてきたんだもん!」
言い捨てると、ルーティは階段を駆け下りていってしまう。
「ルーティさんっ」
フィリアは再び追いかけようとしたが、ふと思い、やめた。そうして自分の部屋の扉をくぐったとき、
『やれやれ。素直になれんのはどっちかのぅ……』
呆れたようなクレメンテの声がかかった。
『秘めたままでは、後で悔やむのではないか?』
「……素直に生きるのって、意外に難しいものなんですね」
苦笑を浮かべ、フィリアが返した。
「……あれ? ルーティじゃんか」
ルーティが階段を降りきりかける寸前、ふと通りがかったスタンと目があった。見ると、ディムロスもヒギリも一緒ではないようだ。
「ちょうどいいわ。暇だったのよ、ちょっとつきあってくれる?」
一瞬の間をおいて、ルーティが口を開く。努めて気楽に。
「え……別に、いいけど」
「じゃ、決まり」
「ウッドロウ様、さっきから何を見ていらっしゃるんですかぁ?」
砂糖を放り込んでちゃかちゃかとティースプーンを回していたチェルシーが、ふと向かいのウッドロウが目を通している書類に目をとめた。
「ん、これのことか?」
「そうです」
ウッドロウは少し思案した後、
「これからどうするか、というようなものだな。明日勝ったとして、巻き上げられた粉塵がすぐに沈降してくれるわけでもない。空を取り戻せるまで長い時間がかかるだろう」
そう。これを考えると頭が痛い。
すべてが終わったそのとき、どうなるのか。
すべてが終わったそのとき、どうするのか。
ベルクラントの直撃による傷跡、直撃に付随して起きた地震や津波、それらの被害は一朝一夕で立ち直れるものではない。加えて、陽の当たらないままでは、いつか食糧危機に陥ってしまう。
「まだ決定事項ではないから、チェルシーには見せられないがな」
「そうですかぁ〜……」
ちょっと残念そうにチェルシーの眉が下がる。
「でも、さすがウッドロウ様ですね。後のこともちゃんと考えていらっしゃるなんて☆」
くるりと笑顔になったチェルシーの言葉に、
「いや、実を言えば、私も言われて初めて考え始めたんだ」
ウッドロウは微苦笑を滲ませた。
セインガルド城の広大な庭の片隅に、温室がある。リラが珍しい花の栽培、品種改良や交配に使っているので、設備も十分に整っている。
終わらない冬によって忘れられた春が、そこにはある。
「あたしさ……ずっと、考えてたことがあるんだ」
早咲きの百合をルーティは軽くつつく。
「お母さんのこと。それにリオン――エミリオのこと。
あたしも…あんたもさ、ヒューゴのせいで……人生狂わされちゃってさ」
「それは……」
返す言葉に詰まるスタンに、
「だけど、あんなのがあたしの父親なのよね。あんたの両親殺したのって、あたしの父親なんだ。ずっと孤児院で暮らしてて、あたしを捨てた親なんかどうでもいいって強がって、アトワイトと旅に出て、マリーに出会って、……あんたに出会って。あいつにも出会って。
それで……ふたを開けたらこの始末。
実はね、全部わかった後――部屋に閉じこもってたとき……あんたに会うのが怖くなってた。いくらあたしが知らないって言ったって、あれが父親なんだ。あいつも言ったとおり、あんたの、両親の仇の娘ってのは事実だもの」
怖かった。とても怖かった。
「だからって、何か変わったわけでもないだろ」
それには言葉を返さず、小さく笑っただけだった。
「そういえば、あんたアウストリで泣いてたでしょ、あの夜」
ぱっとスタンの顔が照れて赤くなる。
「ぁんだよ、起きてたのかよ……」
「まぁね。安心していいわよ、あたしだけだからさ」
あれは同じ"言葉"。
「意地張ったって、なんにもならないもんよねぇ。…私も」
笑って、肩をすくめる。
「あいつも……かな」
ふっと、音が消える。
いつも淋しげで。
いつも拒んでいた。
けれど、明けない夜はないように。
でも。それ以上は望めなかった。
結末を知っていて、そこから抜け出せなくて。
「もう一度……会えたらいいな」
いつかきっと、晴れた空の下で。
『もう、あれから千年も経って。なのに、まだ終わってないのね……』
哀しいこと、辛いこと。
そんなことばかり、あったわけではないけれど。
いくつもあったのは、確か。
『これで終わればいいんですがね。……あのときみたいなのも嫌なものですが』
終わるために犠牲になった夢は、どれほどあったろうか。
そう、リリーも……
『お母様のこと? ……仕方ないのよ、きっと。あの時はそうするしか…そうするしか、なかったんだから』
あまりにも残酷に、現前にあった事実。
遠い天を覆う、泡沫<うたかた>の夢。
『もう、あんな想い、誰にもしてほしくない』
――また、天に"陽"が昇る。
遠く隔てられた、光明。
明けることなき、常闇。
凪ぐことのない、寒風。
空を塗りつぶす冷たい暗闇は、恐怖を呼び起こす。
輝かない青の光は、冷暗を見下ろす。
それを撃ち破るための、一矢。
「ぅっわ〜、また寒くなってない?」
回廊の風避けに隠れて、外套を着込んだルーティが寒さに身を縮こませる。
「ホントだ、息が白くなってるや」
誰の口元も白く霞んでいる。大きく息を吐くと、真っ白になった。温かいヒギリはルーティが外套の中で抱いている。
『太陽がもうずっと出てないんだ。このままだとまだまだ下がっていくぞ』
『生物が地上でなんとか生きていられるのも、今のうちだけでしょうね』
スタンたちの通信機経由で中庭に現れていたリリーが、天上都市群を見上げて吐き捨てた。そう遠くないうちに、千年前と変わらぬ光景が広がることになるだろう。そうなれば、あの頃よりも遥かに科学力の劣るこの時代、もっと悲惨なことになるかもしれない。
「怖いこと言わないでよね〜」
「ですが、だからこそ私たちの責任は重大ですわ」
集積レンズ砲――ベルクラント試作機とは呼びたくないためつけられた呼び名――が組み立てられている中庭の方を見ていたフィリアがきっぱりと言い切った。
「世界を救う、か〜……。でも今更こんなこと言うのもなんだけど、"世界"って言われてもピンとこないよな」
「あ、あたしも〜」
少し挙げた手をルーティが振る。
『誰だってそうよ。でも、だからこそ、大事なものを見失っちゃダメなの』
「集積レンズ砲、発射用意!」
イレーヌの号令に、各部の者が一斉に操作し始める。急ごしらえのために、一ヶ所で統御しきれない部分が出てきたのだ。状態を示す言葉を、あちこちから次々と交わし、準備が進められていく。
自然、周りの者の視線は上を仰ぐ。
黒々とうねる粉塵の向こうに、確かな影が揺らめいている。
「対ショック・閃光防御」
すべての者が固唾を呑んで見守る中、合図と、機械の奥から徐々に広がるエネルギー凝縮音だけが風の音に流れる。
「……――発射!!」
強い一声と共に、レンズ砲から青白い光の帯が空へと昇った。
粉塵の膜に穴を開け、そのまま地上に露わとなった外殻に達する。
だが。
「……消え…た……?」
皓い光は外殻に触れると、尾を引きながらすぅっと流れ星のように消えていった。そして、外殻に穴が開いた様子はない。
『――エネルギー、拡散しました……』
信じられないと言った口調で、リリーが告げる。
『あれで壊れないなどと…?! ありえない!』
「何か…失敗してしまったの……?」
愕然と、コンソールに両手をつきイレーヌがつぶやく。
「……違うわ。出力は計算通り――いえ、劣化クリスタルの使用量から、少し上回ってさえいる。問題は、試験機にあるんじゃない」
『シャル……』
中庭にいた者全員の視線がそちらに集まる。いつのまにか、シャルロットがそこに来ていた。上を仰ぐ眼差しは深く哀しげで。
「なら、何が問題だと?」
落胆よりも動揺が勝っている空気の中、ウッドロウが冷静に訊ねる。
「それは……」
『待って! おじさまから通信が』
リリーの声と共に、ノイズを映すウィンドウが開く。
《皆、揃っているな。落ち着いて聞いてほしい。試験機では外殻を破壊することは不可能なようなのだ》
「なんだって!?」
その言葉に、誰もが色めく。
《外殻の青い光には気づいているだろう。あれの正体が判ったのだ。エネルギーアブソーバーだ》
聞き慣れないその単語に、
「エネルギーアブソーバー、平たく言えばエネルギー吸収装置よ」
すかさずシャルロットが口を挟む。
《天上(うえ)の狙いはわからん。天上都市を再生させるでもなく、中枢で何かを行っているようだ。どうやらそれには大量の"エネルギー"が必要らしく、それを地上から吸い上げているらしい。今はさほど、人間には影響はないだろうが、じきに小さな生物から死滅し始め、最終的には地上すべてが枯れ果てるだろう》
「じゃあ、どうすればいいのっ!? どうすれば――!!」
ルーティが通信機に激しく詰める。
《なにも策がないわけではないよ。エネルギーが吸い取られてしまうなら、吸い取られないところを撃てばよい》
リトラーがそれを穏やかにいなし、続ける。
《不幸中の幸いとでも言おうか、ラディスロウはものの見事に外殻に埋まっていて、その条件に当てはまる》
「そんな…っ!」
口調は穏やかながら、その意味するところは決して穏やかではいられないものだった。風が抜けるような悲鳴がいくつかもれる。
『……死ぬ気か、メルク』
愕然とした沈黙の中、クレメンテがうめくように言った。
『おじさま……他に方法はないのですか?! ここまで来て――!』
リリーが悲痛な声を上げ、ノイズしか映さないウィンドウに詰め寄る。
『ここまで来て、どうしてそんな……っ!!』
「そうよ、他に何か――!」
《そんな猶予はないだろう。この老いぼれの命一つで、未来に光明が差す。私はそれで十分満足だ……。もとより、のうのうと生きていられる資格など私にはない。これでよいのだよ》
重い沈黙が流れる。それを破ったのは、リトラー自身だった。
《シャルロット。最大出力でラディスロウを撃て。どこまで上がる?》
「リミッターを外せば……一二〇%まで…いけるはずです」
《それでいい。やりなさい》
シャルロットは無言で、集積レンズ砲の設定を変更する。
そして、発射の直前。
「おじさま。正しくはなかったのかもしれませんが、間違ってもいなかったと、私は思います。仕方がなかったのです。あの時は、誰もが誰もを裏切っていた。ですから……生きる資格がないなどと、お願いですから言わないでください」
うつむいたまま、懇願するようにシャルロットは言った。
「あれを誰かの罪というのなら、"私たち"の罪でしょう。父を裏切った私も同罪です」
《……君にそう言ってもらえるとは思わなかったな。ありがとう。だが、君に罪はないよ。"君たち"は間違いなく犠牲者だ……本当にすまなかった》
一片の曇りもないひどく穏やかな声音が返される。
シャルロットがイレーヌらに頷いた。それを合図に、レンズ砲の充填が開始され、時が迫る。
《強く…生きてくれ》
その最期の言葉と同時に、黒い天に再び皓い光が放たれた。
割れ目から射し込む陽光のヴェール。
それは、何にも勝る至高の宝。
今からは遙か彼方に過ぎた時、千年前。
星の災厄のために訪れた、永い永い冬。
天と地の狭間にて行われた、天地戦争。
二十余年の後、それらは終結を迎えた。
平和の中で、旧き者たちは神殿に集う。
監視者の神殿の名は、ストレイライズ。
神殿の長は、神の剣を持った者の一人。
青い空の下で、二つの王国が興される。
新たなる国の名は、セインガルド王国。
新たなる国の名は、ファンダリア王国。
国王は共に、神の剣を持った者の一人。
今からは、遙か彼方に過ぎ去った時間。
古の時代、堕天使は神の剣を地上へもたらした。
神の剣を持つ者、吹き荒ぶ天つ風に立つが運命。
神の剣を持つ者、常世にて嘆く運命にありし者。