逃れることのできぬ運命。
 遠い日に約束された運命。
 それはとても哀しいもの。


 雲一つない、青い空。
「空って、こんなに綺麗だったのね……」
 外殻の上に出た飛行竜で、ルーティがふとつぶやく。
 誰もがその青に見とれ、誰もが同じ思いを抱いていた。


 叶えたい想い。
 叶えたい願い。
 叶えたい、夢。
 守りたいもの。


 運命を縛するほどの、それは涯てなき想い。






十七章 千年の終焉






 ダイクロフトに穿たれた穴は中枢のすぐ側に通じていた。飛行竜が都市上に着陸するのも待たず、中枢の尖塔から迫り出していたテラスに、スタンたちはヒギリと一緒に降り立った。
「この奥に……」
 中は闇で満たされ、入る者に躊躇いを呼び起こす。と、唐突に通路の天井に灯りが一つ、弱々しく点った。
 スタンたちが意を決して中に入ると、光は誘うように次々と、彼らの歩調に合わせて点き、そして後ろでは消えていく。
「罠…でしょうか?」
 フィリアのつぶやきは共通の念ではあったが、ソーディアンたちの記憶もこの道が中枢に続いていることを指し示しており、結局従うことにした。そうしてしばらく進んでいくと、まるでドミノ倒しのようにかなり大きな姿見が整然と立ち並ぶ部屋に出た。
「ここは?」
『天上都市内の各部に通じる、簡易ワープゲートだ。不用意に鏡に触れるなよ。大半はどこに通じてるかわからんからな』
 ディムロスの答えに、スタンはおっかないとばかりに肩をすくめる。
「どれを通るのよ?」
『確か、中央近くにあるものです』
 イクティノスの言葉に、全員が連れ立って部屋の中央に向かう。中央には鏡がなく、ぽっかりと広く開いていた。
「どれだ?」
『えぇと、確か……』
 古い記憶をソーディアンらがたどっているとき、ふとスタンは床に何か刻まれているのに気づいた。
(何だ……?)
 何が起こるかわからないので触ることはせず、上体を傾けてほこりの下をのぞき込もうとする。と。
「スタン、何やってんの?」
「え――」
 とん、と、ルーティに背中を叩かれ、思わずスタンは一歩前に足をつく。それはちょうど刻み描かれた図形の上で。途端、それは光を発し、消えたときには――
「……あたし、もしかしてすっごくまずいコトした……?」
 スタンがよろめいたときに肩がずり落ちたらしいヒギリが、翼をぱたぱたと羽ばたかせ、不思議そうにきょろきょろと首を動かしている。
 スタンはもちろん、図形すら消えていた。




 ずっと、待っていた。




『……バカか、おまえは』
 はたして、一瞬前とはまったく違うところに転送されたスタンは、ひとまず相棒にそう言われた。
「だって、ルーティが〜」
 しかし、呆れ返った声への力ない抗議はあっさり無視される。
『ともかく。後ろのそれで戻れないか?』
 袋小路で、正面にだけ道が続いている。背後には簡易ゲートである鏡があったが、触れてみても何の反応もなかった。
「……うんともすんとも言わねぇな」
『機能が停止しているだと? ったく、ここまでされたら進むしかないようだな』
 静かな直線に、スタンの足音だけが響く。
「ここ、どこなんだろ?」
『さぁな。よく似た通路は多いから、見覚えがあると言ったらあるが……』
 なにもない。ただそこそこ広いまっすぐの通路が、延々と続いていた。
 "待ち続けている人"――
 不安は無理矢理飲み込んだ。




  それは酷なことではあるけれど。




『とにかく、リリーに誘導<ナビ>を頼みましょう』
 真っ青になったルーティに、慌てず騒がずイクティノスが言った。ぽんと手を叩いたフィリアがすぐに通信機を取り出す。電波状態はお世辞にもよいとはいえないが、なんとかつながった。
《まっ…く、世話が焼け…わね》
 事情を説明され呆れ返ったリリーの声には笑うしかない。
《…画像…送れ……から、よ…聞い……二人は……―――》
「えっ?」
『リリー?』
 しばらくしてノイズが大きくなって途切れた声に、こちら側が怪訝に眉をひそめる。
『どうしたんです?』
 イクティノスが言い含めるような声で聞き返す。と、急にノイズまで消えてしまった。通信が切れたのかと思ったが、数秒の後に、
《最上階、"カレンジュラ"のエリア》
 やけにクリアな音声で、それだけが発せられる。その後、ぶつっという音がして、今度こそ通信が切れた。
『"カレンジュラ"だと……!? そうか、天上都市を自在に操れるのは"ヘリオール"しかいない!』
 イクティノスが焦って口走る。が、ルーティたちには初耳の単語が理解できない。
「ちょっと何よ、その――?」
『え、……ええ。天上都市群のマザーが"ソール"というのは前に話したわよね。その"ソール"というのはね、二つ一組のコンピューターをまとめて指す呼び名なの。片方は"ヘリアンサス"といって、もう一つが"カレンジュラ"なんだけど……』
 説明を始めたアトワイトの歯切れが、いまいち悪い。何かを躊躇っているのか、戸惑っているのか。
「だけど?」
 焦れて先を促すルーティの声も自然ときつくなるが、
『後ろ!』
 不意の声に、ルーティは反射的に逆手に持ったアトワイトを後ろに振る。
「――って、なにこれぇ!?」
 弾かれ後退したそれは、なにやら横倒しの涙滴形をした浮遊物体だった。一つではない。二つ、三つ、四つ…たくさん。
「きゃあ!? こ、こっちにもです!」
 フィリアが悲鳴を上げ指し示す方には、機械仕掛けの大型蜘蛛がやはりたくさんである。
『天上都市の警護機械じゃ! 囲まれると厄介じゃぞ』
「どれを通ればいい?!」
『えーと、え〜……あ、あれ! 左の鏡を通って!!』
 アトワイトの言葉に、皆が指定された鏡に飛び込む。
 細長い通路がずっと奥まで続くそこに出て、一息つけた。が、
「……あの、何か出てきますね……」
 フィリアが後ろの鏡を見やり、引きつった声を上げる。鏡の奥からにじみ出てくる白い影は、徐々に大きくなっていって――
「追ってきたっての……?」
『急いで先に進みましょう』
 珍しく落ち着きのないイクティノスの声が急かしてきた。
『"ソール"が再起動しているということは、間違いなくヘリオールがいます。誰かが贄に上げられている』




  この鎖を断ち切ってくれることを。




「ヘリオール?」
 通路の果て、大きな扉の前。
『あ、ああ…。その奥に、天上都市群を統御しているマザーコンピューター"ソール"の片割れが――"カレンジュラ"の本体がある……』
「で?」
 話の先を促しつつ、スタンは扉に手をかける。
『"ソール"というのは、ある特定の人間を"ヘリオール"――部品として必要とする、"災厄"以前に開発されたコンピューターだ。千年前……』
 両開きの扉は、意外に何の抵抗もなくすっと開いていく。
『俺たちは、その人を殺した』
 天井が高いホールの中に、その"カレンジュラ"本体であろう巨大なコンピューターがそびえていた。
『千年前、"カレンジュラ"の生贄だったのは――』
 そのすぐ前に、こちらに背を向けた人影が一つ――
『――あいつの母親だった』
 緩やかに、長い金髪をなびかせその人影が振り返る。
「……え……?」
 掠れたつぶやきは、深く静かに響きわたった。
 哀しげな瑠璃の瞳を和ませ、彼は――シオンは、小さく頷いた。



 叶えたい想い。
 叶えたい願い。
 叶えたい、夢。
 守りたいもの。


 運命を狂わすほどの、それは強く深い願い。




 ――これは幻でしょうか?
「スタン。それに…ディムロスも一緒だな」
 それは永遠の一瞬。とても永い時間。
「え……? 何で、だよ……?」
 ふらふらと、触れれば消えてしまう蜃気楼を惜しむかのごとく、恐る恐る数歩出る。シオンも迎えるように歩み出て、そっと息子の髪を撫でた。
 ――これは夢でしょうか?
「大きくなったな……十一年も経てば、無理もないか……。
 なぁ、ディム。どっちに似た?」
 スタンよりも少し背が高い彼は薄く微笑み、ディムロスに声をかける。
『……少なくとも、おまえのような大馬鹿者じゃないな……』
「言ってくれるな」
 返された答えに、苦笑をこぼす。
 ――これは現でしょうか?
『当たり前だっ。十一年前、ファルンから聞いたとき……前から馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、そんなにも大馬鹿野郎だったとは思わなかったぞ…! 何故置いてった!?』
 哀しくて、辛くて、苦しくて。
「……生きてた、のかよ? 父さん」
 茫としたスタンのつぶやきに、シオンは左手で、スタンの前髪をそっとかき上げる。手は、とても温かい。子供のときに感じたほど大きくはなかったけれども、それでも十分に大きかった。
「いや。…もう死んでる」
 同じ色を瞳に映して、告げる。
「俺は、――"シオン・ディールライト"は、十一年前に死んだ。
 ここにいる俺は、縛りつけられた亡霊だ」
「…え……?」
 哀しげに微笑む父親の言葉に、スタンは泣き笑いのような色を浮かべる。
「それはどういう――」
「知っているはずだよ。おまえたちは見てきているはずだ」
 その言い含めるような言葉に、ひっと息をのむ音が聞こえた気がした。
「こうして自我は残っていても、同じなんだ。あの子と」
 深い瑠璃色は、確かにあなたの意志を映しているのに。
 それでも、支配を受けているという。
「だから―――」
「俺に……父さんを――って……?」
 繰り返す声が震える。
 繰り返す声が掠れる。
「――殺せって……?!」
 繰り返す声が割れる。
 ただ微かに頷かれた。
 ふわっとシオンが右手を振ると、空中にウィンドウが開いた。音声のない画像だけのそれには、天上都市内の警護機械に囲まれているルーティにフィリア、ウッドロウの姿。通路がさほど広くなく晶術が使いにくいので、質より量に圧されているようだ。
「この"カレンジュラ"は神の眼の統御以外のすべてを受け持っている。これを停止させれば、あれも黙る。それになにより――あのエネルギーアブソーバーも停止する。
 それから最深部に降りて、すべてに決着をつけるんだ。そのために、おまえはここに来たんだろう?」
 すべてを、知っているのでしょうか。
 すべてを――見ていたのでしょうか。
「これを完全に機能停止させるには、"生贄"が死ぬのが一番早い。この都市自体が"ソール"そのもので、ここにあるのは管制用の端末でしかないからな。千年前も、そうだっただろう。記録を見たよ」
 ディムロスは肯定することもできず、かといって否定することもできず、ただ黙っていた。黙るしかなかった。なにも、言えなかった。何か言ったら、その瞬間に終わってしまう気がして。けれども、それはなんの意味も持たないこともわかってはいた。
「自殺は、"カレンジュラ"のパーツには、許されない」
 そうして、ずっと待ち続けた。
 この、時を。
「世界を――みんなを、大切な人たちを救うんだろう? そのために強くなったんだろう? 子供の頃に、言ってたよな。こんなところで立ち止まっている場合じゃないだろう。おまえは、この奥に行かなければ――」
「……そんなっ、だって……何で、そんな――っ!!」
 あまりにも酷な天秤。
 叫んだ刹那、なだめるように抱きしめられた。
 お互いの顔も見えず、ただ声だけが聞こえる。
「もう…死んでるんだ。十一年も前のあの時に。こうしてここに"在る"のは、サイフリスのせいなんだ。生きてやしないんだ。
 父親らしいこと、ほとんどできなかったよな。おまえにも…リリスにも。それでこんな勝手なことをって……怒るだろうけど、頼む。
 ……もう、眠らせてくれないか?」




 あまりにも残酷に、現前にあった事実。




「スタン!」
 ホールに飛び込んですぐ、ルーティの動きが止まる。
 機械の城を前にくずおれたスタンは、深くうなだれていた。呼び声に、応えは返らない。
「どうし――……っ」
 声をかけようとして、それに気づく。
「どういう事……なんですか?」
 そのまま言葉を失ったルーティの代わりに、フィリアが誰にか小さく訊ねた。
『……千年前と同じじゃな』
『ええ……どうして…こう、なっちゃうんでしょうね……』
 深い悔恨を帯びた声が、そっと交わされた。




 終わるための犠牲となる、いつか見た夢。




「スタン……」
 ルーティがいつになく優しい声で呼びかける。
「待ってて。今から、全部、終わらせてくるからね」
 何も映さない暗い瑠璃をのぞき込み、言った。




 願わずにはいられない。
 こんな哀しみ。
 こんな苦しみ。
 醒めれば消える、夢であるように……




 "カレンジュラ"のホールの奥にある、最深部への直結ゲートをくぐり、降り立った先はやはりホールだった。違うのは、ホール自体がまるで一つの、機械の器のように、ホール中にひしめく機械類とそれらの間に張り巡らされた接続コードだ。辛うじて通ることのできる隙間が、まっすぐ奥の大扉へのびている。
 冷却用か、液体が始終泡立っている音とそこかしこで唸る駆動音の中、一気に扉に走る。
 両開きの扉を荒々しく開け放ち、ルーティは叫んだ。
「ヒューゴ…!!」
 そこは"カレンジュラ"のホールとよく似ていた。おそらくはこれが"ヘリアンサス"であろう。上と違うのは、薄暗い中妖しい輝きを放つ神の眼を抱く台座があり、緑の光を放つ箱が奥にちらりと見えることだった。
 そして、"ヘリアンサス"の手前にある据え置かれたディスプレイの前に、探し求めていた男の姿もあった。
「なんだ……? なんだ? 何者だ? 何故そこにいる?」
 首だけを振り返らせルーティらを睥睨すると、抑揚らしいものはなにもない声で、どこか不自然すら感じる物言いをヒューゴは発した。その左手にはベルセリオスが吸いついている。薄暗いホールで、その姿は不気味にも映った。
「なんだとは言ってくれるじゃない? 仮にもあんたの娘よ」
 揶揄しきった口調でルーティが言い返すと、
「娘……? そうか、娘か。
 よくここまで来れたものだな、ネズミどもが」
 突然がらりと声の調子が不敵なものに変わり、完全に振り返る。
「だが、あいにくと貴様らの相手をしてやれるほど私は暇ではないのだ。……そうだ、ちょうどいいモノがある」
 ヒューゴは翳った笑みを浮かべ、なにもない床の一点をベルセリオスで指し示した。
「何をしようっての……?」
 と、突然床に金の光が走り、円を描くと次にその内側に複雑な文様を描く。そして最後に、紋章からわき上がった光が一つの人影を形作った。
「……――嘘………」
 ルーティが愕然と一歩下がる。
「惨いことを……」
 ウッドロウの隣で、思わずフィリアも細い眉をひそめた。
 確かに、それはリオン――エミリオだ。だが、血の気を失って青ざめた顔には、いつもの皮肉げな色も哀しげな色も、何の表情もうかがえない。ただ、糸でつられた人形のように、シャルティエを左に携え、たたずんでいた。
「どうだね、弟と感動の再会をした心地は? ただし、今の彼は単なる傀儡<くぐつ>に過ぎんがな」
 すっと、ヒューゴがベルセリオスを横に振る。切っ先はルーティたちに向けられていた。
「始末しろ」
 声と共に、リオンの腕がすっと上がる。シャルティエを構え、そのまま斬りかかってきた。一瞬反応の遅れたルーティが斬られる前に、横から割って入ったイクティノスが受け止める。
「くっ」
 ふと。金属の擦れる音の向こうに、ルーティは何かを拾った。が、直後、空気の爆発に圧され三人ともその場から吹っ飛ばされてしまう。すぐに態勢を立て直し、少しの躊躇いの後に切っ先を彼に向けたウッドロウに、同じく身体を起こしたルーティが焦りを覚える。
 ――止めなくては。
「ダメ! 生きてるよ、あいつ、生きてるっ!」
 ルーティの絶叫に、ウッドロウとフィリアが驚愕する。
 聞き漏らさなかった、ごくごく微かな呼吸。生の証。
「アトワイト!」
 間合いを遠く取るために、リオンの足下に氷刃を放つ。他の二人も自然に集まってきたのは、斬り結ぶことなどしたくないからだろう。
「ねぇ…!」
『……ええ、シャルティエも生きてる。だけど……閉ざしてる』
 アトワイトは答えながら、まとわりついてくる違和感を覚えていた。これとよく似た感覚が千年前にもあったような気もする。
『頑なに閉ざしてる。わからない。何があるの?』
 と、金の火花をまとった闇色の矢がルーティとフィリアの間を通り、勝手に閉まっていた扉に突き刺さる。刺さった箇所から闇があふれ、扉の下半分がぽっかりと、人がくぐれるぐらいの大きさでえぐり取られた。
「ちょっと……洒落にならないわねっ」
 ルーティはフィリアの手を引き、急いで立たせる。今のは大きく外れていたが、かすっただけでもどうなることか。
「なんとかならないの!?」
 生きているとわかっている以上、手が出せない。出せるわけがない。絶望も消し飛ばす微かに見えた希望を、みすみす取り逃すことなど愚かしい。こちらを見てもいないヒューゴの後ろ姿に、余計に腹が立つ。
『今のままでは無理です。応えてこないのでは何がどうなっているのか――』
 イクティノスの焦れた声がすぐさま返される。と、そこへ、
『だけど……聞こえてはいるだろ?』
「なんとかしないとな」
 不意に、声が飛び込んできた。
 この場にはいないはずの――
「――スタン…」
 傷悴した力ない笑みを、スタンはルーティに返す。
「泣くんだったらまた後でできるさ。今は」
 リオンが一気に間合いを詰めてきて、言葉が途切れた。
「今は、これ以上喪わないようにしないと」
「スタン! そいつ――」
 ぎんっと耳障りな音を立てて、二本の剣がかみ合う。
「わかってる。……まだ、なんとかなる。なんとかする。…このままなんか、絶対によくない……」
 そのままリオンの焦点の合っていない紫の瞳を見返し、一音ずつはっきりと言葉を綴る。
「父さんに会ったよ」
 ぎじっと擦れながら、かみ合う支点がすべり落ちていく――そのとき、ホール中央からひときわ大きな駆動音が唸りを上げ始めた。ヒューゴは満足げに口の端を歪ませると、再びこちらを振り返り、暗い愉悦を浮かべた。
「ほぅ…皮肉なものだな。千年前に同じ名を持っていた二人は共に"私"を討ったというに」
『なんですって!?』
 ――千年前に"私"を討った――?
『そうか、どうりでおかしいはずだ!! 貴様、ミクトランだな!? あの時止めを刺したベルセリオスの中に逃げ込んでいたのか!』
 アトワイトとイクティノスが叫ぶ。明確な憎悪を込めて。
 千年前、あのベルセリオスの剣を持って天上王ミクトランを討ったのは、ディムロスとシャルティエの最初のマスターである"スタン"と"リオン"――
 あの瞬間<とき>のことを、忘れられようはずがない。
『そこから――そのコアクリスタルからヒューゴを操っていたのね!? なにもかも、あんたが仕組んだことだったのね!!』
 アトワイトの怒声に重ねて、意味を理解したルーティも涙のにじむ目で睨め付けた。
「……みんな、みんなあんたが……?! ――あんたのせいでっ――!!」
 そこでルーティはリオンの方を振り向いて、震える声で叫びを上げる。
「全部、全部あいつのせいなのよ! ねぇ、お父さんもお母さんも、――スタンのお父さんのことだって、全部あいつのせいなんだよ!! とっとと帰ってきなさいよ! そんなヤツの人形なんかに、なってやってんじゃないわよっ!! いつもの憎ったらしいあんたはどうしたってのよ!? なにやってんのよっ!!」
 シャルティエを握る手が震えだす。
 あと少し、あともう少し――
『ずっと、ずっと…私はこの時を待ち続けていたのだ……』
 何かに焦がれているような声を、ミクトランが上げる。
『その邪魔をする者など消えてなくなれ! さあ、シャルティエ!!』
「あんた、あたしの弟なんでしょうが! ――エミリオ・カトレット!!!」
 二つの呼び声が、同時に発せられる。
 そのとき。頭に直接、ぴしりという音が響いた。

 ――ごめんなさい――

 そして、声ではない"声"がした。
「――…?!」
 刹那、徐々に力を失っていっていたエミリオの手から、決定的に力が抜け落ちる。手だけでなく、糸が切れた人形のように、身体が崩れ落ちていく。
 鮮やかさを取り戻した紫の瞳が濡れて。
「………シャルティ……」
 ほとんど声になっていない、だが確かな声を、自身の心で紡ぐ。
 スタンが慌てて、空けた左腕で倒れ込んできたエミリオの身体を受け止める。
「おい…?」
 大きく息を一つ吐いてから、エミリオはそのまま床に降りた。
 ――涙は、自然にこぼれた。
 左手が辛うじて握っている、柄の部分が壊れたソーディアンに。ちょうどコアクリスタルの埋め込まれている辺りが、内側からの圧力で破裂していた。スタンもそれに気づき、
「ディムロス……」
『………――あいつ――っ』
 ミクトランはおそらく、シャルティエとエミリオのつながりを利用して、シャルティエのコアクリスタルを通してエミリオを操っていたのだろう。その支配から解放するために、シャルティエは己のコアクリスタルを自壊させた。
 すぐ側にまで来たルーティが、弟の肩にそっと触れる。
「………エミリオ」
「――ふん、…おまえなんかに何が――」
 言いかけた弟を、姉は初めて抱きしめた。
「強がっちゃってさ。あんた、バカよ……」
 弟は、その腕を払いのけることはせず、ただ口では、
「バカにバカと言われたくないな」
 憎まれ口は忘れない彼と目があって、スタンは小さく笑んだ。
「……帰って…きたんだよな……」
 ルーティから解放されたエミリオが、ごく薄く苦い笑みを浮かべたとき、
「――なっ?!」
 急に引き寄せられる。顔がすれ違い、お互いの表情はわからない。ただ、素早くスタンがささやいた。
「父さんから。――"忘れないように"――ってさ」
 言い終えた瞬間、エミリオの両の二の腕を掴んでぱっと身体を離す。
「確かに、伝えたからな」
 透明な笑み。
 どこか哀しさは抜けないけれど。


「さて。今までの礼をさせてもらおうか」
 器だけとなった相棒であり親友を、エミリオはしっかりと握り直す。
「そうだな」
 スタンも、ディムロスを強く握り、立ち上がる。
『ふふふ……』
 その先で、だらりと両腕を垂らした姿で、ミクトランが立ちつくしていた。ゆらりと、幽鬼のような笑い声が響く。
『ははははは……! またか、まただ! また、裏切った、裏切られた!!』
 ミクトランは大きく仰け反り、狂ったように笑い続ける。いや、暗いホールを振るわすその声は、すでに色濃く狂気に彩られていた。
『何故だっ、何故いつも私だけが裏切られるっ?!!』
 それはスタンやルーティ、エミリオでさえ哀れと思えるほどの狂った嘆きだった。
『いつもだ、いつも、私だけが裏切られ、取り残されているではないか…!!』
「いったい……?」
 千年前に天上に覇を唱えた王というには、あまりにも、捨てられた子犬のように惨めな姿に思える。狂気に染まった瞳は、いったいなにを探し求めて彷徨っている?
『もう、終わりにせぬか、ミオスよ……?』
 重く口を開いたクレメンテに、ミクトランの狂った笑いがひたりと止んだ。
『貴様……貴様、貴様! ラヴィルだな!! また私から奪うのか?!』
 一転してミクトランの声は激怒に塗り変わる。
『ミオス――!』
『させんぞ! させてたまるかぁっ!!』
 突然ベルセリオスの刀身に闇が生まれた。たった一瞬ですでにそれは避けられる大きさではないほどに膨れあがる。慌てて、四本のソーディアンによって防御結界が多重展開されるが、
『まずい、あれは防ぎきれんぞ!』
 クレメンテの焦った声に、結界が闇に触れた瞬間、誰もがきつく目を閉じる。
 だが、いつまで経ってもなにも起きなかった。おそるおそる目を開いたスタンは、すぐ前で、自分たちをかばうように立つ姿を見つけた。
「……シャルロット…さん?」
 呆けたつぶやきに、他の者も驚き目を見開く。乱れた空気に、彼女の高く結いまとめられた金糸はなぶられ煌めきをこぼしていた。
『シャル……どうして――?』
 かけられた問いに、しかし彼女は振り返らず、呆然と立ちつくすミクトランの方をまっすぐ向いたままゆっくりと首を横に振った。
 そして、いくらか歩み出ると、哀しげな声を響かせる。
「…やめて。もう…誰も殺さないで。ここにはディムロスだっているんだよ? 覚えてるでしょ? シャルティエと一緒に生まれた、私のもう一人の弟だよ。
 それに、お母様はこんなの望んでない、こんなのなんて望んでないよ……だから、もうやめてよ、お父様……」


 叶えたい想い。
 叶えたい願い。
 叶えたい、夢。
 守りたいもの。


 運命を曲げるほどの、それは一途な想い。


『シャルロット……? シャルロット、帰ってきてくれたのか……? 見なさい、シャルロット。ほら』
 ミクトランはふらふらと、ホールの奥に見え隠れしていた装置に歩み寄っていく。
『ほら、もうじきだ。もうじき会える……』
 薄闇の中で発光する緑の液体に満たされた大きな――それこそ人一人など楽に収められるほどの――棺のようなカプセルに、愛おしげに寄り添う。ほぼ垂直に近い角度で支えられたそれには、まるで眠っているかのような女性の姿がおぼろげに浮かび上がった。
 悲しげに"それ"からシャルロットが目を背けたとき、スタンの手許から、ディムロスが困惑に震えた声でつぶやいた。
『あれは――母さん……? …それに、なんだ? シャルが姉さんだって…? それに――それに、どういうことだよ、いったい――!?』
 あれは、ずっと前に目の前で死んだ母親ではないのか?
 シャルロットは、自分のことをなんと言った?
 その彼女は――ミクトランをなんと呼んだ?!
「ディム…ごめんなさい。地上で初めて会ったときに気づいてた。お母様とあなたが地上に降りたとき、私はもう五歳だったから。他にこのことを知っていたのは、ラヴィルおじさまやメルクおじさま、ジニア叔父様たちだけ。
 ずっと――シャルティエにも…言えないままだった」
 どうしても、言えなかった。
 ようやく振り返ったシャルロットが、呻くように掠れかけた声をしぼり出す。
『………そう…か………』
 ぽつりとそんな言葉が口をつく。それしか、言えなかった。
「ごめんなさい……」
 あのままが続くのならそれでいいと、ずっと逃げ続けていたことだった。
『……ねぇ、なに? どういうことよ? ディムロスが…シャルロットとシャルティエと姉弟で……あのミクトランの子供って……!?』
 アトワイトが愕然と叫んで、そのまま言葉をなくす。
 現実を飲み込み、整理をつけたのはイクティノスの方が早かった。
『まぁ……何が変わったわけでもなし。クライマックスに明かされた秘密としてはそこそこではないですか』
 まるで物語の中のことかのように、ため息まじりに言う。いや、そうでもしなければ到底受け入れられるような事実ではないのかもしれない。
『驚きはしましたけれどね。…シャルティエは、自分の父のことは、もちろん知っていたのでしょう?』
 少なくとも終戦の数年前までは、ずっと天上都市にいたのだから。
「…ええ…」
「だから、シャルティは――」
 すでに"そこ"にはいないシャルティエに、エミリオがつぶやいた。彼もずっと狭間に立たされ苦しんでいたのだろう。
「でも…なんでそんなことに?」
 狂った歯車は、永く多くの悲劇を撒き散らした。
 だが、どこから狂い始めてしまったのだろうか?
『すべての責はわしらにある。わしらがすべての罪をミオスに――"ミクトラン"に押しつけ、天上都市を逃げ出してしまったのがそもそもの元凶なんじゃ。おぬしらを引き裂いたのは、紛う方なくわしらだ。
 現実を直視できず、地上に逃げ、それを正当化し、自分らの犯した罪もろとも打ち消そうとした。最後まで渋っていたシアシーナとジニアを無理矢理巻き込んでまでのぅ。
 すべてをわかっていた上で、裏切ったのだ』
 それを罪と言わずして、なんと言おうか。
『あいつが言っておったように、生きる資格などありゃせんのだ。あまりにも犠牲にしたものが大きく、多い。わしらが現実にやっと気づいたときに、今まで見てこなんだ罪を認め、己らが造り上げた天上世界をなんとかすべきじゃったのだ』
 アトワイトや、イクティノスも今度こそ言葉がなかった。二人を含め、天地戦争の中で家族を喪った者は大勢いる。そうした者たちにとって、大切な人の仇は天上人であり、天上王ミクトランだった。天地戦争終結をもたらした先の決戦において、たとえすべての元凶は代行者――天上王から全権委任を受けたとされる者たちと知っても。
『愚かだった。過ちを、千年も引きずってしまった。そのために、お主らにも本来なら無関係であるはずの、とうに終わったことであったはずのことに巻き込ませてしまった』
 古き時代の因に翻弄させてしまった。
 多くの人の、多くの"大切な人"を奪うことになった。
 せめて――自分の身に降りかかったあのときに、その苦しさを思い知ったときに、少しでも道を改めていれば、少なくとも"現<いま>"の子たちは平穏であったかもしれないのに。
「クレメンテ……」
 深い罪の告白に、フィリアが手のひらを祈るように重ねる。
『この罪は贖えるものではない。そして、わしらはお主らに恨まれて当然のことを重ねておる……』
「でも」
 と、突然スタンが静かな声を滑り込ませた。
「確かに辛いことが多かったけれど、その話が全部本当でも、でも…恨んでない。恨まない。だって、そのおかげで、会えたから」
「過ぎたことだ。それに……出会えたことすら悔やみたくなんてない」
 提げたままのシャルティエを見つめて、エミリオがはっきり言い切った。
「ま、そうよね。普通に生きてたら、絶対会ってないわよ、あたしたち」
「本当に、その通りですわ。私たちさえ、一緒にはいませんでしたでしょう」
「生きる時間が千年も違うのなら、なおの事だな」
 こうして出会えたこと。それは紛うことなく一つの――奇蹟。
「千年前にも、今にも、人っていっぱい生きてるのにさ、その中で俺たちがここにいるんだぜ。それが、血筋とか親のこととかいろいろのせいなのかもしれないけれど、それでも、こうやって出会えたことって、奇跡だろ…?」
「だから、早く終わらせて、帰ろう。帰って、で、今まであったことの嫌なことだけ、めいっぱい――泣こう。ね?」
 ルーティがスタンとエミリオの肩を片手ずつで叩いて、そしてソーディアンたちにも、笑いかけた。
「あなたたち……強いのね」
 シャルロットが少し寂しげに微笑む。
「いい相棒、見つけたわよね、ホントに」
 消えることのない、途方もない罪。
 それすらも、彼らが一緒なら、いつか乗り越えられる。きっと。


「あれはなんなんですか?」
 スタンが奥に鎮座する機械を目で指し訊ねる。
「あれは――そう、蘇生装置。地上から吸い上げたエネルギーを使って、お母様を蘇らせようとしてるの。…覚えている? ディム。お母様が殺されたときのこと」
『はっきりと、な』
「地上で殺したお母様の死体を、あいつらはお父様のところに持ってきて突きつけた。地上軍のせいだって……発狂だって、するわよ。本当に、お父様は信じてたもの。
 それまでは地殻にはとうてい及ばない威力だったベルクラントが、あんな粉塵を巻き上げてしまうほどのモノになったのは、そのすぐ後のことだった……」
 彼女はふらりと立ち上がると、
「でも、こんなこと、お母様は望んでるはずがない。そうでしょう、ディム」
 しばしシャルロットを見上げていたスタンは、ふとディムに目を落とす。
『実感なんてないけどな…』
 苦しんでほしくない。愛しているからこそ――
『終わらせるしか、ないのか』
 答えのわかりきった自問。そう。自分は、ついさっき同じことを強いられた運命の、始まりだった。当人に言えば、きっと――いや確実に、先ほどと同じような言葉を返される気がしたけれど。
「ディムロス…」
 ――救うには、終わらせるしかなかった。
 スタンはディムロスの柄を、シャルロットに黙って差しだした。
「……ありがとう」
 シャルロットは弟と共に、母を収めた棺に歩み寄る。
「"ヘリアンサス"のヘリオールはお父様。私に止めることはできない。でも……神の眼の力がなくなれば、あの装置は停止する……」
 抑揚を失った声でつぶやきながら、父親がすがりつく幻想に、立つ。写真の中にしかいなくなっていた母の姿。
 けれどこれは、母を象った肉でしか――もうないのだ――
『――やめろ! やめてくれ、おまえまで、また私を裏切るというのか!?』
 恐怖に震えた声を上げ、娘の行動に気づいたミクトランは止めようと彼女にふらふらと歩み寄る。
「お父様…」
 ただ、穏やかな安らぎがほしかった。家族みんなで生きていける幸せな場所が、その幸せが当たり前に過ぎる時間が、ほしかった。それはもう、叶うことのない甘い夢で終わってしまったけれど。けれど。
「お父様こそ、もうやめてよ! もう…こんな馬鹿な真似はやめて……!」
 そんな思いをもう――増やさないで。
 終わりにしよう。すべてを。
『………もう、終わりだよ――』
 いつもいつも、気づくのも知るのも、手遅れになってからだった。
 目の前で決定的な終わりを宣告されるのを、ただ聞いているしか、見ているしか、いつだってできなくて。
 だが。
 それでも、見ていたから。
 ずっとずっと、見ていたから。
『母さんは最期まであんたを想ってたんだよ』
 ――ごめんね、一緒にいれなくなって――
『最期に謝ってたよ、帰れなくてごめんって、あんたにだろ? 他にいねぇよ。なぁ、こんな真似、もうやめろよ。もう、いいだろ?』
 泣きながら。微笑みながら。
『いつだって、空を見つめてたんだよ……』
 幼かった自分を愛しげに抱きしめ、空を見上げて微笑みながらも涙した。
『――終わり、なんだよ――』
 すべてを、終わりにしよう。
 もう――、終わりにしよう。
 悲しいことも。辛いことも。
『……私、は……』
 ぐらりとミクトランの上体が傾ぐ。ヒューゴの手からベルセリオスが離れ、床に転がった。支配を解かれたであろうヒューゴの身体はそのまま倒れた。
『私……私は……っ』
 徐々に彼の声から力が失われていく中、突如、神の眼がひときわ強く輝き、カプセルのふたが開く。
「まさか――」
 淡い緑の光の中で揺らいだ美しい影に、誰も目を見張る。床に流れを描く濡れた紅い髪と憂いに翳る緑の瞳。純白の紗をまとったその女性はそっと跪き、緑の液に浸かっていたベルセリオスをその冷たい腕に抱いた。
 刀身に頬を寄せ、血の気のない唇がそっとささやく。
「もう……いいのよ……」
 さらりと細やかな紅が銀の鋼にこぼれた。
『――シア……』
 うちひしがれたような、哀しい狂気を拭い去ったミクトランの――ミオソティスの声が響く。
 本当は。ずっと、そう言ってほしかった。
 狂ったこの妄執を、止めてほしかった。
『シア……ずっと、ずっと会いたかった………』

 ――愛してる。

 どんなに叫んでも、届けられなかった言葉。
 どんなに想っても、伝えられなかった言葉。
 ミオソティスを抱いたまま、シアシーナは子供たちに微笑みかける。
「……ありがとう……」
 そして。
 風に吹かれた砂のように、すべてが光る風塵に消え去った。


 叶えたい想い。
 叶えたい願い。
 叶えたい、夢。
 守りたいもの。


 運命を変えるほどの、それは純粋な願い。


 それは、永い沈黙だった。
 誰一人として声を発さず、動くことも忘れ、時が止まったかのように。
 刻み始めたのは、姉弟だった。
 ルーティとエミリオが立ち上がり、倒れ伏す父親に歩み寄る。
 娘は父の傍らに膝を落とし、
「………お父さん――」
 そして、待ち続けた。
 しばらくしてヒューゴから微かなうめきがもれたとき、二人の表情がさっと強ばる。起きあがったヒューゴは、両隣にいる子供たちを驚愕に見開いた目で見ていたが、
「……長い間、辛い思いをさせてしまったな。すまなかった……ルーティ、エミリオ」
 しっかりと二人の名を呼ぶ。
 姉弟は大きく息を呑み、
「ホントに…あたしたちがどれだけ苦労したと思ってんのよ…!」
「本当に……ひどい目にあったよ……」
 泣き笑いのように歪んだ顔で憎まれ口を叩くと、
「お父さん――!」
 少女は父に抱きついて、少年は父の肩に額を押しつけるようにして、声を上げて泣いた。泣く二人の肩を抱き、ヒューゴも涙をにじませていたが、不意に少し離れたところに――力なく座り込んでいるシャルロットのそばにいる、スタンたちに気づいた。二人をなだめ、ふらつく足で立ち上がる。涙を拭いたエミリオがすかさず肩を貸したので、ヒューゴはなんとかスタンの前までやってこれた。それに気づいてスタンが顔を上げると、
「君は……シオンとファルンの、息子だね?」
 一目でわかる。
 果たして、はい、と消え入りそうな声でスタンが答えた。
「本当に、君たちにもすまないことをした。いくら謝ったところで、とうてい許されるものではないだろう……」
 重い自責と深謝が声にはあった。次に続く言葉も容易に想像できた。だが、それよりも早く、
「でしたら、一つ、お願いがあります」
 母譲りの穏やかな笑みを浮かべ、スタンは言った。
「生きてください。父も母も、それを望んでいると思います」
 ヒューゴが手のひらで顔を覆う。両脇に寄り添う子供たちを感じながら、深くうなだれる。
「そうだな……これ以上子供たちを哀しませると、それこそ絶対に許してもらえないだろうな……」
 幸せというものの中にあることを強く願っていた親友と最愛の人を思い出し、あたたかな懐かしさに笑みながらも、どうしようもなく涙があふれ出てきた。

 しかし、穏やかな時は、突如襲ってきた激しい揺れに壊される。
「なんだ?!」
 ホール全体が震動している中、
「神の眼――!」
 シャルロットの掠れた悲鳴に全員が神の眼を振り仰ぐ。
「制御までが解かれて、行き場を失った力が暴走を始めたんだわ!」
『いかん、このままでは天上都市が崩壊する!』
 全員をひやりと冷たい風が撫でる。
 天上都市群の下はセインガルド、多くの人が生きている。そんなところにこんなものが落ちては――
「どうすればいいのですか!!?」
 フィリアの叫びにクレメンテは、
『天上都市を、空中で破壊するよりほかない……』
「そんなことは不可能だっ」
 絶望が忍び寄る。だが、
『神の眼なら……』
 ディムロスがつぶやき、そして次々にソーディアンが頷いた。
『そうね……私たちがやるしかないわ』
『この際、仕方ないでしょう』
『そう、じゃな……』
 出揃ったところで、ディムロスが再び口を開いた。
『俺たちで天上都市を破壊する』
「どうやってっ?!」
『私たちを神の眼に刺すのよ』
「え……?」
 マスターたちが凍りつく。
『私たちのコアは神の眼と同質のレンズです。それを共鳴させ、――神の眼もろともすべてを塵にします』
 コアクリスタルの改良の前に、ちらりとしていた話だった。そのときには忘れろと言われたが、この際そうも言っていられない。
「待ってよ! そんなことしたら――!!」
『永遠にお別れ、ということになるかのぅ』
 ルーティに返したクレメンテの言葉に、スタンが強く叫ぶ。
「ダメだ! そんなの! もうこれ以上、誰かが死ぬなんてのは!! 何か…、何か他に方法はないのかよ!? …どうしてここまで来て、また犠牲を出さなきゃなんないんだよ――!!」
 もうさんざんだ……誰かを喪うのなんて。
「そうよ! そんなのダメよっ!」
 ヒューゴをエミリオに任せ、ルーティはアトワイトを手にとった。手放すものかと言わんばかりにその柄を両手のひらできつく包み込む。
『いいんだ。もう…いいんだ。千年も前に、死んでるはずだったんだ』
『それがこんな形とはいえ、生き続けて…』
『あなたたちに出会えて、本当に幸せだから』
 だから。
『おぬしらを、こんなところで死なせたくない』
 シャルロットが、無言でディムロスをスタンに手渡した。スタンは口を閉ざしたディムロスの柄を、寄りかかるようにして強く抱き縋る。
「でも…それでも……っ!」
 揺れも閉め出してしまうほど沈痛な空気がホールを埋め尽くす。
 どれほど経っただろうか。
 とても長い時間だが、とても短い時間。
『ウッドロウ。約束を守れなくなってしまってすみません。……ずっと側にいると約束したこと、覚えていますか?』
 重い足取りでウッドロウがイクティノスを手に、神の眼の前に進んだ。
「幼かった頃のことだな。覚えているさ。父は忙しく母は病気がちだったから、一番私に構ってくれたのはおまえだった。まったく、私がこんな性格になったのも、おまえのせいではないか?」
 努めて明るく、昔を懐かしむ。
『そうですね。子供の頃のあなたは私から離れようとしませんでしたっけか。本当に……歳の離れた弟みたいでしたよ……』
 ――自分は、"家族"には辛い思い出しかなかったけれど。
「それは私もだ。……イクティノス、おまえに会えてよかった……」
 シールドもない神の眼は、イクティノスをたやすく受け入れる。
「今まで…本当にありがとうございました……私が旅を続けられたのは、あなたがいてくれたからです……」
 瞳を揺らし、唇をきつくかみしめたフィリアが、クレメンテをゆっくりと神の眼に差し込む。奇妙なほどの手応えの無さが、喪失そのものだった。
『まぁ…その、なんじゃ。わしも楽しかったからの。お互い様じゃ。もう、一人でも大丈夫じゃな。自分で思っている以上に、おまえは強い子だ。自分に自信を持って……達者で暮らすんじゃぞ……』
 その言葉に、こらえていた涙が堰を切ってあふれ出す。
「…はい……」
 その横で、ルーティも神の眼まで来ていた。アトワイトを握る手は震え、涙は止めどなく流れていた。
「アトワイト……」
『何も言わなくていいわ。あなたの気持ちはわかってるつもりだから……』
「さよなら――なんて言わないからねっ」
 手の甲で涙を拭いながら、しかしすぐに新しい涙に紫の瞳は濡れていた。
『らしいわね、もう。……クリスとの約束も、果たせそうかしら』
「お母さん……?」
『あなたには、――あなたたちには、生きて幸せを掴んでほしい。
 それがクリスの、一番の願い。そして、私の願いでもあるわ……』
「ありがとう……アトワイト」
『そう、それでいいの…。あなたは素直に生きなさい』
 神の眼にアトワイトを刺すが、他の二人と同じように、彼女もまた離れられないでいた。
 そして。
『スタン、――早くしろ…!』
「――どうして……どうしておまえまで置いてっちゃうんだよ……!」
 柄を強く握りしめうつむいたスタンの髪を、また、雫がいくつも滑ってディムロスに落ちる。
『泣いて…くれるんだな』
 どこか淋しげにディムロスがつぶやく。
「当たり前だろ! ……泣いて、いいんだろ……」
 涙をぼろぼろこぼし、しゃくり上げながらもスタンが言い返した。どれほど泣いても、涙というのは涸れることがない。誰かのためのものならば、それはなおのこと。
『……すまない』
 きっと、余計に辛い思いをさせる。生きて、一緒にいて、償うこともできなくなる。
 ――きっと、ひどく苦しませる。
『でも、おまえを死なせたくないんだ。おまえの妹も。俺なんかのせいでおまえらにもしものことがあったら、それこそ、俺はシオンとファルンに会わせる顔がない』
 ディムロスはそこで一度言葉を切った。それから、ゆっくりと続ける。
『幸せになれよ……大丈夫。"おまえは独りじゃない"』
 はっとスタンが瑠璃の目を見開く。
 スタンは立ち上がり、神の眼にディムロスを深く突き刺した。
 二人の"言葉"を胸に深く刻み込み、泣きながら無理矢理笑む。
「さようなら……」


 そして、誰もいなくなったホール。
『行ったな……』
『ええ、行ったわね……』
『ずっと前に別れたときに、もうどうでもいいと思ったような気がするんだがな……』
『そういう心は特に不確かですからね。変わるときにはあっさり変わりますよ』
『たとえば……今、とかかしらね』
 最期の時を、ただ待つ。
 誰もいなくなったホール。
 誰もいないはずの――
 規則正しい靴音が響き、ソーディアンらが周囲に意識を戻す。
『どうしてここに!?』
 驚愕が上がる。ヒギリとヒエンを伴って現れたシャルロットに。
 彼女は優しく微笑むと、


 ずっと、叶わないものを望んでいた。
 けれど、叶えたいものを描いていた。
 いつか見る夢のために眠り続けた。
 いつか叶う夢のために生き続けた。


 一つだけ訊ねた。
「今、何を夢見る?」


 そして。
 天空に白い光が咲いた。


 叶えたい想い。
 叶えたい願い。
 叶えたい、夢。
 守りたいもの。


 運命をも創りあげる、それはいつか見る夢。












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